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遼州戦記 保安隊日乗 4

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 ランはそう言って誠達の車の後ろに停められた銀色の要の新車のスポーツカーの助手席に乗り込んだ。
「ここもかなり変わることになりそうですね」 
 それを見て誠も腑に落ちないながらも仕方なくカウラの車の助手席に乗り込んだ。隣のカウラは静かにシートベルトをしてエンジンをかける。ガソリンエンジンの始動音に包まれる。
「端末の記録か……」 
 そう言ってカウラは車を中心街への道へと進めた。



 魔物の街 27


 着ていた古ぼけたトレンチコートに付いた血痕を確認しながら着替える細身の骸骨のような顔をした男。その緩慢とした動きを苦々しく思うように運転席のサングラスが見つめていた。
「ありゃあ揉めそうな感じですねえ……でも……斬ることは無いんじゃないですか?」 
 革ジャンの袖を触りながらオープンカーの運転席のサングラスの男。北川公平は後ろの席のコートの男に声をかけた。
「気に入らない奴を斬っただけだ。俺は人が斬れるからあの御仁についているだけだからな」 
 不敵な笑みを浮かべるのは『人斬り』の異名を持つ男、桐野孫四郎だった。法術師の能力の強制発動の実験に材料を提供していた人身売買組織の幹部の暗殺。地球人に憎悪を燃やして活動する二人にとってそれは至極当然な行為だった。これまで実験に協力する姿勢を見せていたのは二人が所属する組織である『ギルド』が出資者への配当を滞らせている現状を打開するための苦肉の策に過ぎなかった。地球人への報復。それだけを目的としてつながっているテロ組織を再編成して結成された彼等の組織は拡張と共に安定した財源の確保が問題となった。
 そこに声をかけたのが地球人至上主義を掲げるゲルパルトの元秘密警察の幹部であるルドルフ・カーンだった。
 お互いまったく正反対の主張を繰り広げる非公然組織だが、当面の課題として『ギルド』は資金が、カーンの手には優秀な手駒が不足していた。そこで両者は手を結び、法術研究の地下組織を支援することで一致し動き出した。そしてその為にシンパの同盟機構の幹部まで動員して彼らの手駒を三つ調達し、その試験も兼ねて覚醒に失敗する公算の高い法術師の少女を同盟機構の入るビルの前で暴走させ三人の調整した法術素体が攻撃するデモンストレーションを行った。
「でもあのチンピラ。どこまで知っているんでしょうねえ、我々のことを」 
 そう言うと北川はエンジンをかける。野次馬達を徐行してやり過ごすとそのまま廃墟に近い東都租界を車で流す二人。
「俺達とは連絡を取る手段は持っていなかったからな。もしかしたらゲルパルトのネオナチ連中と商売をしていたこともあるかもしれないが……今となってはそんなことはどうでもいいことだ」 
 桐野の言葉にハンドルを握る北川も頷く。元々敵が同じだからと言うことで一時的に手を結んでいるだけと言うカーンの組織を守ってやるほど二人の心は広くは無い。恐らくカーン達も同じ考えだろう。そう思いながら北川は信号が変わって停車したごみ収集車の後ろにつける。
「しかし……ひどい町ですね」 
 北川は久しぶりに心のそこから出た言葉を後ろの桐野に投げた。彼自身は東都の生まれで大学に在学中に地球人排斥運動に参加して表の世界での生活を捨てた。そして彼の運動の始まりもこの貧弱な建物の並ぶ租界だった。
「そうか?俺には天国に見えるがな」 
 そう言って笑う桐野。信号が変わり走り出すごみ収集車に続いて車を走らせる。誰の顔も汚れと垢にすすけて生気という物を感じさせるものが一つとしてない街。
「ここが天国なら世界中天国だらけですね」 
「そう思ったほうが幸せだろ?」 
 北川は冗談か本気か分かりかねる不敵な笑みを浮かべる殺人狂をバックミラー越しに見ていた。自分が斬られるかもしれないということは何度と無く経験してきた。桐野にとって人を斬るのが挨拶程度のことだというのはこの半年あまりの付き合いで良く分かっていた。
「じゃあ今回の取引は終了ですね。つまらない実験をした報い。どうなるか楽しみですねえ」 
「そうだな。後は嵯峨大公の手柄になるか、遼南の姫君が先にたどり着くか。俺達は高みの見物を気取ればいいだけの話だ」
 そう言って目をつぶり沈黙する桐野。その満足げな顔につばを吐きかけて自分の車から叩き落したい衝動を我慢しながら北川は同盟軍の装甲車両の脇を抜けて東都の街へと車を走らせた。


 魔物の街 28


「ずいぶんとまー……そのなんだ。広すぎじゃねーのか?」 
 同盟司法局ビルの最上階。司法局渉外部本部長室に足を踏み入れたランがそう言うのに合わせて、誠やカウラは嵯峨の保安隊隊長室とその広さを比べて辺りを見渡す。保安隊本部の事務スペースすらこの部屋ですべてまかなえる広さに彼等は圧倒される。
「これはクラウゼ先任!」 
 応接セットに腰掛けていたこの部屋の主、ラン達を呼び出した本人、明石清海中佐が立ち上がって敬礼する。テーブルの上には山盛りのもり蕎麦が置いてある。先に到着していた茜の班のうちサラと島田以外がうまそうにそれを啜っていた。特にアイシャは見せ付けるようにして蕎麦を啜って見せている。
「叔父貴が来たのか?」 
 茜に声をかけた要が静かに頷くラーナを見つけるとそのままずかずかとランを追い越してどっかりとソファーに腰掛ける。
「そういうこと。かなりたくさんいただいたからもうすぐ新しいのを島田君達が持ってくるわよ」 
 そう言ってアイシャは蕎麦をめんつゆにたっぷりとつける。
「おめえは蕎麦の食い方知らねえな?」 
「いいでしょ、好きに食べたいんだから」 
 いつものようにアイシャに突っかかる要に苦笑いを浮かべながらランは明石に上座を譲られて腰を下ろした。
 気を利かせたラーナがめんつゆを用意して、あわせるように茜が箸を配り始める。
「で、明石。隊長が来た理由はなんだ?」 
 麺つゆにたっぷりとねぎを入れながらランが明石の大きな禿頭を見上げる。
「ええとまあ……何からいうたらええのんかよう分からんのやけどなあ」 
「とりあえず東都警察とのこれからの情報交換の窓口はわたくしが勤めることになりましたわ」 
 麺つゆを置いた茜の言葉に頷くラン。隣では明らかに多すぎる量のわさびを麺つゆに入れる要の姿が見える。
「おい、西園寺」 
「いいだろ?アタシがどう食おうが……」 
 そう言ってめんつゆに蕎麦を軽くつけた要だが、そこにわさびの塊がついていたらしく一気に顔をしかめて咳を始めた。
「あせらんでもええんやで。今、島田が茹でとるさかいそないな食い方せんで……」 
「うるせえタコ!」 
 一言明石を怒鳴りつけるがまだ口の中にわさびが残っていたようで要は目をつぶって下を向いていた。
「捜査の人手が足りない問題はこれで解決したと。で、もう一度聞くけどあのおっさんはなんか言って無かったか?」 
 一口嵯峨が打った手打ち蕎麦を味わった後、麺つゆをテーブルに置いたランは一気に蕎麦を口に流し込むようにして食べる明石を見上げた。
 口についた汁を拭った後、明石は静かに口を開いた。
「クバルカ先任。ワシはようやっとわかったとこなんやけどな。意外と隊長は情報を握っとらんような感じがすんねん」