遼州戦記 保安隊日乗 4
そう言って明石は再びテーブルの上のそばに手を伸ばす。さすがに客が増えて蕎麦の量はすでに七割がた減っていた。
「馬鹿にすんなよ。アタシも外から保安隊に入った口だ。吉田やリアナみたいにあのおっさんが万能だなんて思っちゃいねーよ。点々と得ることが出来た情報を的確につなぎ合わせ推理してみせる妙であたかもすべてを知っているように見せる。隊長のお家芸には感心させられるがな……って!西園寺!」
「お子ちゃまですかー。わさび食べられないのはー」
まじめに話をしていたランの麺つゆにわさびを入れようとして怒鳴られる要。
「ああ!クバルカ中佐達も到着したんですか!」
「これが最後ですよ」
島田とサラが二つの大きなざるに蕎麦を入れたのを持って現れる。にんまりと笑いながら場所を空けた要。それなりに大きな応接用のテーブルだが、あっという間に蕎麦で一杯になった。
「しかしあのおっさん何をしているんだ?上の情報はさっき明石がよこしたのですべてだろ?厚生局が動いていて横槍を入れる機会を狙っているって話だが……今の段階でアタシ等に手を出せば自首してみせるようなもんだと言うことぐらい分かっているみたいだし……」
あまりの蕎麦の量に呆れるラン。それを無視して要は蕎麦に箸を伸ばす。
「つまりあの志村と言うあんちゃんの携帯端末の情報が生命線なわけか……同盟本部南下の林立するところで暴れた少女の行方がつながればすぐにでも厚生局にがさ入れに入れる」
話を戻そうとランが麺つゆを机に置いて明石に話を向ける。誠はひたすら蕎麦を食べながら二人の会話に集中していた。カウラも同じようで、若干緑色になるほどわさびを入れためんつゆをかき混ぜながら明石の禿頭を見つめていた。
「まあな。今回の同盟本部ビルの襲撃。あの肉の塊にされた餓鬼を刻んで見せた三人の法術師……ワシ等の目をつけてるどの陣営の手のものか……東和陸軍、遼南の民族主義勢力、ゲルパルトのネオナチ連中……そっちの容疑者を上げたら大変な数になるなあ」
「そーか?成果は挙げたら即時解散して証拠隠滅を図る。闇研究は引き際が肝心だからな。ど派手に動いて捜査の目をそちらに向けたあとで研究の資料を処分して同時に成果の売込み。一連の動きだと思うぞ」
明石の言葉に首をひねるランが再び麺つゆを手にして新しい方の蕎麦に手を伸ばす。
「どうしたの?正人」
蕎麦を啜りながら二人の話を聞いている隊員達の中、一人島田の箸が止まっているのに気づいたサラが声をかける。
「売り込みに動くにしてもしばらく地下にもぐるとしてもこの数日間で組織の尻尾を掴まないと……」
「綺麗に闇に消えて終わり。実際隊長の所にも政治的な圧力がかかり始めたって吉田のヤローからも聞いてるからな。どんなお題目を掲げた馬鹿の仕業かはアタシにゃー分からねーがフェイドアウトについてはこの一連の事件を仕掛けた人間の筋書きだろーな。妨害かデモンストレーションか知らねーがあの三人の法術師の飼い主もそれを見込んでるだろうな。事実あの事件以来法術師がらみの事件は東和じゃあ一件も起きてねーし」
そんなランの言葉。茜は苦い顔をしながら箸を休めている。
「いいんですか?それで」
島田がそう言うとランはきつい視線を彼に投げる。
「今、証拠の分析を行っているのは東都警察で……」
「なんですぐ重要な資料を渡したんですか!もし内通している人間がいたら!」
立ち上がった島田の肩を要が叩いた。
「落ち着けよ」
島田はそれに従うようにしてゆっくりとソファーに腰掛けて一度伸びをする。
「なあに、動くときがくればどこよりも早く動いて見せるさ。なー!」
「そう言うことですわね。しばらくはその時の為に英気を養うべきときですわよ」
ランと茜の含みのある笑みにようやく安心したのか、島田はめんつゆを手にすると次々と蕎麦をたいらげはじめた。
魔物の街 29
寮に誠達が着いたときはすでに日付が変わっていた。小さいくせにやたらとタフなランとサイボーグの要以外はさすがに疲れて口を開く気力もなかった。誠は黙って部屋に戻ると着替えもせずにそのまま布団を敷いて眠ってしまった。
眠ったはずの誠の視界が開かれた。保安隊が誇る人型兵器『アサルト・モジュール』05式特戦乙型。誠の全身にアニメやギャルゲーの登場人物の描かれた灰色の機体のコックピットの中。パイロットスーツに身を包んだ誠は惑星胡州の外周に存在するアステロイドベルトでの戦闘に参加していた。
模擬戦の時と同じくテロリストの使用する地球製の旧型アサルト・モジュールM5に輸出仕様のM7が数機デブリを徘徊しているのを発見する。
『神前!焦るんじゃねえぞ!』
『そう言いながら最初に発砲するな!』
戦闘でレールガンを乱射する要機。押さえにかかるのを諦めたように誠の機体の先導に移るカウラ機。
『神前、乙種出動だ。サーベルだけで何とかしろ!』
カウラの通信に頷いた誠はサーベルを抜いて法術を発動。干渉空間を展開した。
だがそんないつもシミュレータでやっていた動作に違和感が走った。全身から一度は吸い取られたような法術の力が逆流して腕から先が膨らんでいくのが見える。誠はそのまま操縦棹から手を離し手袋を見つめる。
そのケプラーと合成ゴムの複合素材の手袋が紙袋のように簡単に千切れる。それに合わせて腕、太もも、そして胸までのパイロットスーツがちぎれとんだ。
『どうしたっ……て!なんだ!神前!』
「力が!力が……!」
膨れていく自分の体。モニターに映っているのは思わずヘルメットを外して手を伸ばそうとする要、驚きで口元に手を当てているカウラ。
「うわー!」
自分の体が際限なく膨らんでいく不安と苦痛。そして額に当たったモニターの一部分がもたらす痛み。
そして……。
「痛み?」
誠は目を覚ました。布団から転がり出ていつも漫画を描いている机の脚に額がぶつかっている。そして足元に人の気配がしたのでそちらを寝ぼけた視線で見つめた。
「大丈夫か?そんな格好でいたら風邪を引くぞ」
緑の髪の女性に視線を合わせる。ドアから顔をのぞかせたカウラがそのまま上体を持ち上げようとする誠のそばに座った。
「ああ、カウラさん。おはようございます」
「とっとと顔を洗え。それと鍵は閉めておくものだぞ」
そう言ってカウラはドアの外に消えていく。それを呆然と見守りながら誠は先ほどの夢を思い出していた。
昨日の同盟本部ビルの前で画面の向こう側で膨張した肉片と化した少女。恐らくは嵯峨やシャム、ランそして島田が持っている法術再生能力の暴走がその原因であることは理解していた。本来は意識でコントロールしている体組織の安定が損なわれた結果であり、誠には無い能力だった。
「でもなあ!」
自分にはありえない事故だとしても、もしかして……。そう思うと夢の中の体が崩壊していく感覚を思い出す。誠はそのまま布団の上にドスンと体を投げた。
カウラが去ったドアを見ながらしばらく呆然と部屋を見渡す誠。額を流れる脂汗。寒い部屋とは思えないその量を見て苦笑いを浮かべるとそのまま二度寝に入る。
「なによ、まだ寝てるの?」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 4 作家名:橋本 直