遼州戦記 保安隊日乗 4
「良い勉強になったろ?これがここの真実さ」
そう言うと要はそのままポケットからタバコを取り出して火をつけた。
「でも、南方諸島でしょ?あそこは遼州南半球ではもっとも民主化が進んだ国でそれなりに治安も安定していますし、主要産業は観光ですから……あの兵士達は……」
そう言って立ち上がる誠を呆れた表情で見守る要。
「あのなあ、そう言う考えは安全地帯にいる人間が自分はあいつ等と違うと思い込んだときの発想だな。ここじゃあつまらない不条理で、誰もがいつくたばってもおかしくない。そんなところに仕事ってことで放り込まれて頭のタガが揺るがない人間がいるのなら見てみみたいもんだな」
そう言って要は周りを見渡す。正規軍との交渉に勝利したと言うような形になった誠達を見て下心のある笑顔を浮かべて近づいてくる租界の住民。
「とっととおさらばするか」
そう言うと要は吸いかけのタバコを投げ捨てて再び車の後部座席に体をねじ込む。誠も慌てて助手席に乗り込む。
「早く出せよ」
ランの言葉にカウラはアクセルを踏み込んだ。
「あれもまた人間の摂理さ」
路上で子供達が突然走り出したカウラの車に罵声に近い叫び声を上げていた。
「この街では暴力とカネ以外のものに何一つの価値も無いんだ。仕事でここに来ることはこれからもあるだろうからな、良く覚えておけ。まあそういう意味ではアタシ等の商売道具は暴力の方だがな」
要の目が死んでいた。その隣で窓から外を見ているランの瞳もその幼げな面持ちとは相容れないような老成した表情を形作っている。
「西園寺にしては的確な状況説明だな」
黙って要の言葉を聞いていたカウラがバックミラーの中の要を見つめる。
「おい、カウラ。アタシの説明はいつだって的確だろ?じゃなきゃオメエもくたばっているような出動も何回かあったしな」
そう言った要の瞳に久しぶりに生気が戻る。カウラはそれに満足したように倉庫街のような道に車を走らせる。そこには廃墟の町で見なかった働き盛りの男達が群れていた。袋に入ったのは小麦か米か、ともかく麻袋を延々と運び続ける男達の群れ。周りではどう見ても堅気には見えない背広の男達が手伝うつもりも無く談笑しているのが見える。
「租界での通関業務って禁止されているんじゃないですか?」
「神前。西園寺の言葉を聞いてなかったのか?駐在部隊だって同じこの魔窟に巣食う住人なんだ。もらうものをもらえば見てみぬふりさ、それに仲良くお仕事に励むってのも美しい光景だろ?」
ランの皮肉の篭った言葉に誠は目を開かせられた。東都湾岸地区の急激な治安悪化により三年前に同盟軍の駐留を許可した東和政府。同盟会議の決議により駐留軍はその裁量の範囲内で必要な資材の搬入や輸送を独自に行う権利を与えられることになった。それがこの魔窟では明らかに部隊に必要な補給としては多すぎる量が倉庫に送られていく。さすがに後ろめたいと感じているのか、付近には駐留部隊の兵士の姿は無かった。
「これがこの街を支えているんですね」
次々と運び込まれる穀物の入った麻袋がパレットにある程度積み上げられると。中の見えない木箱と一緒にフォークリフトで倉庫から建物の裏へと運ばれていく。その向こうでは冷凍貨物のコンテナが軍用の塗料のまだ落ちていない中古のクレーンに吊るされて巨大な倉庫に飲み込まれる。
そしてそのどの作業にも生命力を吸い取られていると言うような姿の男達のうごめきが見て取れた。
「でもこんなに物資が?一体どこに?」
ただ誠はその圧倒的な物流の現場に圧倒されながら流れていく港の景色を見送っていた。
「物資の行き先?それはアタシ等の仕事じゃねーよ。東都警察か安城の機動部隊にでも当たってくれよ」
そう言ってランが小さい胸の前に腕を組む。その様子が面白かったようで要がまねをして豊かな胸に腕を押し付ける。そしてバックミラーに写る二人の様子にカウラが噴出した。
「何考えてんだ、オメー等は!」
そう言うとランは子供のように頬を膨らませた。もしこの顔をアイシャが見たら『萌えー!』と叫んで抱きつくほど幼子のようにかわいい表情だと思った誠は自分の口を押さえた。
「じゃあ、そこの路地のところで車を止めな。飯、食ってから帰ろうや」
要の声に再びカウラは消火栓の前に車を止めた。
「骨董品屋?なじみなのか?」
誠がドアを開けて降り立つのを見ながら、起こした助手席から顔を出すランが要に尋ねる。
「まあな。ちょっと先に市場がある、その手前で待っててくれよ」
そう言うと最後に車から降りた要はそのまま骨董品屋のドアを開けて店の中に消えた。
「歩くなら近くに止めた方が良かったのでは無いですか?」
カウラの言葉を聞いてランはいたずらっ子のような顔をカウラに向ける。
「オメーの車がお釈迦になってもよければそうするよ。たぶんこのいかがわしい店は西園寺の非正規部隊時代からのなじみの店なんだろ?武器を預けるなんていうことになると骨董店は最適だ。当然この店の客は西園寺が何者か知っているわけだ。その所有物に傷でもつければ……」
そう言ってランは親指で喉を掻き切る真似をした。これまでのこの地の無法ぶりにカウラも誠も納得する。
串焼肉のたれがこげるにおいが次第に三人に覆いかかってきた。パラソルの下、そこは冬の近い東都の湾岸地区にある租界を赤道の真下の遼南にでも運んだような光景が見て取れた。運ばれる魚は確かにここが東都であることを示していたが、売られる豚肉、焼かれる牛肉、店に並ぶフルーツ。どれも東和のそれとは違う独特の空間を作り出していた。
「おう、なんだよそんなところに突っ立ってても邪魔なだけだぜ」
遅れてきた要はそう言うと先頭に立って細い路地の両脇に食品や雑貨を扱う露天の並ぶ小路へと誠達をいざなった。テーブルに腰掛けて肉にかじりつく男達は誠達に何の関心も示さない。時折彼等の脇やポケットが膨らんでいるのは明らかに銃を所持していることを示していた。
「腹が膨らむと人間気分が穏やかになるものさ」
要からそう言われて、誠は怯えたような表情を浮かべていたことに気づいた。
「おう、ここだ」
そう言うと要は露天ではなく横道に開いたうどん屋の暖簾をくぐった。
「へい!らっしゃ……なんだ、姐御かよ」
紫の三つ揃いに赤いワイシャツと言う若い角刈りの男が要を見てがっかりしたようにつぶやく。保安隊のランの前の副長である明石清海が同じような背広を着ていたのを思い出して少しばかり安心した誠。だがその表情が気に食わなかったのか、男は腕組みをしてがらがらの店内の粗末な椅子に座り込んだ。
「おう、客を連れてきたんだぜ。大将はどうした?」
要はそう言うと向かい合うテーブル席にどっかりと腰掛ける。
「ああ、親父!客だぜ!」
チンピラ風の男が厨房を覗き込んで叫ぶ。のろのろと出てきた白いものが混じった角刈りの男が息子らしいチンピラ風の若造をにらみつける。
「しかし、姐御が兵隊さんとは……あの姐御がねえ」
そこまで言ったところでチンピラ風の若造は要ににらまれて黙り込む。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 4 作家名:橋本 直