遼州戦記 保安隊日乗 5
それから三百年。一人の浮かない青年、神前誠の示した法術の力が各国に法術師の存在を思い出させることになった。秘密裏の研究ばかりだった法術関連技術は白日の下に晒され、違法研究を行っていた研究者の断罪を叫ぶ声が日に日に増しているところだった。
そして今、その秘密研究の成果であるクローン人間ジョージ・クリタと駐留武官である男にも名前を知らされていない少女を大使館の車でこの港の見える小山まで運ぶことになった。
「カネミツねえ……刀の名前を呼称にするとはさすがに胡州人なんだな、嵯峨惟基と言うおっさんは」
クリタはニヤニヤと笑いながら港の光に目を向けている。
「でもあなたも同じ遺伝子で作られているのよ、何か感じないの?」
少女の言葉にクリタは一度顔を少女に向けるが、変わることの無い少女の表情に飽きて再び港に目を向ける。
「司法執行機関の法術使用の限定措置に関する法律。まあ試案が出来るのもそう遠くないだろうからね。その前に制限に引っかかる可能性のあるアサルト・モジュールを配備する。嵯峨と言う人物は面白い人わね」
このとき初めて少女は笑みのようなものを浮かべて港を見つめていた。
急に少女はドアを開いて車に戻る。少年がその様子にあっけに取られていると急に強い光が彼を包み込んだ。
「君達!そこで何をしている!」
東和警察の機動隊と思われる二人の警官が車に近づいてくるのが見える。それをめんどくさそうに見つめたジョージは静かにファスナーを下ろすと小便を始めた。
「オジサン達!ごめんね。おしっこが……」
近づいてきた警官のうち、頬に傷のある巡査長の顔に笑みが浮かぶ。
「坊ちゃん、そんなところでしちゃ駄目だよ。近くに……」
そこまで言ったところで太り気味の方が相棒のわき腹を突いた。彼の視線が車のナンバープレートに移るとその表情に驚きが走る。
「外ナンバー?大使館の専用車両ですか」
二人の表情が厳しいものに変わる。肩から提げていたカービン銃に手をかける二人。それを見て運転席の男は車から降りた。
「すみませんね。カクタとか言う町の交流イベントの帰りでしてね」
男の言葉を口をあけて聞いていた警官も相手が大使館の関係者と聞いて、とりあえず銃から手を離すとヘッドギアに付けられた通信機で本部に連絡を送る。
「本当に申し訳ないね。おう、ジョージ。済んだか?さっさと帰らないとお父さんが心配するよ」
ジョージは警官達が神妙な顔で本部との交信を続けているのを見て舌を出しておどけてみせる。そんな彼を軽蔑のまなざしで見上げる少女。一瞬止んでいた北風が再び彼らの間を吹きぬけていく。
「そうですか。本部から後で大使館に確認が行くと思いますので」
太った警官の言葉に愛想笑いを浮かべる男。
「本当にお手間を取らせましたね。それにしてもずいぶん派手に照明を使っての搬入作業ですねえ……何を運んできたんですか?」
そんな何気ない言葉にピクリと反応する警官。それを見て車に乗り込もうとしていたジョージはドアに手をかけたままじっとしている。その瞳は興味深げに警官達の反応を観察することに決めたように車の屋根をぎょろぎょろと見回す。
「残念ながらお答えできかねます」
警官の表情が凍りつく。男はさらに質問をしようと思うが、上司から指示を思い出した。
「じゃあ、お仕事がんばってくださいね」
そう言って男は運転席に身体を沈めた。それを見て素早く車に乗り込むクリタ少年。
「お答えできませんだって!馬鹿じゃないの?あの中身が化け物みたいに強いって言われているアサルト・モジュールだってちょっと調べれば僕だってわかるよ」
「仕方ないですわ。それがあの方達のお仕事ですもの」
後部座席に座る二人のとりとめのない話題に苦笑いを浮かべるとそのまま車をバックさせて国道へ向かう直線道路に乗り入れることに決めた。
時は流れるままに 9
「要さん……」
青白い顔をして誠はハンガーの前で泣きそうな顔で要を見つめていた。要、カウラ、アイシャとの昨日の飲み会。いつものようにおもちゃにされた誠は泥酔して全裸になっているところをアイシャに写真に撮られて朝その姿を見せ付けられていた。
「何のことかねえ」
とぼける要に賛同するように頷くアイシャ。カウラは諦めたように視線をハンガーの中に向けた。
「スミス大尉」
気がついたようにカウラが叫んだ。ハンガーで呆然と中に並ぶ05式とM10を見上げている大柄の男、ロナルド・J・スミス特務大尉がぼんやりと立っている。振り向いた彼は少し弱ったような顔で笑いかけてくる。
「やあ、いつも仲がいいんだね……」
何か言いたげな瞳に誠達は複雑な気持ちになる。
「今回のことは……」
カウラの言葉に力無く笑うロナルド。誠はそのまま近づこうとするが思い切り要に引っ張られてよろける。
「何するんですか!」
思わずそう言い掛けて口を要にふさがれた誠。その耳にアイシャが口を寄せる。
「下手に励まそうなんて考えない方がいいわよ!地雷を踏むのは面倒でしょ!」
そこまで聞いて誠はロナルドの休暇を切り上げての原隊復帰が婚約を破棄されたことがきっかけだったことを思い出した。そのことを思い出すと二日酔いでぼんやりした意識が次第に回復して背筋に寒いものが走るのを感じた誠。
「いいねえ、君らは……」
冷めた笑いを浮かべた後大きくため息をつくロナルド。誠はそのまま要に引きずられて事務所に向かう階段へと連れて行かれる。何か声をかけようとしていたカウラだが、そちらもアイシャに耳打ちされてロナルドとの会話を諦めて誠達のところに連れてこられた。
「きっついわ。マジで。どうするの?」
アイシャはそう言うと呆然と勤務服姿で整備の邪魔になっていることにも気づかずにアサルト・モジュールを見上げているロナルドを指差した。
「知るかよ!それよりシャムや楓が怖いな。あいつら空気を読む気はねえからな。絶対地雷踏むぜ」
「ひどいな!地雷なんか踏まないよ!」
「わあ!」
要の後ろからシャムの大声が響いて驚いた誠がのけぞる。猫耳が揺れる、黒いショートカットがその下で冷たい風になびく。
「声をかけるなら先に知らせろ!」
さすがにいきなり声をかけられて驚いたように要がシャムを怒鳴りつけた。
「え?だって私ずっとここにいたよ」
すでに勤務服に着替えているシャムの頭には猫耳があるのはいつものことだった。それを見ていた誠の足元で何かが動く。それは小山のようなシャムの愛亀の亀吉だった。魚屋の二階に下宿しているシャムの説明では床が抜けると言われて隊に運んできたと言うことらしい。
潤んだ瞳で誠を見上げる亀吉。誠はその甲羅に手を伸ばすが何か気に入らないのかゴツンと誠の弁慶の泣き所に体当たりをしてきた。
「うっ!」
そのまま打撃を受けた足を押さえてかがみこむ誠。
「ざまあ」
要の無情な言葉に誠は痛みを抑えながらタレ目を見つめた。
「じゃあ私は……」
アイシャの言葉に手を伸ばす要。
「逃げるなよ!」
階段を登ろうとするアイシャを要が羽交い絞めにした。そんな要の気持ちは誠にも予想が出来た。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 5 作家名:橋本 直