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遼州戦記 保安隊日乗 5

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 そうきっぱりと言った誠の言葉に要が口の中の酒を吹きかけた。手で口を覆いながら咳き込む要。
「全く汚いわねえ。誠ちゃんも何で?すき焼き食べたこと無いの?」 
 アイシャの嘲笑。だが、隣のカウラは豚玉を突きながら考えている。
「そうだな。古い家にはそれに似合う慣わしと言うものがあるらしい。西園寺のすき焼きもそれのようなものなんじゃないのか」 
 その言葉を聞いて安堵の笑みを浮かべると隣の要を見た。あまり好きではないカウラにフォローされたのが気に入らないのか、ウォッカを含む口元に不満そうな表情が浮かぶ。
「はあ、なるほど……ねえ」 
 カウラの言葉に納得したアイシャが好奇心に満たされたような顔で要を見つめた。その瞳は黙り込んで酒を飲む要に向けられている。
「いわれとかじゃないと思うぞ。爺さんが肉好きだったってだけの話だからな」 
 そう言うと頭をひねって言葉を連ねた要。それに引き込まれるようにして誠達は要の言葉を聞くことにした。
「いいじゃないの!隠さなくたって。呪い?それともおまじない?聖書の西園寺家流の解釈で生まれたとか言う話なら素敵じゃない」 
「どこがだよ!」 
 そう叫ぶと空になったグラスを置いた要。誠は自分の中ジョッキを置いて要のウォッカの瓶を手にして勺をした。
「お、おう。有難うな」 
 慣れない感謝の言葉を口にしながら再び要は話し始めた。
「たぶん……どうだろな、材料の確保とかさあ、実用的な面で昔からそうなっているんだろうな」 
 要はそう言うと誠の注いだ酒を口に運ぶ。
「あら、西園寺さんのおうちの話?素敵だわ、是非聞かせてちょうだいな」 
 そう言って厨房から現れたのはこの店の女将の家村春子だった。その後ろでは明らかに自分の嫌いな要に母を取られたことを悔しがるような表情を浮かべている小夏の姿がある。
「春子さんなら知ってるでしょ?アタシの家には最近は減ったけど結構な数の居候がいること」 
「それは居候とは言わないでしょ?食客(しょっきゃく)と言う言葉が正しいんじゃないの?」 
 そう言うと春子は振り向いた。彼女の弾んだ表情に誠の頬も緩む。
「小夏、ビール頼める?」 
 紫の着物の袖をたくし上げて隣の空いた椅子を運んできた春子が通路側に席を構えた。
「え?お母さんも飲むの?」 
「いいじゃないの。どうせ要さんのおごりなんでしょ?」 
 そう言って微笑む春子になんともあいまいな笑いを浮かべた後、要は再び話を続けた。
「まあずいぶん前からのしきたりでね、画家や書家、作家や詩人、芸人ばかりでなく政治を志す書生も主義を問わずに抱え込むのがうちの流儀でね。実際、当主が三人書生に殺されているってのに本当によくまあ続いたしきたりだよ」 
 そう言う要の言葉に合わせるようにビールの瓶とグラスを持ってきた小夏。
「あら、神前君のがもう無いじゃないの。要さんのおごりなんだからねえ。小夏」 
 春子はそう言うとビール瓶を持つと静かに誠のジョッキに注いだ。そしてそのまま自分のグラスにも注いで見せる。
「気が利かねえなあ、神前」 
「いいのよ要さん。それで続きは?」 
 誠は要の話を黙って聞いているアイシャとカウラを見た。誠もとても想像もつかない雲の上の世界の話。それを要は再び続けようとした。
「まあ、胡州は独立直後は神道と仏教以外のイベントは全面禁止だった国だってのはお前等も知っていると思うんだけど、まあ世の中飯の種だ。実際摘発なんてやっていない事実上の解禁状態だったからな、アタシの餓鬼のころは」 
 そう言ってグラスを煽る要。満足げに春子は要の言葉に頷いている。
「当然、解禁されたら便乗商売もいろいろ出てきてクリスマスも話題になるようになった。そこでうちでは食客の中でも稼ぎ時のクリスマスにお呼びのかからない連中がほとんどだからと、クリスマスと正月くらいは力のつくものを食べてもらおうって何代目か前の当主が肉を配ることを考えたんだ」 
「それですき焼き……」 
 アイシャはそう言いながらビールを口にする。誠が中ジョッキを置いた。
「兄貴、注いで来るね」 
 そう言うと小夏は誠のジョッキを持って厨房に消える。カウラも納得したように頷きながら要の言葉が続くのを待った。
「腹に溜まることを重視すると言うわけか」 
 カウラは頷きながら豚玉の最後の一口をつまんだ。その隣でしばらく目をつぶっていたアイシャ。ゆっくりと目を開く。
「でも、上流貴族のレベルの肉ってそんな……」 
「あのなあ、もう一年半の付き合いだろ?観察力のねえ奴だなあ」 
 呆れたような視線をアイシャに発する要のタレ目。実際この目で何度も見られている誠はその独特の相手を苛立たせる感覚を理解して複雑な表情で睨み返しているアイシャのことを思っていた。
「何言うのよってああ……」 
 要に嘲笑のような言葉を浴びせかけられてアイシャは手を叩いて何かを悟る。そんな様子をほほえましく見守る春子。
「はい!兄貴!」 
 計ったようなタイミングで小夏が誠にジョッキを運んでくる。要とアイシャの間の緊張した空気が解けた。
「貧乏舌だもんね、要さんは」 
 春子に指摘されて要は頭を掻いた。確かに要の悪食は有名だった。ともかくまずいと怒っているのは菰田の味付けが崩壊した料理と、目の前の二人の料理を出されたときだけ。後は鮮度が見るからに落ちている魚だろうが、ゴムのように硬い肉だろうが、素材で文句を言うことはまず無い。そして味付けも量の測り方がおかしくて誰もが文句をつけるところでも平気で食べている要を良く見かけた。
「まあ、否定はしねえよ。西園寺の家は代々そうなんだ。爺さんも食い物に文句をつけたことが無いって言うし、親父もおんなじ。まあ遼南貴族の出のお袋やその甥の血筋の叔父貴なんかは結構舌が肥えてて、いろいろ文句を言うけどな」 
 さらりとそう言ってグラスの酒を飲み干す要。誠はなんとなく納得ができたと言うように出されたビールを飲み干した。
「でも結構な量なんじゃないのか?何百人っているんだろ?食客」 
「ああ、でもお祝い事の季節に最下等の肉ばかり買いあさる貴族なんていねえからな。書生連中もコネがあるから流れ作業で何とかなるみてえだったぞ」 
 要はそう言うと今度は自分で酒を注いだ。
「わかったことがあるわ!」 
 突然アイシャが叫ぶ。いかにも面倒だと言うような顔で要がアイシャを見つめた。
「なんだ?」 
 アイシャをにらみつける要の目をじっと見つめた後、アイシャが口元に勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「要ちゃんの話は全く参考にならないということよ!」 
「だったらしゃべらせるんじゃねえ!」 
 大声で怒鳴りつける要。さすがにその大きな声に誠は驚き、カウラと春子は顔をしかめる。
「だから外道って言うんだよ」 
 厨房の入り口の柱に寄りかかっていた小夏は少し引き気味にそう言うと奥へと消えていった。
「あんまり大きな声出さないでよ……」 
 そう言うとアイシャはビールを口に運んだ。その様子をにらみつける要の手が怒りに震えている。誠はできるだけ穏便にことが済むようにと願いながら様子をうかがう。