遼州戦記 保安隊日乗 3
助手席で伸びをしながらアイシャがつぶやいた言葉に、隣の要がびくんと反応した。
「冗談だろ?あの横暴だけど腕は立つ餓鬼を簡単に手放すなんて……東和陸軍はやらねえよ」
どちらかと言うと自分に言い聞かせているように聞こえる要の声。
「確かに裾野の第一特機教導連隊の隊長ですよね。あそこはあまり異動の無い所だって聞いていたんですけど……」
噂で口にした言葉だがすぐに助手席の紺色の長い髪が振り返ってくる。
「甘いわね、誠ちゃん」
そう言うと嬉しそうな顔のアイシャが振り向いてきた。
「うちじゃあシャムちゃんと言う遼南青銅騎士団の団長がその身分のまま出向しているのよ。所詮、サラリーマンの東和軍ならもっと動きがあってもおかしくないわ」
アイシャの言葉に第一小隊のシャムと吉田のにやけた顔が誠の脳裏にちらついた。
「まあ、アメリカ海軍の連中も出向して来ているのがうちの部隊だからな。そう言えば島田達は今頃着いたかねえ」
窓の外を見ながら要はそう言うと追い抜かれて後ろに消えていくダンプカーを眺めている。ロナルド・J・スミス特務大尉貴下の保安隊第四小隊は配属後の教育期間を終えると、遼州の火薬庫と呼ばれるクバルカン大陸に派遣された。クバルカン大陸第三の人口を誇るバルキスタン共和国。その選挙活動の監視と言うのが彼らの出動の名目だった。技術顧問として島田正人准尉もそれに同行した。
クバルカン大陸は遼州同盟にとっては鬼門、地球諸国にとっては頭痛の種だった。
遼州星系の先住民族の遼州人が居住していなかった地域であるこの大陸に地球から大規模な移民が行われたのは遼州星系でも極端に遅く、東和入植から百年以上がたってからのことだった。しかも初期の遼州の他の国から流入した人々はその地の蚊を媒介とする風土病で根付くことができなかった。
クバルカン風邪と呼ばれた致死率の高い熱病に対するワクチンの開発などがあって安全な生活が送れることが確認されて移民が開始されたクバルカン大陸には多くのロシア・東ヨーロッパ諸国、そして中央アジアの出身者が移民することになった。しかし、ここにすでに権益を持ちかけていた西モスレムはその移民政策に反発。西モスレムを支援するアラブ連盟とロシアとフランスの対立の構図が出来上がることになった。
そして、その騒乱の長期化はこの大陸を一つの魔窟にするには十分な時間を提供した。対立の構図は遼州同盟と地球諸国の関係が安定してきた現在でも変わることが無かった。年に一度はどこかの国で起きたクーデターのニュースが駆け巡り、戦火を逃れて他の大陸に難民を吐き出し続けるクバルカン大陸。
「まあ大丈夫なんじゃねえの?」
そう言って要が胸のポケットに手をやるのをカウラがにらみつけた。
「タバコは吸わねえよ。それより前見ろよ、前」
そう言って苦笑いを浮かべる要。渋々カウラは前を見た。道は比較的混雑していて目の前の大型トレーラーのブレーキランプが点滅していた。
「そう言えば要ちゃん義体変えたんだってね?」
切れ長の目をさらに細めて要を見つめるアイシャ。紺色の髪がなびく様の持つ色気に誠は緊張しながら、その視線の先の要を見た。
「なんだ、それがどうしたんだ?」
「なんか少し雰囲気が違うような……」
とぼけたような調子でアイシャが要の胸の辺りを見つめている。はじめのうちは無視していた要だが、アイシャの視線が一分ほど自分に滞留していることに気付くとアイシャの目をにらみつけた。それでもアイシャの視線は自分から離れないことに気付くと、要はようやく怒鳴りつけようと息を吸い込んだ。
「胸、大きくしたでしょ?」
先手を打ったのはアイシャだった。その言葉に怒鳴りつけようと吸い込んだ息をむせながら吐き出す要。
「確かにそんな感じがしたな」
カウラまで合いの手を入れた。誠の隣で要の顔色が見る見る赤く染まっていく。
「一回り……そんな感じじゃすまないわねえ……サイズは?」
そう言いながらアイシャは視線を落として気まずい雰囲気をやり過ごそうとする誠を眺めていた。
「おい、テメエ等なにが言いてえんだ?」
要の声は震えている。
「西園寺。暴れるんじゃないぞ」
そう言うとカウラはそのまま前を向いてこの騒動からの離脱を宣言した。しかし、アイシャはこの面白い状況を楽しむつもり満々と言ったように、後ろの要に挑発的な視線を送っている。
「やっぱり、配属してからずっとレベッカちゃんが誠ちゃんにくっついているから気になるんでしょ?」
誠はそこまでアイシャが言ったことで、なぜ要が義体のデザイン変更を行ったかに気付いた。アメリカ海軍からの出向組である第四小隊のアサルト・モジュールM10には専属の整備技師レベッカ・シンプソン中尉が着任した。彼女が一気に保安隊の人気投票第一位に輝いたのは様々な理由があった。
金色のふわりとした長い髪、知的でどこか頼りなげなめがねをかけた小さな顔、時々出る生まれ育った長崎弁ののんびりとしたイントネーション、そして守ってやりたくなるようなおどおどとした態度。
だが、なんと言ってもその大きすぎる胸が部隊の男性隊員を魅了していた。一部、カウラを御神体と仰ぐカルト集団『ヒンヌー教』の信者以外の支持を集めてすっかり隊に馴染んでいるレベッカを見つめる要の視線に敵意が含まれていることは誰もが認める事実だった。
「なっなっなっ……」
言葉を継げずに焦る要。それを楽しそうに見つめるアイシャ。誠は冷や汗が出てくるのを感じた。後先考えない要の暴走癖は嫌と言うほどわかっている。たとえ高速道路上であろうと、暴れる時は暴れる人である。
「アイシャさん?」
「なあに?誠ちゃん」
にんまりと笑っているアイシャ。こちらも要の暴走覚悟での発言である。絶対に引くことは考えていない目がそこにある。運転中のカウラは下手に動いてやぶ蛇になるのを恐れているようで、黙って前を向いて運転に集中しているふりをしている。その時、アイシャの携帯が鳴った。そのまま携帯を手に取るアイシャ。誠は非生産的な疲労を感じながらシートに身を沈める。
「……だって……なあ」
小声で要がつぶやいた。
「あのー、西園寺さん?」
「何言ってんだ!アタシは別にお前の好みがどうだとか……」
そこまで言って要はバックミラーで要を観察しているカウラの視線に気がついて黙り込んだ。しょげたような要を満足そうに見ながら携帯端末に耳を寄せるアイシャ。
「やっぱりそうなんだ。それでタコ入道はどこに行くわけ?」
アイシャは大声で電話を続けている。それを見て話題を変えるタイミングを捕らえて要は運転中のカウラの耳元に顔を突き出す。タコ入道、三好清海入道とも呼ばれる保安隊副長明石清海の話が出たところでアイシャが人事のことで情報を集めているらしいことは誠にも分かった。
「それにしてもあいつの知り合いはどこにでもいるんだなあ」
要はそう言うとわざと胸を強調するように伸びをする。思わず目を逸らす誠。
「同盟司法局の人事部辺りか?」
「だろうな。でもやべえな」
カウラの言葉に答える要。彼女はそのまま指を口に持ってきて、右手の親指の爪を噛みながら熟考している。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 3 作家名:橋本 直