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遼州戦記 保安隊日乗 3

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「実働部隊の隊長があのちっこいのになる訳だろ?やべえよ、それは」 
 もうアイシャにからかわれていたことを忘れて要はアイシャの電話の会話に集中した。
「クバルカ・ラン中佐でしたっけ。あの人が何か?」 
 そう何気なく言った誠だが、タレ目の癖に眼光の鋭い要の視線を浴びて怯んだ。
「クバルカ中佐は厳しい教官だからな。教導はもちろん、書類一つとっても相当チェックを入れてくる人だ。今の明石中佐のようには行かないぞ。報告書も一字一句チェックを入れてくる……ああ、神前は書類は問題無いからな。むしろ西園寺だ」 
 カウラの言葉に爪を噛みながら聞き入っている要。考えてみれば誠も部隊配属は初めてだが、同期の他の部隊で幹部候補になった友人からは書類仕事のとんでもない件数にサービス残業を重ねている日々について聞いていた。誠は少尉候補生として着任したものの、今は曹長として勤務している。保安隊の現状として、実働部隊の下士官ならほとんど定時終わりで野球の練習に入れるのも当然と思っていたが、実は明石が練習の時間を作る為に苦労しているらしいことはなんとなくわかっていた。
「じゃあ、また何かあったらよろしくね」 
 そう言って電話を切るアイシャ。
「やっぱり、本決まりか?」 
 悲壮感を漂わせながら尋ねる要。
「ああ、実働部隊長の件ね。クバルカ中佐で決まりみたいよ。来週、視察に来るとか……それと管理部の方にも入れ替えがあるらしいわね」 
 淡々と答えるアイシャだが、その言葉に次第にうつむき加減になる要を見てその悪戯心に火が付いた。
「ああ、この電話の相手ね。……独自のルート。いろいろと私もコネがあるから情報は入ってくるのよ。まあ私はランちゃんについては運用艦の副長さんだからぜんぜん関係ないけど……大変ねえ」 
 いかにも愉快だと言うような笑顔を浮かべて要を眺めるアイシャ。要はそのまま何も言わずに爪を噛み続ける。その様子から見て、ランが相当な鬼教官であることが想像されて誠も少しばかり緊張してきた。
 だが、そこで思い浮かぶのがあの幼い面立ちである。目つきの悪さはあるにしてもどう見ても小学生である。シャムもやはり幼く見えるが、贔屓目に見れば中学生に見えなくも無い。だがランの姿はどう見てもやはり小学生、しかも低学年である。
「お前さあ、他人事だと思ってるだろ?」 
 ようやく要が口を開いた。全く光の無いその瞳に、誠は寒気のようなものを感じる。
「あいつ、餓鬼扱いされると切れるからな。注意しとけよ」 
 要はそう言うと大きくため息をついた。
「そうよねえ、さんざん要ちゃんはぶっ叩かれたもんねえ」 
「あの人は期待している人間には厳しく当たるからな。一番鍛えてもらったのはお前じゃないか?……そうだ。何かお礼にプレゼントでもどうだ?」 
 アイシャとカウラはそう言うと微笑んで見せる。そんな二人を見ながら要は視線を落としていじけていた。
 カウラの車はそのまま高速道路を降りて一般国道に入った。前後に菱川重工豊川に向かうのだろう大型トレーラーに挟まれて、滑らかにスポーツカーは進む。
「そう言えば第三小隊の話はどうなったんだ?」 
 要は恐る恐るアイシャに尋ねた。振り向くアイシャの顔が待っていたと言うような表情で向かってくる。
「ああ、楓お嬢様の件ね。何でも今月の末に胡州の『殿上会(でんじょうえ)』が開かれて、そこで嵯峨家の家督相続が完了するとか言うことで、それ以降になりそうだって」 
「でんじょうえ?」 
 初めて聞く言葉に誠は胡州の一番の名門貴族西園寺家の出身である要の顔を見た。聞き飽きたとでも言うように要はそのまま頭の後ろで手を組むと、シートに体を投げ出した。
「胡州の最高意思決定機関……と言うとわかりやすいよな?四大公家と一代公爵。それに枢密院の在任期間二十年以上の侯爵家の出の議員さんが一同に会する儀式だ。親父が言うにはつまらないらしいぜ」 
 めんどくさそうに要が答える。だが、誠にはその前の席から身を乗り出して、目を輝かせながら要を見ているアイシャの姿が気になった。
「あれでしょ?平安絵巻のコスプレするんでしょ?出るんだったら要はどっち着るの?水干直垂(すいかんひたたれ)?それとも十二単?」 
 アイシャの言葉で誠は小学校の社会科の授業を思い出した。胡州帝国の懐古趣味を象徴するような会議の映像。平安時代のように黒い神主の衣装のようなものを着た人々が胡州の神社かなにかで会議をする為に歩いている姿が珍しくて、頭の隅に引っかかったように残っている。
「アタシが六年前に引っ張り出された時は武家の水干直垂で出たぞ。ああ、そう言えば響子の奴は十二単で出てたような気がするな……」 
 胸のタバコに手を伸ばそうとしてカウラに目で威嚇されながら答える要。
「響子?烏丸大公家の響子様?もしかして……あの楓お嬢様と熱愛中の噂が流れた……」 
「アイシャよ。何でもただれた関係に持って行きたがるのはやめた方がいいぞ。命が惜しければな」 
 アイシャの妄想に火が付く前に突っ込む要。アイシャの妄想はいつものこととして誠は話題に出た人物について考えていた。確かに四大公筆頭の次期当主の要から見ればそんな人物が話題に出てくるのは普通のことだが、誠にしてみれば四大公家の西園寺、大河内、嵯峨、烏丸の家のうちの三家の女性当主が話しに出ていることに正直驚いていた。
 長男が国会議員をしている大河内家以外はどれも現当主や次期当主は女性だった。先の当主烏丸頼盛の追放で分家から家督を継いだ烏丸響子女公爵と父の遼南皇帝就任のため名目上の大公家を相続した嵯峨楓、そして普通選挙法の施行以降の爵位返上をちらつかせている父からの家督相続の話がひっきりなしに出る西園寺家の一人娘西園寺要。
 そんなことを考えている誠。外を見ると風景は見慣れた豊川市近郊のものになり始めていた。いつものような大型車の渋滞をすり抜けて、カウラは菱川重工豊川工場の通用門を抜けて車を進めた。
「ちょっと生協寄ってなんか買って行きましょうよ。私おなかが空いているし……誠ちゃんも何か食べるでしょ?」 
 にらまれ続けるのに飽きたとでも言うようにアイシャがカウラに声をかける。それを無視するようにアクセルを踏むカウラ。
「今日はシャムが遼南の土産を持ってくるって言ってたろ?どうせ喰いきれないくらいあるんだから……」 
 要の言葉にアイシャはうつむいた。要は先ほどまでの大貴族の家督相続の話などすっかり忘れているように見えた。
「だから言ってるんじゃないの。また変なもの買ってくるに決まってるわよ」 
 そう言いながらアイシャはうなだれた。
 助手席でうつむくアイシャをうっとおしく感じたのか、カウラは生協の駐車場に車を乗り入れた。
「誠ちゃんとカウラはいいの?」 
 アイシャの言葉に首を振るカウラ。
「僕はいいですよ。せっかくナンバルゲニア中尉の好意ですから」 
 そう言う二人を見てアイシャは細身の体をくねらせてそのまま車を降りた。
「今回の殿上会か……荒れるな」 
 要はそう言うと誠を蹴飛ばした。仕方なくアイシャに続いて車から降りた誠を押し出した要はそのまま外に出た。伸びをしてすぐに彼女は胸のポケットに手を伸ばす。