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遼州戦記 墓守の少女

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 そう言う少女の手には横笛が握られ、器用にバランスを取りながら笛を口に乗せる。悲しげな旋律が木の上を旋回するように始まった。元の色が分からなくなるほど着古されたポンチョ、破れかけたズボンは澄んだ木々の陰に広がる闇の中でも彼女が一人でこの森に暮らしていることを知らせるものだった。峠から吹き降ろす風は冷気を帯びているもののやわらかく、彼女の埃まみれの髪の毛を撫でていった。頬はあかぎれと炭で煤けている。
 まもなく日は沈もうとしていた。日が沈めば風の向きは反転し、彼女のいる高地から峠へと押し戻すような湿り気を帯びた風に変わることを彼女は知っていた。
 旋律を一通り吹き終わると彼女は笛を腰の帯に押し込み、もみの木を転がり落ちるようにして大地に降りた。降りた先のもみの巨木の根元には、子供のコンロンオオヒグマが座っている。去年の秋に生まれた小熊はすでに地球のヒグマの大人よりも一回りも大きい巨体に成長していた。降りてきた少女を見ると元気良く彼女の前に座って巨体を揺らして少女に甘える。
「大丈夫。怖くないからね」 
 少女は小熊の頭を撫でた。小熊は嬉しそうに彼女の頭に静かに前足を乗せる。
「そうだ、これ食べる?」 
 アカギレだらけの手で背中のズタ袋を探ると、鹿の肉を干したものを小熊に与えた。小熊はそれに噛み付くと、一心不乱に鹿の肉を噛み砕き始めた。
「大丈夫だよ、そんなに急がなくても」 
 そう言いながら微笑む少女。山並みに夕日が隠れると一気に森は暗闇の中に沈む。
「熊ちゃんもお友達が出来ると良いのにね」 
 口の中で肉を噛み続ける小熊を見ながら少女はどこか寂しげな表情を浮かべた。その瞬間、それまで峠から吹き降ろされていた冷たい風が止んだ。小熊は不安に思ったのか、口の中の鹿の肉の破片を飲み込むと、潤んだ眼で少女を見つめた。
「大丈夫だよ。ずっと一緒なんだから」 
 そう言って小熊の頭を撫でた。小熊はそのままおとなしく彼女の前に座った。
「絶対大丈夫、大丈夫」 
 その言葉は小熊に対してではなく、自分自身に言い聞かせているようにも聞こえる言葉だった。そして静まり返った彼女の為だけにあるようにも見える森に彼女の視線は走った。
「これまでだって大丈夫だったんだから」 
 そう言うと少女の視線に殺気の様な物が走る。何か敵視するものがそこにあるとでも言うように彼女は峠の方を見つめた。
「悪い人はね、あの峠を越えられないんだよ。もし越えてきても私がやっつけるんだから」 
 そう言うと彼女は小熊の後ろに置かれた巨人像のようにも見えるアサルト・モジュールを見上げた。
 その剣を持った白いアサルト・モジュールはアイドリング状態の鼓動のような音を立てながら戦の神を模した神像のように立っている。その姿を見上げる少女の目に涙が浮かんでいるのを見つけた小熊は甘えるような声を上げて少女に寄りかかる。
「大丈夫、大丈夫」
 そう言いながら少女は小熊の頭を撫でながら巨大人型兵器を自信に満ちた目で見上げていた。


 従軍記者の日記 6


 出撃の朝の緊張感は、どこの軍隊でも変わりはしない。昨日まで野球に興じたり山岳部族の子供達と戯れていた兵士達の様子は一変し、緊張した面持ちで整列して装備の確認をしているのが窓から見える。クリスは表で爆音を立てているホバーのエンジンのリズムに合わせて剃刀で髭を剃っていた。
「別にデートに行くわけじゃないんだ。そんな丹念に剃ること無いじゃないか」 
 ベッドに腰掛けたハワードはカメラの準備に余念が無い。
「一応、北兼軍閥の最高指導者の機体に乗せていただけるんだ。それなりの気遣いと言うものも必要だろ?」 
 口元に残った髭をそり落とすと、そのまま洗面器に剃刀を泳がせる。大きな音がして建物が揺れるのは大型ホバーが格納庫の扉にでもぶつかったのだろう。罵声と警笛が響き渡り戦場の後方に自分はいるんだという意識がクリスにも伝わってくる。そんなクリスにハワードが整備が終わったカメラのレンズを向けた。
「確かにそうかもしれないがな。それより大丈夫なのか?四式は駆動部分や推進機関のパルス波動エンジンは最新のものに換装してあるって話だぞ。あんな時代遅れの機体に最新の運動システムが付いていけると思うのか?それに重力制御式コックピットの世代は二世代も前のを使っているって話だ。Gだって半端じゃないはずだろ」
 鏡をのぞきながら剃り跡を見ていたクリスだが、そうハワードから言われると仕方ないというように頭を掻きながら相棒の方を振り向く。 
「なに、私もM3くらいなら操縦したことがあるからな。それに今回は後部座席で見物するだけだ。大して問題にはならないよ」 
 そう言うとクリスは足元に置いておいた戦場でいつも身につけているケプラー防弾板の入ったベストを着込んだ。そして、出かけようという時、ノックする音に気づいた。
「どうぞ!」 
 迷彩のカバーにピースマークをペンで書き込んだヘルメットを被るクリス。ドアが開く。そこにはクリスの見たことの無い戦闘帽を被った嵯峨が立っていた。
「すいませんねえ、早く起こしちまって。朝食でも食べながら話しましょうや」 
 何かをたくらんでいそうな笑みを浮かべた嵯峨に、クリスはハワードと顔を見合わせた。
「ええ、まあよろしくお願いします」 
 断るわけにも行かない。そう思いながらクリスはそのまま歩き出した嵯峨に続いた。嵯峨が着ている昨日と同じ半袖の軍服は人民軍の夏季戦闘服である。そして足首にはゲートルが巻かれ、黒い足袋に雪駄を履いていた。その奇妙な格好にハワードは手にしていた小型カメラのフラッシュを焚く。嵯峨はそれを咎めもせず、そのまま立て付けの悪い引き戸を開いて食堂に入った。
「食事があるってのはいいものっすねえ」 
 そう言うと嵯峨は周りの隊員達を見回す。食堂にたむろしているのはまだ出番の来ない補給担当の隊員達だった。その体臭として染み付いたガンオイルのよどんだ匂いが部屋に充満している。兵士達は攻撃部隊が出撃中だというのに大笑いをしながら入ってきたクリス達を見ようともせず食事を続けている。
「俺と同じのあと二つ」 
 カウンターに顔を突っ込むと嵯峨は太った炊事担当者に声をかけた。嵯峨の顔を見ても特に気にする様子も無く淡々と鍋にうどんを放り込む料理担当兵。
「そう言えば嵯峨中佐は前の大戦では遼南戦線にいたそうですね」 
 クリスの言葉に嵯峨の表情に曇りが入った。だが、カレーうどんが大盛りになったトレーを受け取った頃にはその曇りは消えて、人を食ったような笑顔が再び戻ってきていた。
「そうですよ。ありゃあ酷い戦場だったねえ」 
 そう言いながらテーブルの上のやかんに手を伸ばすと、近くに置いてあった湯飲みにほうじ茶を注いだ。聞かれることを判っている、何度と無く聞かれて飽きたとでも言いたいような表情。嵯峨の大げさな言葉とは裏腹に目は死んだように見える。それを見てクリスは少しばかり自分が失敗したことに気付いていた。
「ここから三百キロくらい西に新詠という町がありましてね。そこで編成した私の連隊の構成員は千二百八十六名。うち終戦まで生きていたのが二十六名ってありさまですからね」 
作品名:遼州戦記 墓守の少女 作家名:橋本 直