遼州戦記 保安隊日乗 4
店の親父はふてくされる息子を無視して小さなランのことをうれしそうに見つめる。さすがに誤解を解くのも面倒なようでランは照れ笑いを浮かべながら財布を取り出す。
「おー。やっぱり分かるか。うどんの食い方ひとつにもこだわるのが遼南人の心意気って奴だからな……そこのチンピラ」
ランはそう言うと三郎を見上げる。三郎も要の知り合いと言うこともあり、その上司のランを子供を見る目ではなく真剣に見つめていた。
「人の売り買いは金にはなるかも知れねーが手の引き時が肝心だぞ」
親父とは違って三郎の目は真剣だった。ランのくぐった修羅場を資料で見せられている誠も二人の緊張した雰囲気に息を飲んだ。
「ご高説感謝します」
そんなランの言葉に皮肉たっぷりにやり返す三郎。そしてその様子にサディスティックな笑顔を振りまきながら、肩で風を切るように店を出るラン。誠も三郎に追い立てられるようにして租界の道路に転がり出た。
「凄いですね、あの三郎とか言うヤクザ相手に一歩も引かないなんて」
店を出てずんずんと歩くランがそんな言葉を言った誠を振り向いた。いかにもあきれ果てたそんな表情が浮かんでいる。
「オメーなあ。自分の仕事が何かわかって言ってんのか?」
それだけ言って骨董屋の前に止められたカウラの車に乗り込むラン。
「精進しろよ。新兵さん!」
要はそう言って誠の肩を叩いて続いて車に体を押し込む。誠は彼女が助手席のシートを戻すとそこに座った。
「カウラ。ちょっと良いか」
そう言うと要は自分用の端末をサイドブレーキの上に置いた。『志村三郎』と言う租界管理局のパーソナルデータがそこには映っていた。
「先に言っておくけどアイツとの関係はオメエ等の想像通りさ。まあアタシは娼婦以外にも胡州陸軍の工作部隊員と言う顔があったわけだが」
要の言葉が暗くなる。誠はいくつもの疑問が渦巻いていたが、その要の顔を見て口に出すことが出来なかった。
「おい、西園寺。貴様の戦闘における判断の正確さや義体性能を引き出す能力は私も感服しているんだ」
静かにカウラがそう言いながら要の死んだ魚のようになる目を見つめている。
「だとしてもだ。なぜ胡州四大公の筆頭の次期当主がこんな汚れ仕事に携わるんだ?生まれを重視する胡州なら私のような人造人間を引き受けて育成するとか方法はあったろうに」
その言葉にただ無表情で返す要に車内の空気は次第に重くなっていった。外の景色はただ建ってからの年月からみると不思議なほど痛みの目立つビルが続いている。そんな中で誠は黙って要を振り返っていた。
「カウラ。そいつは……」
要の表情が曇る。カウラも自分の言葉が要の心に刺さったことに気づいて黙り込んだ。
「そいつは物を知らない、胡州の構造を知らない人間の台詞だな」
相変わらずうつろな瞳の要をじっと誠は見つめていた。
「アタシが入った陸軍は親父とは対立関係にあった組織だ。爺さんを三回爆殺しようとしたのは退役軍人の右翼活動家ということだが、全員が陸軍の予備役の身分だった連中だ。今じゃ語り草の醍醐将軍のアフリカでの活躍にしても、家柄を煙たがれて僻地に飛ばされたと言うのが実情みたいなもんだ」
要の抑揚の無い言葉に誠は心をかきむしられる気分がした。回りの計画性の欠如した建物の群れもそんな気持ちに後押しをするように感じられてくる。
「前の胡州の内戦のきっかけも、自分になびかない陸軍への政治干渉を狙った親父の挑発に陸軍が乗っかったのが真実だしな」
そう言うと窓を開けてタバコを取り出す要。いつもなら怒鳴りつけるカウラも珍しく要のすることを黙って見つめていた。
「内戦に負けて外への発言が出来なくなった陸軍の貴族主義的な勢力は、露骨な反政府人事を内部で展開したわけだ。内戦で勝利した陸軍の親父のシンパの醍醐文隆将軍が陸軍大臣に就任できなかったのもすべては陸軍の貴族主義勢力の根回しが原因というわけだしな」
「なるほど、内戦の敗北で頭の上がらなくなった民主勢力の旗頭の西園寺基義首相の娘に汚れ仕事を引き受けさせて面子を潰そうとしたわけか……まるで餓鬼の発想だな」
明らかに要のタバコを嫌がるように仰ぎながらランが言葉をつむぐ。
「でもその後のことを考えれば西園寺公がお前の配属にブレーキをかけるくらいのことは出来たんじゃないのか?公爵家の嫡子が元娼婦なんてスキャンダル以外の何者でもないぞ」
カウラの言葉には誠も賛同できた。胡州の貴族制度はもはや形骸になりつつあると言っても長年の伝統がすぐに廃れるはずは無い。誠はそう思いたかった。要が見知らぬ租界の成金達にもてあそばれる姿など想像もしたくなかった。
「ああ、でもアタシは志願したんだ」
あっさりそう言うと要はタバコを携帯灰皿に押し込んだ。カウラはその様子と気が抜けたような表情の要を見るとそのまま車を出した。
「親父さんへのあてつけか?」
ぼそりとランがつぶやく。ドアに寄りかかるようにして上の空で外を眺める要。街は再び子供達が駆け巡るスラム街の様相を呈してくる。
「それもあるな。『貴族制は国家の癌だ』なんて言ってるくせに法律上の利権だけはきっちり確保している親父の鼻をあかしたかったって気持ちが無いって言ったら嘘になるよ。自分の手で何かをしたい、親父や醍醐のとっつぁんの世話にはなりたくない。そうつっぱってたのも事実だからな」
上の空でつぶやく要。その姿はコンクリートの壁など一撃で砕くような軍用義体の持ち主の要にしてはあまりにも小さく見えて誠は目をそらして正面を向いて街を眺めていた。冬の日差しは弱弱しく見える。まだ時間が早いのか繁華街にたどり着いたカウラの車の両脇には無人の酒場と売春窟が続く。
その時ランの携帯端末がけたたましく鳴った。ランは黙ってそれを取り出して画面を覗き込む。
「おう、茜達も仕事が済んだらしい。このまま寮に直帰だ」
ランの言葉がむなしく響く。カウラもランも一人ぼんやりと外を眺めている要に気を使って黙り込む。誠もこの痛々しい空気に耐えられずに外を眺める。
警備部隊は遼北軍に変わっていた。だが彼等もやる気がなさそうにカウラのスポーツカーを眺めているだけだった。
「良いことも無い街だったが、なかなかどうして、アタシの今を作ったのはこの街なのかも知れねえな」
ぼんやりと窓の外を眺めていた要がそんなことをつぶやいた。カウラはその声にはじかれるようにして車のアクセルを踏み込み、大通りへと向かった。
魔物の街 11
寮の廊下。ピコピコハンマーが転がっているのを見つけた要は、それを手に食堂に先行する。そして茜と談笑していたアイシャの背後に回りこむと力任せにその頭にピコピコハンマーを振り下ろした。
「痛い!」
その馬鹿力でピコピコハンマーが首からねじ切れて床に落ちる。食堂には茜とラーナ。島田とサラは隣のテーブルで仲良くしゃべっていたがその様子に驚いたように要を見た。
「悪り、ゴキブリかと思った」
頭を押さえるアイシャに無表情にそう言うとカウンターに向かって歩く要。
「何すんのよ!ったく……痛いよー誠ちゃん!」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 4 作家名:橋本 直