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よしよし申すまじ

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何と言うことでしょう。私を背負っているのはうんと若い女人で、その上一糸纏わぬ姿だったのです。


あぁ、しかも、このお声。忘れるはずがございましょうか。猛姫です。聞き覚えのあるこの声は、まさしく、猛姫様のものでした。


夜に。このような姿で。お一人で。刀などという物騒なものを背負って。一国の奥方が。


私は現状が全く理解出来ませんでした。
夢を見ているのだと考えもしましたが、五十年と言う人の一生に相当する長きを、刀として生きてきて、今まで一度もそのような物を体験した事はございません。
さりとて、これは現実であるとも考えにくい。私の思考がいよいよ混乱の極みに達しそうになったとき。



「いたづらものや 面影は 身に添ひながら独り寝」



猛姫の歌声に呼応するかのように、別の歌声が聞こえてきました。(こちらも流行の小唄です)
声音からすると……若い男……でしょうか?目に姿が映らないところからすると、どうやら、私からみて後方。猛姫様から見て前方から近づいてくるようです。

朝比奈様の家臣の声は、古参の武人から下賤の馬丁一人一人に至るまで記憶しておりますから。聞き覚えがないということは、どうやら館の人物ではないという事。
大方、農民か何かなのでしょう。

歌の途中途中にしゃっくりが入ったり、「おっと」といった短い言葉を漏らしたり、更に不規則かつ不安定な足音からすると、相手は相当酔っているように感じられました。


急に、猛姫が立ち止まります。男が「おおっ」と率直な歓喜の声をあげました。



「別嬪さん、ど、ど、どうしたんだい?何も着てないじゃないかい」

「…………」

「追いはぎに取られたのかい?」

「…………」

「にやにや笑ってないで、何か言ったらどうだい!」



そういう男の声にも、どこと無くにやにやと、下卑たものが滲み出ていたものですから。
私は聞いていて、いやあな気分になりました。きっと、男は鼻の下を伸ばしたものすごく締りの無い顔をしているに違いありません。



「ほらほら、傍によって。なんなら俺の家に来ないか?ほら、別に変な事を考えてるんじゃないからな!
 お古の服があったら、お前さんに分けてやろうと思って。その姿じゃ寒かろう?」

「…………」



猛姫は一言も喋りません。喋らない代わりに、彼女は私を肩から下ろしました。そして、実に馴れた手つきで私を鞘から取り出したのです。
外殻を脱がされた事で、夜の冷気がより一層身に染みました。



「え?」



男が間の抜けた声を出します。私も、口が利けたのなら同じような声を出していたことでしょう。
抜かず一閃が抜かれた。それも、主とは別の人間によって。

無論、私は妖刀ではございません。霊力も持ち合わせておりません。
ひょんな事で思考と目耳を授かっただけの、しがない刀なのでございます。それを知ってか知らずか、人間どもが勝手に祀り上げただけなのです。
鞘の中身を外に晒しても、前殿が言っていたように、空から数多の火矢が降り注ぐ奇跡は当然のことながら起こりませんでした。

拍子抜けしてしまうぐらい、すごく、静かです。さわさわと風が路傍の草を揺らす音さえ鮮明に聞き取れるほど、辺りは静寂に満ち満ちていました。



「ね、姉さん、こりゃまた驚いた。何でそんな物騒なもの持っているんだい……?」



男は夢見心地の口調のまま言いました。こちらのお馬鹿さんは気がつかないでしょうか?
猛姫様の纏っている剣呑ではない雰囲気に。野獣の如きどす黒い殺気に。


私は、今の姫様と同じような空気を纏った人物を存じております。
戦に出ると、必ず大将首を討ち取り手柄を立てることで有名な、猪侍でした。
亡き殿の第一の腹心で。黒金の鎧を、戦の度に血の紅に染める事で知られていました。

軍馬にまたがっている前殿の腰に掴まった私は、躊躇も無く雑兵の体を次々と槍で貫く彼を遠めから見て、心底身震いがしたものです。
戦にある彼の目は、例えるならば死んだ魚ように光沢の無いものでした。はっきり言ってしまえば、人殺しの瞳。それに、狂気に包まれた、尋常ではない様子の雰囲気。


一口に刀と言っても、かなり大き目の部類に入る抜かず一閃を軽々と振り上げ、男めがけて一直線に振り下ろす猛姫様。

彼女はまさにあの時の猪侍と同じ雰囲気を纏っておいでだったのです。



* * *



――……一体ここはどこなのでしょうか。



満鷹様の閨に置かれているわけでも。
気が狂ったとしか思えない猛姫様の手に握られているわけでもなく。
視界に映ったのは、見覚えの無い城。それを囲むようにして、大量の軍旗や指物や馬印が地面に突き刺さっていました。
暗闇に浮かぶ武装した人に、馬に。きっとあの奥まった部分にある白い布を張ってある陣の中には、大将が構えているのでしょう。


私の身体は宙に浮いているようでございまして。地上の動きを空から客観的に見ているようなのでございました。
まさか、抜かず一閃が抜かれたことで、不思議な力が目覚めたのかしらん。と、柄にも無く阿呆な事を考えていますと。

一気に視界が変わりました。そして、次の瞬間には、見知らぬ城の中へと場面が移り変わったのです。


先ほどの勇ましい様子とは打って変わって、こちらは酷い有様でした。
あちらこちらに倒れ伏す武人たち。武具の隙間から見受けられる肌には刀傷こそ無いものの、いっそ痛々しく思えてしまうぐらい骨が浮かんでおりました。
そんな男共が二人三人ではなく、大きな座敷一杯に溢れかえっているものです。
いかに鈍感な者でも、この城は兵糧攻めに合ってからかなり長い時間が経ったのだろうと判断できるでしょう。

兵糧攻めとは、兵糧の提供を妨げて相手を降伏させようとする攻め方のことです。
またの名を干殺し戦法といい、槍鉄砲を用いない無血の策でありながら、残酷。そしてこれは蛇足ですが、関白秀吉が得意とした戦い方でもありました。


さらに場面は変わります。

座敷の奥。質素ながらも、それなりに金のかかった装飾。
どうやら、この城の主の部屋のようです。

窓から見渡せる空は、墨を流したような月も星も無い夜空。正直、城の周りを敵の軍勢が取り囲んでいるなんて嘘のような静寂に――……。



うぎゃ。



何の前触れも無く、ヒキガエルが潰れたかのような声が聞こえてきました。
ぴしゃりと水音がして、汚れ一つなかった襖に障子に、赤い水しぶきが飛び散ります。
一体、何が起こったのでしょうか?

よくよく目を凝らしますと、暗闇で何やら蠢いているのが分かります。
暫く経って暗闇に慣れた私の目の前で、何と二人の男女が取っ組み合いをしているではないではありませんか。
(前の場面に比べて視線が下に下りたせいか、人間たちの様子が手に取るようにわかるのでした)


がりがりに痩せいている男は、腕に顔に数本の真新しい傷があり、そこから滝のような血を流しています。
女の方はと言うと、鬼のような気迫で刀を振り回し、次々男に新しい傷を刻み付けていました。


 着衣の華美さからすると、城主であろう男はバタバタと尻餅をつきつつ後ずさると、待ってくれ止めてくれと叫びます。
作品名:よしよし申すまじ 作家名:杏の庭