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遼州戦記 保安隊日乗 5

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 明らかに模擬戦の時のぎらぎらした緑の瞳。完全に誠は彼女が戦闘状態に入ったことを理解していた。
 静かにカウラが右のバッターボックスに入る。
「よろしくお願いします!」 
 元気良く新見少年が怒鳴るように叫ぶのを満足げに頷きながら、カウラはじっと相手投手を見つめた。そしてそのままいつものようにホームベースぎりぎりのところに立って、ゆっくりと静かにバットを構える。
「ぶつけたりしないでくださいね!」 
 野次馬と化した野球部員の一人が叫んだ。周りの少年達も頷きながらじっと見つめる。だが誠はカウラの実力を知っているだけにただ苦笑いを浮かべるだけだった。明らかに新見少年は投げづらそうに、誠がいたころと同じようにかなり荒れた状態のマウンドの上で、眉を寄せてカウラを見下ろしていた。
 誠が周りが静かになったのに気づいてグラウンドを振り返れば、シュート練習をしていたサッカー部員も、サンドバッグにタックルの練習をしていたラグビー部員も、野球部に飛び入りでやってきた緑の髪の女性の姿に目を向けているのがわかった。
 新見少年はようやく自分の置かれている状況を理解したと言うようにマウンドの上で大きくため息を付く。そしてそのままゆっくりと振りかぶった。
 明らかに動きが先ほどの投球練習より硬く見えた。新見少年の手を離れたボールはキャッチャーが飛びついたミットの先を抜ける外角へ大きく外れた暴投になった。
「おい!新見!いつもどおり投げろ!」 
 監督の檄が飛んで、ようやく吹っ切れたように野次馬の野球部員から新しいボールを受け取る。
「カウラさん。もう少し離れて立ってあげれば……」 
 誠の言葉にカウラの真剣そうな視線がやってきたので黙りこむしかなかった。肩を何度かまわすような動きの後、新見少年は再び振りかぶる。明らかにカウラはバットを握る手に力をこめていた。おそらくは初見の女性のバッターを相手にして緊張しているのだろう。それを読んでいたかのように先ほどとは雰囲気の違う構えのカウラがそこにいた。
 ピッチャーは先ほどの力みすぎての暴投から学んで、今度はスピードを殺したような変化球をストラークゾーンに投げ込んだ。当然そのような球を見逃すカウラではない。
 その華奢な外見からは想像も付かない速さのスイングで、内角低めに落ちていくボールをバットで捉えた。打球は新見少年の額の上を強烈な勢いで通り抜けていく。そしてそのままフェンスに激突したボールが大きな音を立てる。
 グラウンド中が静まり返った。誠は予想していたこととはいえさすがにバツが悪そうに監督の目を見た。
「彼女は何者だ?」 
 呆れたような調子で監督は誠につぶやいた。
「いちおう僕の前はエースナンバーを背負ってましたから。他にも勝負どころでは右の代打に出ることもあります」 
 誠の言葉に監督は頷いた。
「おい!遊びはそれくらいで今度はランニングに行け!坂東!」 
 叫んだ先には長身の落ち着いた印象の選手が立っている。
「それじゃあスパイクを履きかえるぞ!」 
 その言葉からして坂東少年がキャプテンを勤めているらしい。そんな光景を笑いながら見つめる誠。カウラは物足りなそうに手を差し伸べている小柄な部員にバットを渡すとそのまま誠の方に歩いてきた。
「少しぐらい手を抜いてあげればよかったのに……」 
 部活棟のプレハブの建物に向かってダッシュする誠の後輩達だが、明らかに落ち込んだように最後尾を走っている新見少年を見ながらの誠はそうつぶやいていた。
「加減をしたら失礼だろ?私くらいのスイングをする高校生の打者はたぶん五万といるぞ」 
「それは……確かに、そうなんですけどねえ」 
 ようやく興奮が収まってきたと言うように静かに誠から受け取ったマフラーを首に巻くカウラ。
「そう言えば……実業団とか言ってたな。あれか?お前の所属は軍の体育学校か何かか?」 
 監督の質問ももっともだと思った誠に笑みがこぼれる。実際、誠も幹部候補生過程修了の際には希望すれば体育学校の野球部への編入をすると教官から言われたのを断った前例がある。
「いえ、保安隊ですよ、僕は」 
 その一言で監督の目が驚きに変わった。
「あれか?この前、都心部でアサルト・モジュールを起動して格闘戦をやったあの……」 
「その部隊です」 
 きっぱりと言い切るカウラの言葉が響く。監督の驚きはしばらくして唖然とした表情に変わる。大体が司法実働部隊と言う性格上、公表される活動はどれも保安隊の一般市民からの評価を下げるものばかりなのは十分知っていた。
「もしかして……パイロットとかをやっているわけじゃ無いだろうな」 
「ええ、彼は優秀なパイロットですよ。隊長の私が保証します。現にスコアーは8機撃破。エースとして認定されています」 
 カウラの言葉にしばらく黙って考え事をしていた監督がぽんと手を打った。
「ああ、だからあんなふざけた塗装をしていたわけだな」 
『ああ、やっぱりそうなるか』 
 誠は自分の機体の魔法少女のデザインで統一された塗装を思い出して苦笑いを浮かべた。あの派手を通り越してカオスだと自分でも思う痛い塗装は、全宇宙の注目を集めていた。
「そうだよなあ。お前は確かアニメ研究会にも所属して……なんだっけ?あの人形」 
「フィギュアです」 
「ああ、それをたくさん作って文化祭で飾ってたよな」 
 すべてを思い出した。そんな表情の監督を見てさすがのカウラまでも苦笑いを浮かべる状況となっていた。そして誠は悟った。このまま高校時代のネガティブな印象をカウラに植え付けることは得策とはいえないことを。
「じゃあ……僕達はこれで」 
「いいのか?他の先生とかもいるんじゃないのか?」 
 明らかに誠の考えを読んだように要を挑発するときのように目を細めてカウラがそう言った。
「いいんです!また来ますから!その時は……」 
「おう!あいつ等にアドバイスとかしてくれよ!」 
 監督もさすがにわかっているようで部員時代は見なかったような明るい表情で立ち去ろうとする誠を見送った。
「急いでどうするんだ?そんなに」 
 早足で裏門から出た誠はそのまま駅の反対側に向かってそのままの勢いで歩く。後ろから先ほどの後輩達がランニングシューズに履き替えたらしく元気に走って二人を抜いていく。
「そうか……」 
 カウラはうれしそうに誠を見上げる。
「ランニングコースなんかの思い出を教えてくれるんだな」 
「ええ……まあ、そんなところです」 
 実は特に理由は無かったのだが、カウラに言われてそのとおりと言うことにしておくことに決めてようやく誠の足は普通の歩く速度に落ち着いた。
 常緑樹の街路樹。両脇に広がる公営団地に子供達の笑い声が響いている。カウラは安心したと言うように誠のそばについて歩いている。
「この先に川があって、そこの堤防の上を国営鉄道と私鉄の線路の間を三往復してから帰るんですよ」 
 誠はそう言いながら昔を思い出した。考えればいつもそう言うランニングだけは高校時代から続けてきたことが思い出される。現在も勤務時には三キロ前後のランニングを課せられており、昔と特に変わることは無い。
「そうなのか」