遼州戦記 保安隊日乗 4
そう言ってあまりの出来事に呆然としていた誠にすがりつくアイシャ。その頭にカウラがチョップを振り下ろす。
「何よ!カウラちゃんまで!」
アイシャの叫びを無視して通り過ぎていくラン。
「クバルカ中佐も!みんなで無視して!」
「無視しているわけじゃないんですけど」
叫ぶアイシャに仕方なく誠がそう言って彼女の頭を撫でる。話を中座させられた茜とラーナが苦笑いを浮かべている。
「何かあったみたいですね」
島田がカウンターで大盛りの白米だけを盛ってかき込み始めた要に声をかけるが、要は無視してそのままテーブルの中央に置かれていた福神漬けをどんぶりに盛った。
「あったみたいね」
隣でカレーを食べていたサラもその要の奇行を眺めているだけだった。
「で、そちらの首尾はどうなんだ?」
カレーを盛ってきたランがそう言って茜の正面に座る。明らかにご飯の量が異常に多いのはランが辛いものが苦手だということも誠は知ることが出来ていた。
「正直芳しくはないですわね。管轄の警察署や湾岸警察、海上警備隊の本部にも顔を出して情報の共有を計る線では一致したんですけど……」
「租界に絡むことは同盟機構軍の領域だから駐屯軍に聞いてくれって煙にまかれたわけだ」
どんぶりを置いた要の一言。茜は力なく頷いた。
「でも嵯峨捜査官もがんばったんですよ!警察とかの資料の閲覧の許可も取りましたし、専任捜査官を指定していただけるということで……」
「ラーナ。オメエ、アマちゃんだな。口約束なんていくらでもできるぜ」
どんぶりにやかんから番茶を注ぐ要。その行動に明らかに違和感を感じたサラと島田は身を小さくしていつでも逃げられるような体勢をとった。
「でも!」
「そうですわね。資料の閲覧許可は向こうに断る理由が無かっただけですし、専任捜査官の選定権限はあちらにあるんですもの。その選定がいつ行われるか、どのような人材が選ばれるかは私達ではどうすることも出来ませんわ。結局は私達だけでなんとかしないといけない状況は変わりませんわね」
湯飲みを傾け少し口を湿らすような茜。カレーを盛ってくれたカウラから受け取り誠は静かにさらにスプーンを向ける。
「それでクバルカ中佐の方はいかがなのかしら」
茜の言葉にランは辛さに耐えるというように顔をしかめながら、サラから受けとった水で舌をゆすいでいた。
「ああ、アタシの方か?」
そう言うとランの視線は自然とどんぶりを手にしている要の方を向いた。茜は何かを悟ったとでも言うようにそのまま自分の湯飲みを握り締める。
「民間人の協力者を一人見つけたな。そんだけ」
吐き捨てるように一言だけ言った要は、立ち上がって自分の湯飲みがあるカウンターの隣の戸棚に向かって遠ざかった。
「駐留軍。感心するくらい腐ってたな。あれじゃー情報も金次第ってところだが……予算はねーんだろ?」
ランの言葉に茜は苦笑いを浮かべる。戸棚から自分の湯飲みを持ってきた要がやかんを手にすると冷えた番茶をそれに注いだ。自分の湯飲みだけを持ってきて番茶を勢い良く注ぐ要。そんなときの彼女は不機嫌だと言うことはこの場の全員が知っていたので食堂は重い雰囲気に包まれる。
「研究の目的がはっきりしているんだから組織としてはそれなりの体をなしていると考えると、誰も知らないなんていうのが不自然ですよね。どこかに糸口があるはずじゃないですか」
そう言ったのはアイシャだった。誠はそれまで要に遠慮して隣の席から頬などを突いてくる彼女を無視していたがその言葉には頷くことが出来た。
「そうですわね。今回あの租界で拉致された人物が大量に居るという事実。そして監禁してそれで終わりってわけじゃないのですから。法術関係に詳しい研究者。法術暴走の際に対応する法術師。そしてその実験材料に使われる人材の確保をする人。それがあの近辺に潜伏しているとなればどこかで話が漏れていると考える方が自然ですわ」
茜はすぐに要を見つめた。手に湯飲みを持ったまま、呆然と天井を見つめている要。だが、彼女も茜の言葉を聞いていたようで一口湯飲みに口をつけるとそれをテーブルに置いて話し始めた。
「携帯端末、持ってんだろ?それを出してみろ」
要の言葉に茜の隣のラーナが素早くかばんから比較的モニターの大きな端末を取り出す。その後ろに島田とサラが移動して覗き込む格好になった。誠はアイシャが取り出した端末を覗き込んだ。
画面には志村三郎の画像とデータが表示されている。
「この男。東都の人身売買組織の一員だ。これまで誘拐容疑で三度、人身売買容疑で二度逮捕されているがどれも証拠不十分で起訴は免れている。まあ、どこで金をばら撒いたのか知らねえが、最近かなり羽振りが良いらしいや」
そう言うと要はタバコを取り出して火をつける。画面はすぐに東和でも有数の指定暴力団のデータに切り替わる。
「大物が出ましたわね」
苦々しげにつぶやく茜。その言葉に不敵な笑みを浮かべると要は話を続けた。
「どの事件でも共犯者には東都の暴力団の組員が上げられてる。まあ東都の中に商品を運ぶとなれば協力者としては最適の相手だからな」
「でもこれは臓器取引とか売春組織なんかの関係の取引でしょ?法術の研究なんて地味で利益が出るかどうか分からないようなことやくざ屋さんが協力してくれるのかしら」
皮肉るようにアイシャがつぶやくが、タバコをくわえた要はただうつろな瞳で天井に向けて煙を吐くだけだった。
「まあな。だからあたしは直接あの男のところに出向いたわけだ」
その言葉に誠は疑問しか感じなかった。そんな誠をちらりと見た要だが、後ろめたいことでもあるとでも言うように目をそらして、タバコの煙を食堂の奥へと吐いた。
すぐに端末の画像が切り替わった。要の脳はネットワークに直結している。こうしてタバコをふかして無駄に天井を見上げているように見えても彼女は情報を管理していた。
「無線周波数の一覧。それと乱数表……でもこれって軍用周波数帯での交信じゃないの?そしてこの周波数帯は……」
「遼州じゃバルキスタン政府軍ぐらいじゃねーか?もしかしてあの店で……」
ランの鋭い視線が要を見つめる。先月バルキスタンの内戦鎮圧に出動した記憶が誠の頭をよぎる。要は椅子を後ろに倒してテーブルに足を乗せた。
「西園寺!」
「まあ、カウラちゃん抑えてよ。それよりこの周波数帯でどこと連絡していたか。そこまで掴んでるの?」
アイシャの言葉を聞くと要はにやりと笑った。そしてタバコを手に再び天井を見上げる。同時に画面が切り替わる。
「同盟機構医療監視財団?」
誠の言葉に茜は驚いたように顔を上げた後、ラーナの端末に目を移した。
「同盟厚生局の出先機関か……ずいぶんと大物が出てきたじゃねーか」
そう言って小さなランは頭をかいて苦笑いを浮かべながら天井を見たままの要を見た。
「近藤事件以降、法術系の情報の開示を担当していたのが同盟機構の厚生局健康医療関連部門だったな。その出先となればそれなりの人材や情報を抱え込んでるのは当たり前か。それで……おい!」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 4 作家名:橋本 直