遼州戦記 保安隊日乗 4
そう言って茜は手にした端末を操作する。明石の机の上に大きめな画像が展開し、表が映し出された。
「なんだ……こりゃ?」
嵯峨がこめかみを押さえながらつぶやく。それを一瞥した後、カウラが立ち上がった。
「これは北博士の指揮による工程表です。彼らは同盟厚生局から得たデータを元に実戦投入可能な法術師を三名調整していたと思われます。彼らに施す手術や投薬、訓練に関するデータがここに記されています」
「厚生局?その表情じゃー任意で引っ張るのも難しいくらいのデータしか無かったって顔だな」
緊張している茜に声をかけるラン。幼い見た目に関わらず実戦を潜り抜けた猛者であるランの言葉には余裕すら感じられて、誠には不安げな茜の表情が少しだけ和らいで見えた。
「残念ながらその通りですわ。この工程表の原本はたぶん厚生局の監修によるものと推測されます。ですけどあくまでそれは推測。あの三人の研究には無い技術が使用されているというだけで役所を一つ敵に回すのは……」
「そのデータは後でヨハンに送っておけ。で?」
嵯峨の目が鋭く光って娘の茜を捕らえる。ようやくペースがつかめたというように茜は画面を切り替えた。
「さっき言いましたけど、最初からこの計画では三人の法術師の養成が目的とされていたのは先ほどの工程表から判明いたしました。ですが、それなら私達がこの事件に気づくきっかけになった明らかに失敗としか思えない法術暴走の犠牲者や同盟本部ビルを襲った少女達はなぜ作られたか……」
そう言って茜は島田を見つめた。やりきれない思いのようなものを感じてか、目をそらした茜は大きく深呼吸をして画面に動画を映し出す。
その中央には肉の塊が浮かんでいた。ぼこりぼこりとその床に付く面からはオレンジ色の部屋の照明に照らされながらなんとも知れない液体が流れている。
「なんだよ、これは」
嵯峨ですらその光景に目を丸くしていた。茜の言いたいことは誠にも分かった。それが法術師の成れの果てだということ。そしてそれが一人の法術師のものでないことは何本かの突起が人の腕や足であることが見えたところで分かってきた。
それに完全密閉の防護服を着た技師が巨大な注射器のようなものを突き立てる。表面の膜をうごめかせながらそれを受け入れるかつて人であったもの。
「こんなのを作ろうとしたわけか?」
嵯峨の言葉にカウラが頷く。
「片桐博士のデータによると、工程表にある『α波遮断型血清254』と言うのを製造するために作られた生体プラントだそうです。この組織に送られた法術適正者はこれを製造するために使用されたことが工藤博士の手記からも裏付けられています」
「その過程で生体プラントに使用できない法術師を廃棄処分にしようとして逃げられたのが……」
要が唇をかみ締めている。その怒りを溜め込んでいるような視線に誠は思わず目をそらしていた。
「これが人間のやること……なんですかね」
震える声で島田がつぶやく。その隣には画面の不気味な塊に恐れをなして彼の腕を掴んでいるサラの姿もある。
「つまりコイツの移動さえ出来れば、後の施設はどうとでもなると……まあ他の必要な資材は三人の博士の全面協力と……」
「厚生局をはじめとするシンパの公的機関と大学、病院、研究機関からの補給ですぐに復活が出来るってわけか」
嵯峨の震える声を強い調子で受け継ぐラン。
「そして三人の調整済みの法術師の試験運用が例の同盟本部ビル襲撃事件……」
「つながりましたね」
そう言って茜を見るラーナだが、茜の表情は暗いままだった。
「ラーナ。それじゃあその三人の納品先はどこなのかしら?そして仕事が済んだ三人の博士を襲撃したのは誰なの?」
「それは……」
ラーナが口をつぐむ。そこで嵯峨は懐からディスクを取り出して自分のよれよれのコートのポケットから取り出した端末のスロットに差し込んだ。
「まあこれはオフレコでね」
そして映し出される三人の隠し撮りされた男の写真。誠も必然的にそれに目を向けた。その一人、アロハシャツでにやけた笑いを浮かべているのが北川公平だということが分かったが、角刈りの着流し姿の男と長髪の厳しい視線の男には見覚えが無かった。
「北川公平がカウラのところにいらっしゃったのね。そしてわたくしのところには桐野孫四郎……」
茜の顔が曇る。
「桐野孫四郎?」
「元隊長の部下だった男だ。敗戦直後の胡州で高級士官の連続斬殺事件で指名手配中だ。先の大戦でアサルト・モジュール部隊が壊滅してから敗走の際にゲリラや遼北兵を隊長と一緒に日本刀で惨殺して恐れられた男だ。付いたあだ名は……『人斬り孫四郎』」
カウラの言葉を聞いて着流し姿の男に誠の目は集中した。その瞳にはまるで光が無い。口元の固まったような笑みも見ていて恐怖を感じさせるところがあった。
「そしてこのロン毛か……。俺も探しているところなんだよね」
そんな反射で出てしまったという言葉に自分ではっとする嵯峨。当然ランは聞き逃したりはしない。
「推測でいいですよ。今のところはね」
ランの言葉に嵯峨は諦めたようにうなだれた。
「まあなんだ。仙の存在は……できるだけ隠しておきたかったのがどこの政府でも思っていたことさ。不死身の化けもの。それだけでもいろんな利害のある連中が食いつくねたにはなるんだ」
そう言うと嵯峨はタバコを取り出す。
「ああ、いいですよ。吸っても」
明石はそう言うと戸棚からガラスの灰皿を取り出して嵯峨の前に置いた。
「そこでそのロン毛がねえ……」
そう言うと映像が切り替わる。それは中国古代王朝を思わせる遼南朝廷の皇族の衣装に身を包んだ男の姿だった。そしてその表情の見ているものを憂鬱にさせるような重苦しい雰囲気に一同は息を呑んだ。
「お前等も知ってるだろ?遼南王朝初代皇帝ムジャンタ・カオラ。カオラが王宮を出た後、帝位には次男のジェルバが付き、惣領のシンバは王朝を追われたその息子がこいつ、廃帝ハド」
「その廃帝の写真ですか。なるほど、仙なら年を食わないというのも当然か……おっと自分で言うのもなんだろーなー……」
ランはそう言いながらソファーの下に足を伸ばす。小さな彼女では当然足は宙でぶらぶらとするだけだった。
「ちょっと待って下さいよ!でもこの人達は法術師でしょ?それがどうして……あんな仲間を実験材料にする連中と手を組んだんですか?」
ためらうような誠の声に一同の視線が嵯峨に集まる。
嵯峨は頭を掻きながら画面を消した。
「まあお前さん達の気持ちも分かるよ。こんな正気の沙汰とも思えない計画を誰が考え、そしてそこで生み出された化け物を誰が囲おうとしている奴がだれか。それがはっきりしなけりゃ今回の研究を潰したところで同じことがまた繰り返される……と。厚生局はあくまで生産方法のノウハウを得るための手段として使われたってとこだろうな。すでにこの三人の法術師を手にした連中は新しいプラントの着工のイベントでもやってる最中かもしれねえ」
タバコをくわえていた嵯峨が火をつけるために一服する。だが誠達の視線はそんな落ち着いた様子の嵯峨を見ても厳しさを和らげることは無かった。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 4 作家名:橋本 直