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遼州戦記 保安隊日乗 5

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 そう言ってにやりと笑うラン。明らかにそれは無茶な課題を振るときのランの表情だった。
「遠慮します!全力で遠慮します!」 
 要はそう言ってごまかしにかかる。そんな彼女を鼻で笑うラン。今度は黒い機体から冷却液が蒸発する煙と振動を伴う轟音が上がり始めた。整備班員の一部、耐熱装備を着込んだ一群がそれを見守っている。
「島田!固定器具の冷却液を追加注入!それと各部の発生動力の観測データをこっちに送れ」 
 明華はそこまで言うと隣にあった椅子に腰掛けて勤務服の襟の辺りに指を差し込む。
「疲れましたか、大佐」 
 カウラの言葉に黙って笑みで返す明華。次第に機体の振動は止まり、島田の指示で整備班員達がホースやコードを持ってハンガーを走り回る。勢い良く沸騰した冷却液の蒸気が吹き上がる。作業員の叫び声が響き渡る。
「予想以上。そう言う事だな」 
 モニターを見つめていたランの言葉に明華は大きくうなづく。
「機体のスペックはまだしも嵯峨大佐の能力は予定をはるかに超えている……陸軍の連中はまだ相当隠し事をしているというわけか」 
 ロナルドの言葉。それがアメリカ海軍からの出向者の言葉だけに深みを持って誠の耳に響いた。
「そういうことね。まあ隊長を締め上げてものらりくらりとかわされるだけだから。吉田でも捕まえて問い詰めてみようかしら」 
 部下からコーヒーのカップを受け取った明華。画面にはすでにヨハンの観測したデータのグラフが映し出されている。
「大変だな」 
 ランの言葉に明華は大きくうなづいた。
「今夜は明華達は徹夜だろうな。実験データの整理もしばらくかかりそうだし」 
 冬の早い夕暮れは過ぎて、定時の時報が鳴る。ランは明華から送られたデータとにらめっこをしながら難しい顔でハンガーの隣の制御室に集まった誠達を見回した。
 すでに冷やかしに来ていた第四小隊の面々は帰っていた。データ解析を依頼された吉田は電算室に篭りきり、シャムは亀吉を新たなテリトリーである宿直室に連れて行っているところだった。
「本当に良いんですか?」 
 カウラの心配そうな言葉。ムッとした表情でランがそれを見つめる。アイシャの策で休暇をとらされるということが今ひとつ納得できない表情のカウラ。
「オメー等がいなくても仕事は回るよ。ここ数日は技術部はカネミツのデータ収集で整備の連中の手が回らないだろうからな。司法局の実力行使活動も、今頼まれてもうちは動けねえよ。既存戦力の整備に回す人的余裕なんてねーからな」 
 投げやりな言葉に冷ややかな笑い。とても見た目の子供っぽさとは遠く離れたランの表情に誠も愛想笑いを浮かべる。
「みなさーんこれからはお休みですよ!」 
 突然ドアが開く。そしていつものように突然アイシャが叫ぶ。当然のようにそれをランがにらみつける。
「えーん、怖いよう。誠ちゃん。あそこのちっこい怪物が……」 
 そう言ってすばやく誠の腕にすがりつくアイシャ。
「永遠にやってろ!バーカ」 
 アイシャが誠にまとわりつく様子を迷惑そうな表情で見つめるラン。彼女もアイシャのこういうノリには慣れてきたので無視して仕事に集中する。
「クバルカ中佐。私達の仕事は……」 
 そんな気を使ったカウラの言葉に画面を見つめながら手を振って帰れというようなそぶりを見せるラン。
「ほら!実働部隊隊長殿のありがたい帰還命令よ。カウラお願い」 
 車の主のカウラを見つめるアイシャ。仕方がないというように端末を終了して立ち上がる。何度かランを見てみるカウラだが、ランの視線は検索している資料から離れることはない。
「早く帰れ!すぐ帰れ!」 
 そんなランの言葉に追い立てられるようにして誠達は詰め所を後にした。年末が近く、データを手にした管理部の隊員があちこち走り回っている。
「なんか凄く居場所が無い感じなんだけど」 
 忙しそうな隊員達を見て要は頭を掻いた。さすがに彼等がほとんど誠達に目もやらないことに気がついてため息をついたカウラはそのまま廊下を更衣室へと歩き出した。
 そのまま足早に廊下を走り回る整備班員や管理部員の邪魔にならないように端を歩きながら誠は更衣室へ入った。
「あれ?神前さんは今日は……」 
 中でつなぎに足を通していた整備班の西高志兵長が不思議そうな顔で誠を見つめる。その視線にただため息をついた後、誠はそのまま自分のロッカーの鍵を開いた。
「ああ、アイシャさんがクリスマスと正月というものを過ごしたいということで明日から休みなんだ」 
 どう説明するべきか悩みながらの誠の一言に西は首をかしげる。
「それは聞いてますけど……良いんですか?第一小隊はしばらく動けませんよ。それに引継ぎ業務とかはできるだけ口頭でやるものじゃないんですか?」 
 西の言葉に指摘されるまでも無く誠もそれはわかっていた。
「そんなこと言ってもクバルカ隊長の指示だからな」 
 そう言って言い訳をする誠を不思議そうに見つめる西。そしてすぐにその視線は羨望の色に染まっていく。
「いいなあ、僕達はたぶんクリスマスはハンガーで北風浴びながら過ごすことになりそうですよ。たぶん、ノンアルコールビールとかシャンパンとか買って」 
「お前は未成年だろ?それなら島田先輩とかの方が悲惨だよ」 
 つなぎのファスナーをあげて、帽子をかぶっても遅番の仕事開始の時間に余裕のある西は立ち去ろうとしない。
「それにいいじゃないか。にぎやかで」 
 皮肉のつもりで言った誠の言葉だが、明らかに西の心をえぐるような一撃だった。瞬時に顔が赤くなる。そして大きく深呼吸をした西は視線をそらした。
「それじゃあ失礼します」 
 誠を恨めしそうに一瞥した後、西は肩を落として更衣室を出て行った。
 さすがに西と技術部にロナルド達と同じく出向してきているレベッカ・シンプソン中尉との関係を思い出して少し後悔する誠だがどうしようも無かった。そのままジーンズを履いてダウンジャケットを羽織る。
 更衣室の電源を消して廊下に出てみるが、相変わらず活気のある廊下には隊員が行きかっている。電算室から顔を出した島田がうらやましそうに誠を見るが、そのまま勢い良く飛び出すと、早足でハンガーへと向かっている。
「おう、待たせたな」 
 そんな様子を眺めていた誠の後頭部に軽くチョップする要。ハンガーから吹いている風にカウラのエメラルドグリーンの髪とアイシャの紺色の髪がなびく。
「じゃあ、行きましょうよ。どうせハンガーを経由した通路は邪魔になるだけでしょうから」 
 そう言うといかにもうれしそうにアイシャは玄関に向かう階段を降り始めた。
「でも良いんですか?本当に」 
 誠の不安そうな顔に先頭を闊歩していたアイシャが長い髪を振るようにして見つめてくる。
「大丈夫よ!まず隊員相互の信頼関係を構築すること。そして社会とのコミュニケーションを重視すること。公僕ならば当然でしょ?」 
「そりゃあ理屈だ。でもそれじゃあただの税金泥棒じゃねえか」 
 ぼそりとつぶやいた要を挑発的な視線で見つめるアイシャ。
「そうでもないわよ。今回の『カネミツ』の部隊配備に関する予算はすべて嵯峨家から出てるのよ」 
「でもアタシ等の給料は?」