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よしよし申すまじ

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「まぁ、なんと勇ましい事でしょう!」



猛姫さまは口角を上げました。満鷹様はきっと、彼女は優しく微笑んだとお思いのことでしょう。
なんせ、彼は妻の顔を直視する事が出来ないのですから。

濁った瞳が全く笑っていない事に気がつく訳がないのです!

あぁ、やはり、昨晩の事は夢ではなかったのでした。
猛姫様は知っていらっしゃる。なんせ実際に私を鞘から抜いたのですから。そのような秘術が抜かず一閃に宿っていないという事など……。



「その名刀があれば、我らが朝比奈家も安泰でございますわね」

「そうだな。だが、これを引き抜くことが無い事を祈るよ。……私は戦が嫌だからな」

「お優しい満鷹様!私はそんな貴方様が愛おしくてたまりませんわ!」



寄り添うお二人は、上辺だけは本当に仲睦まじくて。はたから見れば微笑ましいものだったでしょう。
しかし、奥方の正体をしっている私はとても見ていられませんでした。
今にでも猛姫様が満鷹様を喰らおうと、飛び掛るような気がしてならなかったのです。



その日以来頻繁に、姫様は満鷹様がお休みになられたのを見計らって、夜中に抜け出すようになりました。
召し物を脱がれ、そして、抜かず一閃をお供にして。


彼女は私を用いて人の首を斬る時もあれば、噛み殺した後の死骸を細かくするために使うときもありました。
そして、哀れな人間だったものを人目の付かない所へ引きずるのです。

屍の衣服で私の身体に付いた体液をぬぐった後に、彼女の食事の時間が始まりました。
手を使って死肉を貪る様。切り落とした首の切り口に直接口をつけて血を啜る様は、山犬のように浅ましく……。


あぁ仏様!これが本当に血の通っている人間の所業なのでしょうか?


 猛姫様が好んだのは、うら若い娘やほんの年端もいかない子供のもも肉で、その部位だけは肉片一つ残さず骨になるまで食べられました。
逆に年寄りの肉はお嫌いなようで、老いた馬丁を殺した時には、ほほの肉を少し喰らっただけで捨て置いたこともございます。

さて、お夜食は済んだ後、彼女は川に降りて自身の身の穢れを落としました。
服をお召しになっていないのは、布に付着した血液が取りにくい事を見通してのことでしょう。
そして、何食わぬ顔で館に戻ると、寝巻きを纏い、寝具の間に滑り込むのです。


人を食べた日の翌朝、猛姫様は全く箸を飯につけられないのが常となっていました。
当たり前です。あれだけ肉を胃の中に入れたのですから。
しかし、何も知らない満鷹様は可哀相だといって涙されるのです。


「過去に囚われた哀れな猛」と言って!



抜かず一閃はこれほどまでに、口や声が欲しいと思ったことはありません。
言葉さえ発する事ができれば、あの鬼女の化けの皮をはがしてやれるのに。

しかし、私は何の変哲も無い無銘の刀。どうすることが出来ないまま月日は流れ、夏が過ぎ秋が過ぎて冬がやってきました。

文月から神無月にかけて、しょっちゅう村に下り(時には大胆な事に、館の中でも)人を襲っていた猛姫様だったのですが。
流石に冬の夜中を全裸で彷徨うのは身に堪えられなかったのでしょう。年の瀬が迫ってきた頃には、全く出歩くことはなくなったのでした。


さて、血を浴び続けた刀は年を経ると妖力を授かるといいますから、毎夜のように返り血塗れになっていた私はそろそろ妖刀らしく口を聞けてもいいはずなのに。
初めて酔っ払った若者を斬った時に幻のような夢のような物を見た以外は、全く持って変化が無いのです。

寧ろ私の能力は退化しているように思えたのでした。
最近物忘れが激しく、物を考える力も鈍って。酷い時には気を失ったようになり、気がついたときには二三日時間が経っていた時もありました。


……近頃、猛姫様が出歩かなくなったお陰で、大分気分が良くなったのですが……。

このままでは、私は他の刀同様物を考えぬただの鉄くずに成り下がってしまうでしょう。
それまでに、何か策を練ればならなければなりません。猛姫様が満鷹様に危害を加える前に。

私はこのように動けませんが、それなりに出来ることがあるはずです。

手遅れになる前に……早く……。



* * *



猛姫様の事は気がかりでしたが、それ以上に深刻な問題が満鷹様……いえ、朝比奈家全体に襲ってきました。
正月から一突きと経たないうちに、友好関係にあったはずの強大な隣国が攻め込んできたのです。

金山銀山を抱えているわけでもなく、かといって稲作に適した豊穣な大地があるわけでもない。
地図上では豆粒よりも小さく描かれるぐらい矮小。
関白様が御座します京とは、かけ離れた場所に位置する朝比奈家領地。

そのような土地をわざわざ軍を動かしてまで欲しいと思うでしょうか?

敵大将の目的は、どうやら土地ではなく、満鷹様が奥方・猛姫様にあるようでした。
彼女の陽光の如き美貌は、近隣の国々にも知れ渡っていたのです。
英雄色は好むといいますから、一代で成り上がった才のある隣国の主が欲しがるのも無理は無い事でしょう。


敵は大群で押し寄せたかと思うと、あっという間に朝比奈家の館を取り囲んでしまいました。
どうやら、我々を干殺しにするつもりなのです。事実、敵軍勢は突撃する訳でもなく気味の悪いぐらい沈黙を保って、周囲に留まっているだけなのでした。



陸の孤島になってしまった館。
井戸はあるものの、館中の人間が養えるほど水はありませんし、食料の蓄えもそこそこあるものの、限りがございます。

最初になくなったのは米でした。次に野菜が底を尽き、とうとう城内に生えている植物雑草全てを食べつくしてしまいました。(無論、庭の菖蒲も一本残さずに)
更には馬を殺して食い、それが無くなれば、犬猫鳥、果ては鼠までを城の人々は焼いて食ったのです。
しかし、それらの動物も居なくなり、籠城してから十日経った時点で、とうとう餓死者を出してしまったのでした。



私は刀ですから、飲まず食わずでも一向に平気です。
しかし、あんなに血色の良かった満鷹様がやせ衰えていくさまを見るのは見るに耐えられませんでした。

いっそ開城すれば楽になるでしょうに。彼は徹底抗戦するつもりなのです。
敵側から降伏を促す(すなわち、猛姫様を差し出すよう勧告する)書簡や伝令が届いても頑固無視を貫いておられるのです。

あのような鬼女、さっさと余所へやってしまえばいいのに!

満鷹様は戦の間中口癖のように「猛は渡さない」とおっしゃっておりました。
優しいが故に影で腰抜けだのと影で揶揄されていた彼が、恐らく周囲に始めて見せたであろう血の気。
そんな彼の負けん気は頼もしくありましたが、無論、意地で腹が膨れるわけではございません。


偶然見つかった一すくいの干飯(米を乾燥させたものです)。
それを巡って、城内の武士たちが本気で争い、刃傷沙汰になったという事件が起こった時。
流石の彼も籠城を保つのが限界になりつつあると悟ったのでしょう。

何かを決心したご様子で、草木も寝静まる丑の刻、本丸から館の女たちを避難させている離れへと行かれたのでした。



猛姫様のお部屋は離れの奥の更に奥。
作品名:よしよし申すまじ 作家名:杏の庭