遼州戦記 保安隊日乗 4
そう言うと要は満面の笑みを浮かべながらタバコを取り出した。本部にはいつの間にか中から武装した兵士が出てきて入り口を固めている。それを面白そうに眺めた要はそのままタバコに火をつけて歩き始めた。
「ディスクは置いてきたが良いのか?」
カウラの言葉に要とランは目を合わせて笑顔を浮かべる。
「だからわらしべ長者なんだって。あのデータはあそこの検問の外ではそれなりの意味を持つが、あそこをくぐって租界の中に入ってしまえば麦わら一本以下の価値しかない。証拠性が消滅するんだよアイツ等の手に渡るとな。奴等は狼少年だからな、何を言っても誰も信用してくれない。賄賂を取って国に家でも建てれば別だが。とりあえず現金は稼ぎましたという現実は間違いなくその豪邸が証拠として残るからな」
そう言って要はタバコをくわえたままカウラの赤いスポーツカーの屋根に寄りかかって話はじめる。同盟軍組織の一部、こう言う二線級部隊の腐敗はどこにでもあると言うように、要は時折振り返って兵士達に笑顔を振りまく。
「じゃあ何の意味が?」
そうたずねた誠に手にした端末の画面を要は見せた。次々と画面がスクロールしていく。良く見つめればそれはある端末から次々に送信されているデータを示したものだった。
「あいつらでも多少はコイツの存在が気になるんだ。さっそくあのリストと出所と思われるところに連絡を入れて事実関係を確認中ってところかな。後はあの連中が連絡をつけた糸をたどっていけばどこかに昨日見た連中の製造工場があるだろうって話だ」
そう言うと要はタバコを投げ捨てる。検問の兵士ににらみつけられるが要は平然とドアを開けてそのままランと組んで車に体を押し込む。
「それじゃあ今日はこれで終わりですか?」
助手席の椅子を戻して乗り込む誠を要とランが呆れたような目で見つめる。
「馬鹿だな。オメエ等がこの租界の流儀を知らねーのは分かってんだ。とりあえず入門編のレクチャーをアタシ等が担当してやるよ」
そう言うとランは端末のデータを車のナビに転送した。
「このルートで走れって事ですか?」
カウラは租界の外周を回るような順路を見た後そのまま車を出した。
外の湾岸再開発地区よりも租界の中は秩序があるように見えた。しかし、それが良く見れば危うい均衡の上にあることは誠にもすぐに分かった。四つ角には必ず重武装の警備兵が立っている。見かける羽振りのよさそうな背広の男の数人に一人は左の胸のポケットの中に何かを入れていた。それが恐らく拳銃であることは私服での警備任務を数回経験した誠にも分かる。
「今でこの有様だったら東都戦争のときはどうなってたんですか?」
思わずそんな言葉を吐いた誠を大きなため息をついた要がにらむ。
「なに、もっと静かだったよ。街もきれいなものでごみ一つ落ちて無かったな。なんといっても外に出たらどこからか狙撃されるんだから」
そう言って笑う要。確かに今見ている街には人の気配が満ちていた。大通りを走るカウラの車から外の路地を見ると必ず人影を目にした。子供、老人、女性。あまり青年男性の姿を見ないのは港湾の拡張工事などに人手が出ているからだろうか。
「空気の悪いのは昔からか?」
ランが要を見つめる。
「そりゃあしょうがねえだろ。こんな狭いところに50万人の人間が閉じ込められているんだ。呼吸だけで十分空気が二酸化炭素に染まるもんだ。もっともアタシはここの空気は嫌いじゃないがね」
そんなことを良いながら外を眺める要だが、その表情が懐かしい場所に帰ってきたような柔らかい笑顔に覆われていることに誠は不思議な気持ちになった。
魔物の街 10
「これは……また。ゲットーと呼ぶべきだろうな」
それまで運転に集中しているかのようだったカウラのつぶやきも当然だった。外の港湾地区が崩れた瓦礫の町ならば、コンクリートむき出しの高い貧相なビル群がならぶ租界は刑務所か何かの中のようなありさまだった。時々屋台が出ているのが分かるが、一体その品物がどこから運び込まれたかなどと言うことは誠にもわからない。
「まあアタシもここができてすぐに来たんだけどな。まああのころは何にも無い埋立地に仮設テントとバラックがあるばかり。こうしてみるとその時代の方がまだましだったかもな」
そう小声でランがつぶやくのが聞こえる。
「そう言えばクバルカ中佐は遼南出身でしたよね」
誠の言葉にうんざりした顔を見せるラン。
「まあな、共和軍にいた人間は人民政府樹立で逃げ出すしかなかったわけだし。追放の対象だったアタシはまだましな方さ。自力でここにたどり着いた連中が暮らしを立て直そうとしたときには胡散臭い連中がここに街を作って魔窟が一つ出来上がった。そしてその利権をめぐり……」
「アタシ達のような非正規任務の兵隊さんがのこのこやってきてその筋の方々に武器を売って大戦争を始めたってわけだ」
苦笑いを浮かべる要。建てられて十年も立っていないはずなのに多くのビルの壁には傷が走っている。所々階段がなくなっているのは抗争の最中に小銃の掃射でも浴びたのだろうか。そう思う誠の心とは無関係に車は走る。
「カウラ、ちょっと止めな」
要は突然そう言う。カウラがブレーキを踏んでまっすぐ行けば港に着くという大通りの路肩に車を止めるとすぐにどこから沸いたのか兵隊が駆け寄ってくる。
「南方諸島か」
要の言葉を聞いて身を固める誠。都市型のグレーの戦闘服の袖に派手な赤い鳥のマークの刺繍をつけている兵士達はそのまま銃を背負って車の両脇に群がる。
「トマレ!」
窓を開けた誠に銃を突きつけて叫ぶ南方諸島の正規軍の兵士。誠は後ろの要に目をやるが、要もランもただニヤニヤ笑いながら怯えた様子の誠を見つめているだけだった。
「カネ、カネ!トウワエン!イチマン!」
兵士がそう言うと要は爆笑を始めた。それに気づいた若い褐色の肌の兵士が車のドアに手をやる。壊されると思ったのかカウラはドアの鍵を開けた。
「要さん!勘弁してくださいよ!」
そう言ってそのまま引き出された誠は路上に這わされる。そしてすぐに兵士は誠の脇に拳銃があるのを見つける。そのままにんまりと笑い銃を突きつける兵士とそれをくわえタバコで見ていた下士官が後部座席で爆笑する要とランに銃を向けている。
「ケンジュウ、ミノガス、30マン!30マン」
そのまま無抵抗を装うように車から引き出された振りをする要とラン。下士官は良い得物を見つけたとでも言うようにくわえていたタバコを地面に投げ捨てる。
「30万円?ずいぶんと安く見られたもんだ。じゃあこれで手を打ってもらおうかな」
ランはそう言うと再び身分証を取り出して下士官に見せる。そしてランの左手はすでに拳銃の銃口を下士官の額に向けていた。タバコを吸いなおそうとした下士官の口からタバコが落ちる。彼はそのまま誠の後頭部に銃口を向けていた部下の首根っこを押さえて誠の知らない言葉で指示を出した。
兵士が突然銃を背負いなおし、青い顔で誠を見つめる。
「カネ、カネ、30マン!」
兵士の言葉の真似をして手を出す要を見つめると今にも泣き出しそうな顔で走り去っていく兵士達。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 4 作家名:橋本 直