遼州戦記 保安隊日乗 4
アイシャが去って椅子に座ると要はそう言ってすぐに味噌汁を啜り始めた。
「別に名前など問題じゃないだろ?」
「そう言うわけにもなー」
カウラをさえぎって頭を掻くラン。
「この寮には隊の厚生費が使われてるからな。高梨からも要と同じこと言われたよ。今度の予算の要求でここの費用をどう言う名目で乗せれば良いかってな。頭いてーや」
そう言うランの前に菰田のシンパの隊員がお茶を運んでくる。
「ご苦労だな」
ランはそれをのんびりと飲み始めた。
「将校だけこの辺のアパートの相場の費用を取れば良いんですよ」
経理を担当しているだけにそう言う時の菰田の頭の回りは速い。だが、ものすごい形相で威圧しているアイシャの顔を見て、菰田はそのままテーブルの上の番茶に手を伸ばして目をそらした。
「それは高梨に言ったんだが……手続き上無理なんだと。それと……アイシャ。少しは自重しろよ。オメーが一番古株組じゃー階級が上なんだからな」
そう言って悠然とランはお茶を飲む。
「上は今度の魚住の旦那の同盟軍教導部隊のことで頭がいっぱいで、うちには余計な予算はつけたくないのが本音だろうからな」
今度は白米を口に運ぶ要。誠も言いたいことは理解できた。
胡州帝国海軍第三艦隊のエース。前保安隊副長明石清海中佐と並んで『播州四天王』と呼ばれる魚住雅吉大佐を隊長とする『遼州同盟機構軍教導部隊』。同盟機構の軍事機関の正式発足に伴い西モスレムで編成される部隊には前保安隊管理部部長アブドゥール・シャー・シン大尉も引き抜かれていた。
人的損失もくらった保安隊である。予算が削られることも当然想定できた。
「まーな。だからオメー等にはきっちり仕事をして……神前。食い終わったらすぐに出る支度をしろ!」
ランにそう言われて誠は我に返って立ち上がった。ランが何も考えずにここにいるわけではないことは誠も分かっていた。そのままトレーをカウンターに返すとそのまま食堂を出て階段に向かう。
「あら、神前さん。お食事は済ませましたの?」
階段では隣に従者のように西を引き連れて寮を案内させている様子の茜とラーナがいた。
「すいません、支度をしてきます」
そう言って誠はそのまま廊下にでる。暖房の効かない廊下の寒さに転がるようにして階段を駆け上がり部屋に飛び込む。万年床に転がって思わず天を仰ぐ誠。引っ掛けたジャケットのぬくもりで二度寝に入るような感覚にとらわれながらうとうとする誠。
「おい!」
目の前に要の顔があってびっくりして起き上がり、彼女の額に頭をぶつける。
「起こしてやってこの仕打ちか!」
要に怒鳴られようやく自分がうとうととしていたことに気がついた。
「行くぞ!」
カウラは素早く扉から身を翻す。誠は立ち上がって要達に続いた。
「珍しいわね……ってまさか!」
「おい、アイシャ。昨日はアタシがコイツを眠らせなかった……とか言う妄想は自分の部屋でやれ」
階段を下りながらいつものようにアイシャに突っかかる要。
「おう!それじゃあ行くぞ!」
ラーナに靴の準備をさせて待っていたラン。いつものようにその隣ではほんわかとした笑顔の茜が紫小紋の着物姿で待っていた。
「車はこれ以上乗れねえぞ!」
要はそう言うが、誠はたぶんラン達は茜の車で出勤するだろうと思って生暖かい視線で機嫌の悪い要を見つめていた。いつも隣の砂利の敷き詰められた駐車場に停められているカウラの黒いスポーツカーの隣に見慣れない白いセダンが停まっていた。
「じゃあ行くぞ」
すでにランは茜のセダンの助手席から顔を出していた。
「ったく餓鬼が」
そう言いながら要もいつもどおり後部座席へ体を滑り込ませた。そしてそのまま伸びた力強い腕が誠を車の中に引き込んだ。
「はい!行きましょう」
助手席に乗り込んだアイシャの声で車が走り出す。狭い後部座席。要が密着してくるのを何とかごまかそうとするが、目の前のアイシャは時々痛い視線を送ってくる。
「そう言えば島田はどうした?それとサラも。いつの間にか消えやがって」
要の声にアイシャが振り返る。
「ああ、スミスさんが車買ってそれをいじるんですって。ニヤけてサラと出かけたわよ」
「好きだねえ、あいつも」
実働部隊第四小隊隊長ロナルド・J・スミス特務大尉は車好きとして知られている。特にガソリン車の使用が認められている東和の勤務は天国のようだと誠に話す姿はまるで子供だった。
特に彼は20世紀末の日本車。しかも小型で大出力エンジンを積んだタイプの車を探していた。先日誠も借り出されてネットオークションに常駐してなんとか落札した車が近々隊に送られてくると言う話も聞いていた。
「島田の奴、今日の仕事分かってるのか?」
要のその言葉に誠は不思議そうな顔を向けた。
「ああ、お前は知らないのか?今回の発見された死体と昨日の怪物の捜査は昨日の面子で追うことになったんだと」
その言葉にアイシャも振り向く。誠は一人車窓から流れていく豊川の町を見つめていた。
「なによそれ。初耳よ!」
「だろうな。アイツが叔父貴に打ったメールを覗いてさっきアタシも知ったところだ」
要は軍用のサイボーグの体を持っている。当然ネットへの接続や介入などはお手の物だった。
「でも、誠ちゃんは大丈夫なの?」
今度はアイシャは誠に向かって話す。
「いやあ、どうなんでしょうね」
頭を掻く誠に昨日その手にかけた、かつて人間だったものの姿が思いつく。
「今度の事件じゃ茜やラン、そしてコイツが切り札なんだからしっかりしてもらわねえとな」
要の言葉に頷きながら、カウラはハンドルを切って保安隊の隊舎のある菱川重工豊川工場の敷地へと車を進めた。
「でも、あんなのと遭遇したらどうするわけ?茜さんの話では銃で撃っても死なないのよ」
アイシャの言うとおりだと誠も頷いて要を見る。
「アタシに聞くなよ。なんでもキムがいろいろ持っているらしいや。アタシも銃を叔父貴に渡してて今は丸腰なんだ」
「珍しいこともあるものだな」
皮肉めいた調子でカウラはそのまま保安隊の前の警備班のゲートに車を乗り入れた。
魔物の街 6
雑談していた警備班員が顔を覗かせる。いつものようにカウラはそれを見て窓を開いた。
「ああ、ベルガー大尉。駐車場はいま満員御礼ですよ」
丸刈りの警備部員が声をかけてくる。
「島田か?」
そのカウラの問いに隊員は頷く。
「ったくアイツ等なに考えてんだか……」
要の声を無視してカウラは車を走らせる。駐車場が見える前から野次馬の姿が見て取れた。
「おい、停めれるか?」
そう言って要が身を乗り出す。そのままゆっくりと近づくカウラの車に気づいてブリッジオペレータの女性隊員が脇によける。
そうするとそこにはタイヤを外されてジャッキで持ち上げられた小型車が見えた。
「ちょっとそこに停めろ。降りるから」
要の言葉にカウラは車を停める。ニヤニヤしているアイシャが助手席から降り、誠も追い出される。そのまま見慣れない車に近づく要。
「おう、西園寺か。見ろ凄いだろ?」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 4 作家名:橋本 直