遼州戦記 保安隊日乗 5
しばらく考えた後カウラは納得したように頷く。そしてそんな二人の前に大きな土の壁が目に入ってきた。
「あれがその堤防か?」
カウラが興味深そうに目の前の枯れた雑草が山になったような土手を指差した。誠は頷くとなぜか走り出したい気分になっていた。
「それじゃああそこまで競争しましょう」
突然の提案。元々こう言うことを言い出すことの少ない誠の言葉にうれしそうに頷いたカウラが走り出す。すぐに誠も続く。
およそ百メートルくらいだろう。追い上げようとした誠が少し体勢を崩したこともあり、カウラがすばやく土手を駆け上がっていくのが見えた。
「これが……お前の見てきた景色か」
息も切らさずに向こうを見つめているカウラに追いついた誠。そしてその目の前には東都の町の姿があった。
ガスタンクや煙突など。おそらく他の惑星系では見ることの出来ない化石エネルギーに依存する割合の高い遼州らしい建物が見える。そしてその周りには高層マンションと小さな古い民家が混在している奇妙な景色。
「まあ、こうしてみると懐かしいですね」
誠は思わずそう口にしていた。
「懐かしい……か」
カウラの表情が曇った。彼女は姿こそ大人の女性だがその背後には8年と言う実感しか存在しない。彼女は生まれたときから今の姿。軍人としての知識と感情を刷り込まれて今まで生きてきた。誠のように子供時代から記憶を続けて今に至るわけではない。
「すいません」
「何で謝る……まあいいか」
そう言うとカウラはうれしそうに思い切り両手を挙げて伸びをした。
「それにしても素敵な景色だな」
川原の広がりのおかげで、対岸の町並みが一望できる堤の上。カウラは伸びの次は大きく深呼吸していた。満足げにそれに見とれる誠。
「お前等もそう思うだろ!」
突然カウラが後ろを向いて怒鳴るのを聞いて誠は驚いて振り向く。しばらくして枯れた雑草の根元から要とアイシャが顔を出した。
「なんだよ……ばれてたのかよ」
頭を掻く要。アイシャはそのままニコニコしながら誠に向かって走り寄ってくる。
「大丈夫?誠ちゃん。怖くなかった?襲われたりしなかった?」
「私は西園寺じゃないんだ」
「カウラ言うじゃねえか……それに誰がこいつを襲うんだ?」
突然の二人の登場に困惑している誠を尻目に勝手に話を進めるカウラ、要、アイシャ。
「そりゃあ襲うと言えば要ちゃんでしょ?」
アイシャは誠が困惑するのと要が切れるのが面白いと言うように挑発的な視線を要に向ける。
「人を色魔みたいに言いやがって……」
「怖い!誠ちゃん助けて!」
抱きついてくるアイシャ。誠はただ呆然と立ち尽くしてまとわりついてくるアイシャを受け止めるしかなかった。わざと胸の当たりを押し付けてくる感覚に苦笑いを浮かべながらカウラを見る誠。
「もしかしてカウラさん気づいてました。?」
さらに胸を押し付けてくるアイシャを引き剥がそうとしながら誠はカウラに声をかけた。
「駅を出たときにはすでに尾行されていたのがわかった。さっき走ったときにはかなりあわてて飛び出していたから神前もわかっていると思ったんだが……」
そう言うと不満そうな顔を向けるカウラ。相変わらずアイシャは誠にしがみついている。
「いい加減離れろ!」
アイシャの首根っこをつかんだ要が引っ張るのでようやくアイシャは誠から離れた。
「勝手に尾行したのは悪かったけどな……」
そう言うと要はカウラの首のマフラーの先を手に取った。
「うわ!」
思い切りその端の縫い取りに向けて怒鳴った要。突然の出来事にアイシャが思わず誠から手を離した。そしてそれを見て要は満足げに頷く。
「あれ見て」
すぐに我に返ったアイシャが指をさす対岸の遊歩道に、耳を押さえて座り込む男女の姿があった。
「島田先輩……」
さすがに目立つ赤い髪の色のサラをつれている島田が耳を押さえて立ちすくむ姿は百メートル以上離れていても良くわかった。
「あの馬鹿。暇なのか?姐御に言いつけるぞ?」
要が舌打ちをする。そして耳を押さえながら土手をあがってくるのは菰田と警備部の面々だった。
「ばれてたんですか……」
お手上げと言うように頭を掻く菰田をにらみつけるカウラ。
「隊長だな。こう言うことを仕込む悪趣味な人は」
そう言って菰田が手にしている小さなケースを取り上げるカウラ。
「悪趣味はよしてもらいたいですね」
カウラは一言ケースにそう言うとそのケースを握りつぶした。
時は流れるままに 31
「あーあ。潰されちゃった」
東都都心部。その中央にある同盟本部合同庁舎司法局局長室。嵯峨惟基大佐は目の前の画面が砂嵐に覆われると静かに伸びをした。入り口からついたてを隔てて設けられた応接ソファーに座った嵯峨、隣には彼の娘で同盟司法局の法術関連の調査を専門とする法術特捜の主席捜査官、嵯峨茜軽視正が苦笑いを浮かべていた。
「相変わらずね。部下で遊ぶのも大概にしておいたほうが良いわよ。そのうち痛い目を見ることになるんだから」
ソファーには座らず嵯峨の隣に立っている東都警察に似た紺色の勤務服姿の妖艶な女性、同盟司法局機動隊、隊長安城秀美少佐は呆れたように嵯峨を見下ろしながら薄笑いを浮かべていた。彼女の立っている隣のソファーには現在は各部局との調整を担当している明石清海中佐がその言葉に大きく頷いていた。
「正直、今年の上からの指示での配置換えですが、うまくいっているみたいですね。安心しましたよ」
その言葉に嵯峨達は局長の執務机に座って頬杖を付いている同盟司法局局長、魚住雅吉大佐を仰ぎ見た。
「まあお前さんの同盟機構軍移籍までは、出来るだけ大事は起こしたくねえのが本音だからな」
「それはそれはお気遣いありがとうございます」
親しげな嵯峨の言葉に大げさに反応する魚住。そして彼はそのまま立ち上がるとソファーを囲む嵯峨達の中に加わった。
「実際あれほど特殊な隊員で構成された実力行使部隊。期待はされるのは当然としてとりあえず私の任期の間にはことも無く終わってくれると良いんですが……」
「正直なのはええけど、正直心配やな。その調子でしゃべっとったらいつか足元すくわれるで」
渋い表情がサングラス越しに見える明石。かつては『官派の乱』で『播州四天王』と呼ばれた盟友の軽口に思わず忠告してしまう。
「良いじゃないの。タコ。正直なのは美徳だよ。何しろ信用ができるからな」
そう言うとポケットから禁煙パイプを取り出した嵯峨。そのまま口にくわえて周りを見回す。
「そうね、だから嵯峨さんは信用が無い」
「ひどいなあ、秀美さん。それじゃあまるで俺が嘘ばかりついているみたいじゃないですか」
「お父様。事実を曲げるのは良くないことですわよ」
安城と娘に言い寄られて苦笑いを浮かべる嵯峨。そしてその時ドアが開かれた。
「失礼しますわ」
甲高い声が響く。そして嵯峨親子の表情が曇る。腰までも長い黒髪を伸ばし、優雅な足取りで司法局の幹部が集まった応接セットに近づいてくる女性士官。
「まもなく昼食会の時間になりますので、皆さんはお帰りいただけませんかしら?」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 5 作家名:橋本 直