遼州戦記 保安隊日乗 5
さすがにその言葉の意味が分かったというように苦笑するドム。彼も遼南帝国では軍に在籍していた経歴がある。この異常にルーズな体制には彼もはじめは戸惑ったに違いないことは誠にも分かった。
「ああ、アタシ等はいつも残業があるからねえ。定時に帰れる人はうらやましいや!」
みかんを手にしながらの要の一言にドムの顔が曇る。とりあえず話題が変わってほっとするが間に立つ誠は二人の間でおろおろするしかなかった。
「でもそれでいいならそうすれば。誠ちゃん」
アイシャのその一言で誠はゲートを上げた状態で止まるように操作した。
「じゃあ失礼するよ」
そう言うと足早に車に乗り込み急発進させて消えていくドム。
「ったくよう。あれじゃあ看護師が欲しいなんて言えねえよなあ。民間の病院の医師の方が数十倍仕事をしてるぜ」
「そうよね。でもまあ出動時には一番の頼みの綱だもの。普段は英気を養っていてもらわないと」
珍しく頷きあう要とアイシャ。それを見ていた誠が立ちひざのままコタツに向かう。
急に腹の虫が鳴いた。それを聞くとアイシャの表情が変わった。元々切れ長の瞳には定評があるアイシャだが、さらに目を細めるとその妖艶な表情は慣れている誠ですらどきりとするものがあった。
「あら?神前曹長のおなかが……」
アイシャはそう言うと舌なめずりをした。当然要のタレ目も細くなって誠を捉えている。
「仕方ないだろ。時間が時間だ。それに貴様等が神前を外に出しておくからエネルギーの燃焼が早まったんだ」
二人の暴走が始まる前にとカウラの言葉が水をさす。
「そうなの?誠ちゃん?」
今度は悲しそうな表情を演技で作って見つめてくるアイシャ。誠はただ頭を掻くしかなかった。
「でもそうすると買出しか出前か……」
そう言いながらも要の手には近所の中華料理屋のメニューが握られている。
「決まってるなら言うな」
カウラの一言と無視して暮れてきた夕日と自然に付いた電灯の明かりの中で麺類のメニューを見る要。そんな要を見ながらアイシャが人差し指を立てる。
「ああ、私そこなら海老チャーハン」
メニューの背表紙で店を推察したアイシャはそう言い切った。要はしばらく眉をひそめてアイシャを見つめた後、再びメニューに目をやった。
「アタシは麺類がいいんだよな……カウラ。貴様はどうするよ」
判断に困った要はメニューをカウラに押し付けた。困ったような表情で誠を見た後、カウラは差し出してくる要の手の中のメニューを凝視した。
「あっさり味が特徴だからな……あそこの店は」
そう言いながらすでにカウラは食欲モードに入っていた。意外なことだがこの三人ではカウラが一番の大食だった。
基本的にカウラ達、人造人間『ラストバタリオン』シリーズの人々は小食で効率の良い代謝機能を保持している。運行部部長の鈴木リアナなどは『お姉さんと言えば半チャーハン』と言うキャッチフレーズをアイシャが考えるほど食欲とは遠い存在だった。
その中で代謝機能の効率化や食欲の制御、栄養摂取能力の向上研究の成果はカウラには見られなかった。172cmの身長の彼女だが、時としては186cmの誠よりも食べることがある。そしてこう言う出前のときもしばらく選択に迷う程度の食へのこだわりがあった。
「私もご飯物がいいな。出来れば定食で……回鍋肉定食か……それでいいか」
そう言うとカウラはメニューを要に返す。そして要はそのメニューを誠からも見える位置に置いた。
「おい、神前はどうするよ」
要のタレ目が誠を貫く。こう言う時は要は誠と同じものを頼む傾向があった。そしてまずかったときのぼろくそな意見に耐えるのは気の弱い誠には堪える出来事だった。
「そうですね」
先ほど要は麺類を食べたいと言った。ご飯ものを頼めば彼女が不機嫌になるのは目に見えている。
「五目……」
そこまで言って要の頬が引きつった。五目そばは避けなければならないととっさに判断する誠。彼女は野菜は苦手なものが多い。そこで誠は視点を変える。
「じゃあ排骨麺で」
「じゃあアタシも同じと言うことで頼むわ」
そう言って要はメニューを誠に投げる。受け取った誠はすぐに端末を開いて通信を送り注文を済ませた。
「じゃあご飯も用意できたことで」
アイシャはそう言って後ろの棚に四つんばいで這って行く。誠が振り向くと誠に手を振りながら帰って行く運行部の女性士官が目に入る。
「おい、神前。色目使って楽しいか?」
背中から投げかけられた要の声に誠は我に返って正座していた。空腹の要の神経を逆なでしてと苦になることは一つもない。
「ちょっと!」
戸棚に頭を突っ込んでいたアイシャが叫ぶ。彼女の奇行に慣れている誠達はそれを無視した。
「ちょっとって!」
戸棚から書類の入ったファイルを手にしてアイシャが顔を出す。その手に握られたファイルを見てようやく誠達はアイシャが何かを見つけたことに気づいて耳を貸す心の余裕を持つことにした。
「なんだよ……つまらねえことなら張り倒すからな」
そう言いかける要だが、アイシャの手にあるファイルが輸送予定表であることに気づいて怪訝な顔でそれに目をやった。
「なんだ?そんなファイル。何か大物でも搬入する予定があるのかね」
そう言って要が明らかに不自然な厚さのファイルを手に取るが、彼女がその表紙をめくったとたん、表情が瞬時に緊張したものへと変わった。
「神前。そこの窓閉めろ」
要の表情からそのファイルの重要性を理解した誠は、ゲートが見える窓に這って行き窓を閉める。外では訓練の対象には選ばれなかった遅番の警備部の隊員が不思議そうに誠を見つめている。
「何かある……とは思っていたけどねえ……」
カウラは要の手のファイルを伸びをして覗き込んだが、すぐに黙り込んだ。
「まあマリアの姐御がわざわざ暇な私達を呼んだってことで予想は出来ていたことなんでしょうけどね」
アイシャがそう言うと出がらしの入った急須にポットのお湯を注ぐ。
「噂は前からあったしなでも今のタイミングか……」
「今だからじゃないの?ランちゃんも配属されたことだし。それを装備して同盟の威信を見せ付けて結束を印象付ける。タイミング的にはばっちりだと思うけど」
要、アイシャの緊張した面持ちと言葉。誠はそのファイルの内容が想像もできず、ただぼんやりの三人の顔を眺めていた。
「ああ、それじゃあ裏取ってみるか……」
そう言って腕の通信端末からコードを伸ばして自分の首のスロットに差し込もうとする要を見てようやく決心が付いた誠は口を挟むことに決めた。
「なんなんですか?何が搬入されてくるんですか?」
誠の言葉に手を止めて呆れたような表情を作る要。カウラは額に手を当てて部下の態度に呆れていた。アイシャもまた呆然として誠をじっくりと眺めている。
「あのさあ、叔父貴の愛機と言えばなんだ?」
手を休めた要の一言。誠は何か考えがある要を意識しながら考えてみる。
「四式改じゃ無いんですか?」
その言葉にカウラは大きなため息をついた。明らかに自分を非難していることがわかるその態度にさすがの誠も頭に来るところがあった。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 5 作家名:橋本 直