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遼州戦記 保安隊日乗 5

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 吼えたのはコンロンオオヒグマの子供。グレゴリウス13世と言う大げさな名前をつけられた茶色い巨大な熊である。魚屋の二階に下宿している飼い主のシャムだが、当然三メートル以上ある巨大な猛獣をそんなところで飼える訳も無く、保安隊のペット兼番熊として隊舎の隣の檻の中でいつもは居眠りをしている。それを吉田は散歩させようとしたらしいが、大好きなシャムの香りをたどってこうして射撃場に向かう誠達の前に現れたわけだった。
「吉田さん。本当に大丈夫なんですか?全然言うこと聞いてないように見えるんですけど」 
 誠の言葉通り、グレゴリウス13世はシャムがいるらしい射撃訓練レンジに行こうと鎖を握っている吉田を引っ張っている。彼が特別製の軍用義体の持ち主でなければすぐにシャムのところまで引きずられていくことになるだろう。
「でも……こいつ吉田の言うことだけはまったく聞かねえな」 
 そう言うと要は手を叩く。すぐに気づいたグレゴリウス13世は要に近づいていってその前に座り込む。
「ほら。おとなしくなるじゃねえか」 
「確かにおとなしいな、こいつは」 
「野郎は嫌いなんじゃないの?」 
 いつの間にかグレゴリウス13世から逃げるように遠ざかる誠を要達が見つめている。カウラはいつものように座っているグレゴリウス13世の首をなでてやる。気持ちよさそうに目をつぶる熊。
「で、あいつが射撃場でやることと言えば……早撃ちか?」 
 口元に手をやってグレゴリウス13世が伸ばす様を楽しんでいた要が声をかける。
「まあ、そうだ。結構練習してたからな、昨日」 
 すっかりなついた調子のグレゴリウス13世を見ながら渋い表情で吉田はそう言った。アイシャの後ろに隠れていた誠も少し安心したように前に出た。
「バウ!」 
 突然、怒った様に誠を威嚇するグレゴリウス13世を見て飛びのいた誠。それが滑稽に見えたらしく、要が噴出して腹を抱える。
「とりあえず来いよ……来いよ!この馬鹿熊!」 
 鎖を引っ張った吉田だが、グレゴリウス13世はそれが気に障ったようでそのまま思い切り吉田にのしかかる。さすがの吉田も400kgを超えるグレゴリウス13世の巨体にのしかかられてはどうすることも出来ずにそのままその下敷きになった。
「大丈夫ですか?」 
 恐る恐る尋ねる誠。
「大丈夫なんじゃないの?行こうぜ」 
 助ける気は微塵もないというように要はハンガーの裏手の枯れ草の中に出来た道を早足で歩き始めた。そしてすぐに射撃場で轟音が響いているところからシャムの見世物が始まったことを誠達は知ることになった。
 すでに射撃場には人だかりが出来ていた。訓練をサボって首からアサルトライフルをぶら下げた警備部員が背伸びをしている。手持ち無沙汰の整備班員はつなぎの尻を掻きながら背伸びをしてレンジの中央を覗こうと飛び跳ねる。
「やってるな」 
 にんまりと笑って足を速める要。それを見かけたブリッジクルーの女性隊員が人だかりの中央に向かって声をかけたようだった。
 すぐに人垣が二つに割れて中央に立つ少女が誠達からも見えるようになった。
「あいつ……馬鹿だ」 
 立ち止まった要のつぶやき。こればかりは誠も同感だった。
 テンガロンハット、皮のジャンバー、色あせたジーンズ。そして腰には二挺拳銃を下げる為の派手な皮製のガンベルトが光っている。西部劇のヒロインと言うよりもアメリカの田舎町の祭りに引っ張り出された少年である。
「ふ!」 
 わざと帽子のつばを下げたかと思うとすばやく跳ね上げてシャムは誠達を見つめる。隣ではそんなシャムをうれしそうに写真に取っているリアナの姿も見える。
「お姉さん……」 
 さすがにあまりにも満面の笑みの上官の態度にはアイシャも複雑な表情にならざるを得なかった。
「風が冷たいねえ……そういえばダコタで強盗とやりあったときもこんな風が吹いていたっけ……」 
 そう言うとシャムは射撃場の椅子にひらりと舞うようにして腰掛ける。手にしているのはマリアの愛用の葉巻。タバコが吸えないシャムらしく、当然火はついていないし煙も出ない。
「何がしたいんだ?お前は?」 
「お嬢さん?何かお困りで?」 
 そう言うと胸に着けた保安官を示すバッジを誇らしげに見せ付けるシャム。お嬢さん呼ばわりされた要。タンクトップにジーンズと言う明らかに常人なら寒そうな姿だが、それ以上にシャムの雰囲気はおかしな具合だった。
「ああ、目の前におかしな格好の餓鬼がいるんで当惑しているな」 
「ふっ……おかしな格好?」 
「ああ、マカロニウェスタンに出てきそうなインチキ保安官スタイルの餓鬼」 
 そう言われてもシャムは葉巻を咥えたままにんまりと笑って立ち上がるだけだった。
「そう言えばネバダで……」 
 たわごとをまた繰り返そうとするシャムに飛び掛った要がそのままシャムの帽子を取り上げた。
「要ちゃん!返してよ!」 
 小柄なシャムがぴょんぴょん跳ねる。ようやく笑っていいという雰囲気になり、野次馬達も笑い始める。
「駄目よ!要ちゃん!返してあげなさい」 
 ピシリとそう言うリアナ。ようやくその場の雰囲気が日常のものに帰っていくのに安心して誠達は射撃レンジに足を踏み入れた。
 射撃場の机。シャムが飛び跳ねている後ろには、小火器担当のキム・ジュンヒ少尉が苦い表情で手にした弾の入った箱を積み上げている。
「たくさん集めましたねえ」 
 誠も感心する。そこには時代物を装うようなパッケージの弾の他、何種類もの弾の箱が並んでいた。それを一つ一つ取り出しては眺めているキム。
「まあな。結構この手の銃は人気があるから種類は出てるから。特に今、シャムの銃に入っている弾は特別だぜ。おい!シャム。いい加減はじめろよ」 
 キムの言葉に渋々要は帽子をシャムに返した。笑顔に戻ったシャムはリラックスしたように静かに人型のターゲットの前に立つ。距離は30メートル。シャムは一度両手を肩の辺りに上げて静止する。
「抜き撃ちだな」 
 カウラは真剣な顔でシャムを見つめていた。
 次の瞬間、すばやくシャムの右手がガンベルトの銃に伸びた、引き抜かれた銃に左手が飛ぶ。そしてはじくようにハンマーが叩き落とされると同時に轟音が響き渡った。
「音がでけえなあ……それになんだ?この煙」 
 要がそう言うのももっともだった。誰もが弾の命中を確認する前にシャムの銃から立ち上るまるで秋刀魚でも焼いているような煙にばかり目が行った。風下に居た警備部員は驚いた表情で咳き込んでいる。
「キム少尉。これは?」 
 驚いているのはカウラも同じだった。ただ一人苦笑いのキムにそう尋ねる。
「ブラックパウダーと言って、黒色火薬の炸薬入りの弾ですよ。時代的にはこれが正しいカウボーイシューティングのスタイルですから。このコルト・シングルアクション・アーミーの時代はまだ無煙火薬は発明されてないですからね。まあ俺も使ってみるのは初めてだったんですが……」 
 そう言う説明を受けて納得した誠だが、撃ったのはいいが煙を顔面にもろに浴びてむせているシャムに同情の視線を送った。
「でもこれじゃあ……」