遼州戦記 保安隊日乗 4
「良いも何も……片桐女史と関係があるようなら事情を聞くために身柄を押さえるのもいいが、今動けばどちらにも逃げられるだろうからな」
冷静にそう返すカウラ。パンを頬張る要の口元にも笑みが浮かんでいる。
「二人が接触するなら話は別だけど。まあこっちの仕事をちゃんと遂行しようじゃねえの」
そう言うと要は最後の一口を口にねじ込む。
沈黙の中、国道を走る車の音が遠くに聞こえる。通信端末をいじっていたカウラがそれを閉じて要を見た。
「あれ……」
要の声にカウラと誠は視線をマンションへ向かう路地に移した。
買い物袋を手にした北川がそこに立っていた。何度か周りを見回した後、玄関のある方向へ歩き始めるのが見える。
「ビンゴか?」
そう言っている要の口元が残忍な笑みを浮かべているのが見えた。
要はバッグからコードを取り出すと首筋のスロットに差し込む。しばらく沈黙してその後でいらだちながらコードを握り締めた。
「公安の奴等、見切りが早ええんだよ……って残ってたか」
いらだちながらつぶやく要。サイボーグである彼女の得意な電子情報確保を行っているのを見ると再び誠は片桐女史の部屋の明かりを見ていた。
「西園寺……また東都警察のデータベースにハッキングか?それでデータは……」
「焦るなって」
カウラの心配そうな声に静かに答える要。そんな緊迫した状況に合わせるようにそれまで止まっていた冬らしい北風の季節風に揺れる木々を見ながら誠は黙ってとんかつ弁当を諦めた。
「あのクラスのマンションは指名手配犯を見つけたら近くの警察に連絡が入るシステムがあったんだけど、そのシステムが動かないか。電子迷彩か?それともシステムにハッキング……金があるんだねえアイツの飼い主は」
監視カメラから警戒システムにデータが転送される間にそのデータを改竄して警戒システムを無力化する最新装備。最新のものの予算計上を先月拒否された要は苦笑いを浮かべていた。
「訪問先はあのオバサンのところ……?じゃないな」
首をひねる要。その言葉に身を乗り出してきたカウラの気配を悟って仕方が無いように振り向いた。
「隣の302号室だ。借主は……後ろ暗いところは無い典型的なサラリーマンだな」
そう言って再び視線を戻す要。誠も視線を戻すとカーテンに影となった片桐女史の姿が見える。
「どうします?」
誠は緊張に耐え切れずにカウラを見た。あごに手を当て考え事をしているカウラ。
「北川は茜のお姫様ですら軽くいなす腕利きの法術師だぜ。確かにアイツを押さえる目的で踏み込むってことも出来そうだが、本当に無関係ならアタシ等がまだ諦めていないことがばれるわけだ」
そう言うと要はカウラを見つめる。
「じゃあ行こう」
カウラはそう言うとドアに手をかける。
「黙っているのはアタシらしくないからな」
そう言って要は誠の座っている助手席を蹴りつける。
仕方が無く誠はドアを開けて路地に降り立った。カウラも要も手には拳銃を握り、誠も胸のホルスターからルガーP06を抜く。
「装弾していいぞ。間違いなくやりあうことにはなるからな」
そう言って要は走り出した。暴発の可能性があると言うことでキムから発砲直前まで装弾しないように言われていたことを思い出してすぐに誠は銃のトルグを引き上げて銃弾を薬室にこめる。突入経路はこの場所に付いたときに設定してあった。要はそのまま右手に仕込んであるワイヤーをマンションの屋上に向けて投げる。カウラはそのまま銃を構えつつ走ってマンションの非常階段を目指す。
『行くぞ!』
誠は気合と共に目の前に力を集中する。訓練のときのように立ち止まった誠の目の前に銀色のかがみのようなモノ、干渉空間が展開される。
「じゃあ行きます!」
そう叫んだ誠はそのまま頭から銀色のかがみのような空間に突っ込んでいった。
視界に飛び込んできた明るい照明のリビング。誠は拳銃を構えながら周囲の確認をした。そこにはウィスキーの酒瓶をテーブルに置いている保安隊のたまり場『あまさき屋』の女将の春子と同じくらいの女性がとろんとした瞳で誠を見つめていた。
「同盟司法局です!」
「ふーん」
片桐博士は驚くわけでもなく、明らかに酔いつぶれる寸前のとろんとした瞳で誠を見つめる。
「あのー……安全を優先して……その……何か?」
銃を構えている大男である誠が闖入してきたというのに片桐博士は無関心を装うように空になったグラスに酒を注ぐ。
「なるほど、実験以外でこういう光景に会えるのは面白いわね。あなたも飲む?」
そう言うとよたよたと立ち上がる博士を誠は銃を置いて支えた。
「大丈夫よ、そんなに飲んでないから」
明らかにアルコールのきつい匂いを放っている片桐博士。誠はその乱れた襟元に視線が向くのを無理して我慢する。
「司法局の方が動いているってことは……もう、終わりなのね」
そう言うと誠の分のグラスを取りに行くのを諦めて元の席に座りなおす。そして再びグラスになみなみと注がれたウィスキーを半分ほどあおった。
「そんなに飲んだら……」
「気遣ってくれるの?若いお巡りさん」
片桐博士の顔に妖艶な表情が浮かぶ。だが、誠はようやくここに来た意味を思い出して銃を手にとって構えた。
「このマンションに法術犯罪者が侵入しました。安全の確保に努めますのでご協力を……」
そこまで言ったところで隣の部屋で銃声が響いた。誠は思わず彼に身を寄せる片桐博士をしっかりと抱きしめるような形になった。
「本物の法術師が見れるのね。自然覚醒した個体に何が出来るのか……」
そのうっすらと浮かぶ笑みに誠は目を奪われていたが、すぐにドアの近くに銀色の干渉空間が浮かぶのを見て立ちはだかるようにして銃を向けた。しかし、それはすぐに消えた。そして今度は後ろから強烈な気配を感じて振り返る。そこには隣のベランダから飛び移ってきていた要の姿があった。
「馬鹿!後ろだ!」
要の叫び声、そのまま銃のグリップで彼女はベランダに向かう窓を叩き割って銃を構える。その先を振り返った誠の目に飛び込んだのは小型リボルバーを手にした北川の姿だった。
「コイツは驚きだ!かの有名な神前誠曹長がいらっしゃるとは!」
再び要の銃が火を噴く。しかしその弾丸はすべて北川の展開した干渉空間に飲み込まれて消えた。北川はその間にキッチンの後ろに姿を隠す。同時にドアが開き、銃を構えたカウラが誠とカウラに視線を送っていた。
不意にすすり泣くような声が聞こえるのを誠は聞いた。それは片桐博士の笑い声だと理解するまで誠は呆然と彼女をかばうように身を寄せて立ち尽くしていた。
カウラが手を上げて北川の隠れたキッチンの前に要を進めようとするが、それを見ていた誠の腕を片桐博士は振り払って立ち上がる。
「危ない!」
誠が展開した干渉空間ではじくような音が響いた。軽く手だけを出して撃たれた北川のリボルバーの弾丸が鳴らした音だと気づいた要が突入するが、すでにそこには誰もいなかった。
「ったく……」
舌打ちをしながら要が腰のホルスターに銃を仕舞う。そしてそのまま要は土足で片桐博士に歩み寄った。
「なに?」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 4 作家名:橋本 直