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遼州戦記 保安隊日乗 5

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 すでに三個目のコロッケに手をつけている要。あの宝飾品店で見せた胡州一の名家の姫君の面差しはそこには無かった。皿にはソースのかけられたキャベツが山とつまれている。
「ああ、カウラちゃん。ビールとソース。冷蔵庫に入ってるから取ってよ」 
 もうすでに自分の皿にコロッケとキャベツを乗せられるぎりぎりまで乗せたアイシャの声。苦笑いを浮かべながらカウラは冷蔵庫の扉を開いた。
「ああ、酒が無かったな。すいませんオバサン、ウィスキーかなにかありますか?」 
「オバサン?」 
「オバサンじゃなくてお姉さんです!」 
 薫の眼光に負けて訂正する要。誠は振り向いた母の目を見て父の取って置きの焼酎を戸棚から取り出した。
「なんだよ……いいのがあるじゃん」 
 それを見て歓喜に震える要。誠から瓶を受け取るとラベルを真剣な表情で眺め始めた。
「南原酒造の言海か……うまいんだよな、これ」 
 そう言うとカウラからコップを受け取り遠慮なく注ぐ要。
「ちょっとは遠慮しなさいよね」 
 そういいかけたアイシャだが、腕につけた端末が着信を注げた。
「どうした」 
 カウラの言葉に首を振るとアイシャはそのまま立ち上がった。
「カウラちゃん食べててね」 
 そう言って廊下に出て行くアイシャ。その様子を不思議に思いながら誠はアイシャを見送った。



 時は流れるままに 22


 神前家の朝は早い。実家に帰るとこれまでの寮生活がいかにたるんだものだったということに誠は気づく。家の慣れたベッドの中、冬の遅い太陽を待たずにすでに誠はベッドで目覚めていた。
 そのまま昨日色をつけ終わって仕上げをどうするか考えていたドレス姿のカウラの絵を見ながら、のんびりと着替えを済ませる。紺色の胴着。その冷たい感触で朝を感じる。その時ドアの向こうに気配を感じた。
「おーい。朝だぞー!」 
 間の抜けた調子の要の一言。どうやら今回は薫に起こされて来たらしい。夏のコミケの時には女性隊員は数が多かったので道場で雑魚寝をしていたので神前一家が朝稽古が終わったあたりでカウラが起きてくるといった感じだったが今回は気の置けない三人とあって母は自分の起床に合わせてカウラ達を起こしたらしかった。
「わかりました、今行きますから……」 
 そう言って頬を叩いて気合を入れてドアを開く。階段を下りる要の後姿。白い胴着が暗い階段で浮き上がって見える。
「要ちゃん……もう少ししゃきっとなさいよ」 
「だってようまだ夜じゃん。日も出てないし」 
「珍しいな。低血圧のサイボーグか?」 
 階段を下りると同じように白い胴着を着たアイシャとカウラがいる。
「じゃあ、行きますよ」 
 そう言って目をこすっている三人を引き連れて長い離れの道場に向かう廊下を進んだ。
『えい!』 
 鋭い気合の声が響いてくる。さすがに薫の声を聞くとカウラ達もとろんとした目に気合が入ってきた。
「誠ちゃんですらあの強さ……薫さんもやっぱり強いのかしらね」 
 アイシャの言葉に誠は頭を掻きながら振り返る。誠も一応この剣道場の跡取りである。子供のころから竹刀を握り、小学校時代にはそれなりの大会での優勝経験もあった。
 その後、どうしても剣道以外のことがしたいと中学校の野球部に入って以来、試合らしい試合は経験していない。それでも部隊の剣術訓練では嵯峨やシャム、茜や楓は例外としても、圧倒的に速さの違うサイボーグの要と互角に勝負できる実力者であることには違いは無かった。
「あら、皆さんも稽古?」 
 四人を迎えた薫の手には木刀が握られていた。冷たい朝の空気の中。彼女は笑顔で息子達を迎える。
「まあそんなところです……ねえ、要ちゃん」 
 アイシャに話題を振られて顔を赤らめる要。誠はそれを見ておそらく要が言い出して三人が稽古をしようという話になったんだろうと想像していた。
「さすが胡州の鬼姫と呼ばれる西園寺康子様の娘さんね。それでは竹刀を……」 
 薫の言葉が終わる前に要は竹刀の並んでいる壁に走っていく。冷えた道場の床、全員素足。感覚器官はある程度生身の人間のそれに準拠しているというサイボーグの要の足も冷たく凍えていることだろう。
 誠は黙って竹刀を差し出してくる要と目を合わせた。
「なにか文句があるのか?」 
 いつものように不満そうなタレ目が誠を捉える。誠は静かに竹刀を握り締める。アイシャもカウラも慣れていて静かに竹刀を握って薫の言葉を待っていた。
「それじゃあ素振りでもしましょうか……ねえ、シャムちゃん!」 
 急に薫が庭に向かって叫ぶ。木の扉の向こうの生垣。そこから顔を出したのはナンバルゲニア・シャムラード中尉だった。小柄な彼女の頭がぴょこりと浮かぶ様は薄暗い庭の中ではっきりと見えた。
「やっぱり見つかっちゃった」 
 にやにや笑いながら道場の手前で靴を脱いでいるシャム。誠は半分呆れてその消えない笑顔を眺めていた。
「おい、シャム。実験が済んだからってなんで来てるんだよ。勤務じゃねえのか?」 
 スタジアムジャンバーのポケットから取り出した猫耳をつけているシャムに要が呆れたような声を上げた。
「昨日は当直だったんだけどロナルド君達が交代したいって言うから替わっちゃった」 
 笑顔のシャム。カウラも呆れたように竹刀を握り締め、そんなことだろうと予想していたのかアイシャは一人で素振りを開始している。
「じゃあ、オメエもやるか?」 
 要の言葉にシャムの顔が喜びに満たされる。
「いいの?じゃあ……」 
 シャムが振り返る。彼女が隠れていた生垣だがすでに何の気配も無い。誠はそこで直感が働いた。
「ちょっとすいません!」 
 そう叫ぶと誠はそのまま母屋に向かって走り出した。
『ナンバルゲニア中尉はスクーターしか乗らないはず。しかも遠乗りはしない……そうなると……』 
 誠はそのまま母屋の扉を開き、廊下を走り、階段を駆け上がる。
「吉田さん!」 
 部屋の誠の机の前に座ってカウラのイラストを眺めていたのは吉田俊平少佐だった。その前の窓は鍵を閉めていなかったので開け放たれている。息を切らす誠を不思議な生き物でも見るような表情で吉田は振り返った。
「おお、おはよう」 
「おはようじゃないですよ!住居不法侵入ですよ!これは!」 
 悪びれた様子も無く靴をたたみに裏返しに置いた吉田が振り返る。怒鳴る誠。まるで聞くつもりも無いというようにそのまま吉田は椅子に座ると机の上のイラストに目をやった。
「突然なんだ……ってやっぱり来てたか電卓野郎」 
 誠についてきていた要が吉田を見つめる。振り返ってにんまりと笑って見せた後、いつもの無表情で再び机のイラストに目を向ける。
「なんだ?アイシャやカウラは?」 
「あいつ等なら稽古だよ。生身なら鍛えればそれだけためになるだろ?」 
 そう言いつつ要はひたひたと吉田のそばに近づいていく。そして机を覗き込んだ。
「二人とも!それは……」 
「カウラへのプレゼントだろ?別にいいじゃん、少しくらい」 
 恥ずかしがって止める誠。だが二人とも耳も貸さずにじっとイラストを眺める。
「神前……この絵。どこかで描いた覚えは無いか?特に首から上」