遼州戦記 保安隊日乗 5
「でも確かに参考にはならないわね。アイシャちゃん達は普通のクリスマスの過ごし方をしたいんでしょ?」
春子の微笑みに苦笑いを浮かべるカウラ。それを見て誠も頭を掻きながら周りを見回す。
「やっぱり恋人と二人っきりって言うのが定番よね」
「あの、春子さん……」
誠は三人の脅迫するような視線を浴びて情けなく声をかける。春子は笑顔で手にしたグラスの中のビールを一息で飲み干した。
「それに至るには私達の経験値が足りないのよ。だから、とりあえず家族や仲間でのクリスマスの過ごし方を体験しようと……」
珍しく焦った調子で言葉を並べるアイシャ。隣で大きくカウラが頷いてみせる。
「そういうことなんで春子さんは何か……」
ようやくタイミングが見付かり誠が声をかける。その後ろではグラスにウォッカを注ぎながら威圧してくる要の姿があった。
「私ねえ」
要の言葉にうつむいて空になったグラスに自分でビールを注ぐ春子。そのままグラスのふちを撫でながら思いにふけるようにうつむいている。
「あんまり良い思い出は無いかな」
そう言ってすぐに春子は誠に目を向けた。東都の盛り場で育ったと言う彼女の話を人づてに聞いていた誠はしまったと思いながら頭を掻いた。
そんな誠を見ると春子は雰囲気をリセットするような笑みを浮かべる。
「やっぱり神前君の話を聞きましょうよ」
春子は弱り果てていた誠を見つめた。誠は照れて要達に目をやってすぐに後悔した。春子に色目を使っていると誤解した三人はかなり苛立っていた。ともかくこの場を収めなければと言う義務感が誠を突き動かす。
「まずはケーキですね」
「それなら私が手配するわよ。なんと言ってもカウラの誕生日なんだから」
ようやく落ち着いてアイシャが自慢げに語るのに白い目を向ける要。カウラはどうでも良いというように突き出しを突いている。
「それとチキン。まあ地球では七面鳥を食べるところもあるそうですが」
「動物ならシャムに頼むか?」
要の言葉にアイシャが大きく首を振る。確かにシャムなら七面鳥を持ってきても不思議ではない。時にはこのあまさき屋にもイノシシや山鳥などの猟で取れた肉や、どこから手に入れたのかわからない珍しい鶏の卵などを持ってくることもある。
「鶏肉で良いんじゃないのか?そんな珍しいものは必要ないだろ」
烏龍茶を飲みながらカウラがつぶやく。アイシャはその言葉に納得するように頷くと誠の次の言葉を待った。
「ツリーとかはどうします?」
誠も久しくクリスマスらしいものとは無縁なので、そう言ってアイシャを見た。ぐっと右手の親指を上げて任せろと目を向けるアイシャ。
「勝手にしろ」
そう言うと要はグラスを口に運ぶ。
「他にシャンパンは……」
「スパーリングワインでしょ?」
「どっちでもいいよ。でも貴様等は飲むな」
カウラの言葉にアイシャが合わせて要が二人に目を向ける。そんな場景を笑みを浮かべて眺めていた誠。
「愉しそうね。うちも店を閉めて神前君のところお邪魔しようかしら」
そう言って微笑む春子に要がタレ目で空気を読んでくれと哀願するようなサインを送る。
「冗談よ、冗談。うちが店を閉めたらシャムちゃん達まで押し寄せるわよ」
「それはちょっと勘弁してもらいたいですね」
愛想笑いを浮かべる誠。そんな彼の視線に一人で腕の端末に何かを入力しているアイシャの姿が目に入った。
「何をしてるんですか?クラウゼ少佐」
「ん?」
誠の言葉にアイシャの行動を見つけたカウラが端末の画面を覗きこむ。
「クリスマスを愉しく過ごす100ヶ条。お前、本当にイベントごとを仕切るのが好きだな」
呆れたようにカウラは烏龍茶を口に運ぶ。要もカウラの言葉でアイシャの行動に興味を失って静かに空のグラスにウォッカを注ごうとした。
「あれ?空かよ。春子さん」
「今日はウォッカは無いわよ。先月頂いたジンなら一ケース封も切らずに置いてあるけど」
「じゃあ、それで」
要の言葉に厨房の入り口に立っていた小夏が呆れたような顔をした後中に消えていった。
「でも、愉しそうよね。できれば写真とか撮って送ってね」
春子はそう言うとさわやかに笑いながら立ち上がり奥へと消えていく。その様を見送っていた誠の目を見て複雑な表情を浮かべた要。
誠が厨房を見つめているのを幸いに懐からウィスキーの小瓶を取り出した要は蓋を取って誠の飲みかけのビールのジョッキに素早く中身を注ぎこんだ。
「素敵ですよね、春子さん」
うれしそうに言う誠に伏せ目がちに視線を送る要。アイシャは要の行動を見ていたが誠がジョッキに口をつけるのを止めることはしない。
「ぐっとやれ、ぐっと」
カウラも煽るようにつぶやく。誠は不思議に思いながら一気にジョッキを空にした。
「あれ?なんだろう……目が回るんですけど……」
そう言った言葉を残して誠は腰が抜けたようにその場にへたり込んだ。そしてそのまま意識は混濁した闇の中に消えた。
時は流れるままに 8
冬の夜。冷たい山脈越えの乾いた北風が髪をなびかせる。小型の赤外線反応式暗視双眼鏡を手にした少年は、じっと東和でも屈指の軍港である新港に浮かぶ貨物船を眺めていた。
「ずいぶんとまあ慎重なことで。さすがに『あれ』を運ぶにはあのくらいの護衛をつけたくなるのもわかるな」
そう言って少年は隣の背の高い少女に双眼鏡を手渡した。
「見る必要なんて無いわ。このまま何事も無く豊川市の菱川重工のラボに届くのを見守る。それが任務ですもの」
手渡された双眼鏡はアメリカ製の高級乗用車の運転手から顔を出している背広の男に渡された。
「寒くないのか?君達は」
男はうすいデニム地のジャケットを引っ掛けている少年を見上げる。少女も薄手のセーターを着込んだだけの格好で冷たい北風の中に立っている。少年、ジョージ・クリタはうれしそうに男から再び双眼鏡を受け取って、煌々と夜間作業で貨物船から運び出されるコンテナを見つめていた。
「厳重な警戒とはこういうことを言うんだろうね。実際、法術関係の捜査機関が先日の同盟厚生局の暴走で再編成を迫られている時期だ。そこにこれだけの法術師の護衛を付けれるとは……さすがだね」
「感心しているばかりじゃいけませんよ」
胸の辺りまでの身長しかないクリタ少年をたしなめるように少女はそう言った。男は正直、彼女の無表情が恐ろしかった。
法術師の存在は、地球人がこの星の先住民族『リャオ』と出合って数年で植民を始めた地球各国の首脳には知らされていた。そしてそれは入植の中心的役割をになっていたアメリカ軍の研究対象となった。
その後、第四惑星でテラフォーミング業務とコロニー建設の護衛を勤めていた胡州での旧日本出身の軍人による叛乱や、入植者と先住民の結束した地球からの独立運動により地球は遼州経営を諦めることになった。だがその後も地球の列強はあらぬ差別を受けることを恐れて法術師の存在を無かったことにしたかった遼州諸国と連携して法術関係の技術の無期限凍結に関する条約を結ぶことになった。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 5 作家名:橋本 直