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遼州戦記 保安隊日乗 5

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 その奇妙なまでに力みかえったアイシャの言葉に誠は明らかに嫌な予感を感じながらみかんを口に放り込んだ。
 そんなアイシャの雄たけび。誠の背筋を寒いものが走った。そしてその予感は的中した。
 アイシャの顔が作り笑顔に切り替わって誠に向かう。
「あの……なんですか?」 
 同情するように一瞥してゲートを閉じる要。カウラは係わり合いになるのを避けるように二つ目のみかんに取り掛かる。
「誠ちゃんの家の正月って何をするのかしら?」 
 満面の笑み。そんなアイシャがじりじりと顔を近づけてくる。
「別に大したことは……」 
「そうだな。西園寺の家のように一族郎党集まるわけじゃないんだろ?」 
 カウラはそう言うと剥いたみかんを口に放り込む。だがアイシャはにやけた表情を崩さずに満足げに頷きながら誠を見つめている。
「なるほどねえ、アイシャ。いいところに目をつけたな」 
 今度はいつの間にか誠の隣にやってきた要が身体を押し付けて耳元で囁いてきた。そのタレ目が誠の退路を断った。
「そんな普通ですよ。年越し蕎麦を道場の子供と一緒に食べて、そのまま東都浅草(とうとせんげん)にお参りして……帰ったら餅をついて……」 
「おい、それが普通だって言ったら島田に怒られるぞ」 
 そう言って要は誠の頭を小突いた。言われてみて確かに父の剣道場に通っている子供達が集まるなどと言うことは普通はないことを思い出して誠は少し後悔した。
「え?誰が怒るんですか?」 
 警備室の窓の外から島田が顔を出している。後ろにあるのは誠の05式を搭載したトレーラー。運転席では西が助手席の誰かと楽しそうに雑談をしている。
「ああ、何でもねえよ!」 
 そう言うと要は四つんばいのままゲートを空けるボタンを押す。
「じゃあ明日はよろしくお願いしますよ!」 
 島田はそう言うと駆け足で車に戻って行った。トレーラーがゆっくりと走り出し、それを見送った要はまた四つんばいで誠の隣に戻ってくる。
「ああ、西園寺。明日は直行じゃないからな。いつもどおりに出勤。技術部の車で現地に向かう予定だからな」 
 カウラはそう言うと周りを見回した。厳しい表情が緩んでエメラルドグリーンのポニーテールの髪が揺れる様に誠は目を奪われる。
「ああ、お茶ね……」 
 その様子を見たアイシャが察して奥の戸棚を漁る。要はすぐに入り口のドアの手前に置かれたポットを見つけると蓋を開けて中のお湯の温度を確かめる。
「しっかり準備は出来てるんだな。うれしいねえ」 
 要はそのままポットをコタツの上に置く。急須と湯のみ、それに煎餅の袋を棚から運んできたアイシャがそれを誠の前に置いた。誠はこの三人がゲート管理をするとなればそれなりの準備をしておかないと後が怖いと思った警備部の面々の恐怖を思って同情の笑みを漏らした。
「入れるんですか?」 
 そんな誠に三人の視線が集まっている。
「当然でしょ?神前曹長」 
 そう言ってアイシャがにんまりと笑って見せた。反論は許されない。誠は茶筒を手に取り綺麗に洗われた急須を手にとって緑茶の葉を入れる。
「お茶の葉、ケチるんじゃねえぞ」 
「はいはい」 
 濃い目が好きな要の注文に答えるようにして葉を注ぎ足した後、ポットからお湯を注いだ。
「そんな入れ方してたら隊長に呆れられるわよ」 
 今度はアイシャである。緑茶の入れ方については茶道師範の免許を持ち、同盟軍幹部の間では『茶坊主』と陰口を叩かれる隊長の嵯峨ならばいちいち文句をつけてくるだろうとは想像が付いた。
 だが目の前の三人はただ誠をいじりたいからそう言っているだけ。それがわかっているので誠はまるっきり無視して淡々と湯飲みに茶を注いだ。
「いいねえ……部下にお茶を入れさせると言うのは」 
 心からそう思っているとわかるように湯飲みを抱え込んでコタツに足を入れてきた要。誠は愛想笑いを浮かべながら彼女を見つめていた。しかし、足をコタツに入れたとたん要の顔が不機嫌そうな色に染まった。そしてしばらくするとコタツの中でばたばたと音がひびく。
「おい!アイシャ!」 
「何よ!ここは私が!」 
 明らかに足を伸ばすために身体を半分以上コタツに沈めているアイシャ。それに対抗して要も足を突き出す。
「子供か?貴様達は」 
 呆れたようにそう言って湯飲みに口をつけるカウラの視線がゲートのある窓に向かった。
「西園寺。仕事だぞ」 
「あぁ?」 
 アイシャとのコタツの内部抗争に夢中だった要が振り向いた。
 ゲート管理の部屋の詰め所の窓にはそれを多い尽くすような巨漢が手を振っていた。
「なんだよ!エンゲルバーグ。出て行きたいなら自分で開けろ!」 
「無茶言わないでくださいよ!警備室にいるんだから西園寺さん達が担当じゃないですか?仕事くらいはちゃんとしもらわないと」 
 その食べすぎを指摘される体型からエンゲルバーグと呼ばれる保安隊技術部法術技術担当士官、ヨハン・シュペルター中尉が顔を覗かせる。誠が目をやるとうれしそうに口に入れたアンパンを振って見せた。
「ったく……オメエはいつも何か食ってるな。少しは減量を考えろよ」 
 渋々コタツから出た要は再び四つんばいでゲートの操作スイッチに向かう。
「ヨハンさん、学会ですか?」 
 法術と呼ばれるこの遼州の先住民『リャオ』の持つ脳波異常を利用した空間制御技術。その専門家、そして法術の発現を地球圏社会で初めて公の場で見せ付けることになった『近藤事件』で活躍した誠の能力開発主任と言うのがヨハンの肩書きだった。
 事件が起きてもう5ヶ月が経つ今日。法術が戦争に使われることの是非、その能力の発現方法や利用方法に関しての学会が開かれるたびにヨハンは隊を留守にすることが多くなっていた。
「ああ、今度は大麗でやるんだと。ったく情報交換と言いながらそれぞれ情報を出すつもりなんてないんだから会合なんかする必要ないのにねえ……って開いたか」 
 開いたゲートを見るとヨハンは大きな身体を翻して自分のワンボックスに乗り込んだ。
「ったく」 
 出て行くヨハンの車を見送ると再び這って戻ってきた要がコタツに足を入れようとする。
「おい!」 
「何?」 
 にらみつけてくる要に挑発的な笑みを浮かべるアイシャ。
「足!」 
「長いでしょ?うらやましいんじゃ……って!蹴らないでよ!」 
 アイシャが叫ぶと同時にがたりとコタツ全体が揺れる。水音がして誠がそちらに視線を向けるとカウラの顔にお茶のしぶきが飛んでいる様が目に入った。
『あ……』 
 要とアイシャが声をそろえてカウラの顔を見る。カウラは何も言わずにポケットからハンカチを取り出すと静かに顔にかかったお茶を拭った。
「冷めてるから……大丈夫よね?」 
「アイシャが餓鬼みてえな事するからだろ?」 
「二人とも穏便に……」 
 カウラの沈黙が恐ろしくて誠も加えた三人は、意味も無い愛想笑いを浮かべる。当然三人の意識は次のカウラの行動に向いていた。
「要、仕事だ」 
 一言そう言ってカウラはポットと急須に手を伸ばした。ほっと胸をなでおろした要がゲートの方に目をやった。
「よう!」