遼州戦記 保安隊日乗 3
「荒れるって?」
誠の言葉を聞きながら要はタバコに火をつけた。
「おい、誠。胡州の国庫への納税者って何人いるか知ってるか?」
タバコをふかしながら前の工場の敷地内を走るトレーラーを眺めながら要が言った。
「そんなこと言われても……僕は私立理系しか受けなかったんで社会は苦手で……」
そう答えて頭を掻く誠に大きなため息をついて要はタレ目でにらみつけてくる。
「三十八人。全員が領邦領主の上級貴族だ。胡州は領邦制国家だからな。領邦の主である貴族がすべての徴税権を持っている」
カウラは迷う誠をさえぎるようにしてそう言った。
「さすが隊長さんだ。胡州の政治情勢にも詳しいらしいや。その三十八人の有力貴族はそれぞれに被官と呼ばれる家臣達が徴税やもろもろの自治を行い、それで国が動いている。まあ世襲制の公務員と言うか、地球の日本の江戸時代の武士みたいなものだ」
そう言うと要はタバコの煙を噴き上げる。
「けどよう、そんな代わり映えのしない世の中っつうのは腐りやすいもんだ。東和ならすぐ逮捕されるくらいの賄賂や斡旋が日常茶飯事だ。当然、税金を節約するなんて言うような発想も生まれねえ」
いつに無くまともなことを口にする要だが、彼女は胡州貴族の頂点とも言える四大公筆頭、西園寺家の嫡子である。誠は真剣に彼女の話に耳を傾けた。
「今回の殿上会の最大の議題はその徴税権の国への返還だ。親父の奴、この前の近藤事件の余波で保守派の頭が上げにくい状況を利用するつもりだぜ」
そう言うと要は車の中を覗きこんだ。カウラはハンドルに身を任せて要を見つめていた。誠は膝に手を置いた姿勢で要を見上げている。
「しかし、それでは殿上会に無縁な下級貴族達の反発があるだろうな。胡州軍を支えているのは彼ら下級貴族達だ。特に西園寺。お前の籍のある陸軍はその牙城だろ?大丈夫なのか?」
カウラは静かにハンドルを何度も握りなおしながら振り返る。
「だから荒れるって言ってんだよ」
そう言うと要はタバコをもみ消して携帯灰皿に吸殻をねじ込んだ。
「荒れるか……なるほど。では荒れた議場をまとめる西園寺公の思惑をどう見るか四大公筆頭、西園寺家の次期当主のお話を聞こうか」
カウラはそう言うと運転席から身を乗り出して要の方を見上げた。
「ああ。徴税権の問題に関しては親父は早期施行の急先鋒だが、大河内公爵は施行そのものには反対ではないものの、そのあおりをもろに受ける下級貴族には施行以前の見返りの権益の提供を条件に入れることを主張している。烏丸家はそもそも官派の支持を地盤としている以上、今回は反対するしかないだろう。そして叔父貴は……」
要はそこまで言うと再びタバコを取り出して火をつける。周りでは遅い昼食を食べにきた作業着を着た菱川重工の技師達が笑いながら通り過ぎる。
「もったいつけることも無いだろ?嵯峨隊長は総論賛成、各論反対ってことだろ?早急な徴税権の国家への委譲はただでさえ厳しい生活を強いられている下級貴族の蜂起に繋がる可能性がある。あくまで時間をかけて処理する問題だと言うのがあの人の持論だ」
カウラの言葉に要は頷いた。
「胡州の貴族制ってそんなに強力なんですか?」
間抜けな誠の言葉に呆れて額に手を当てるカウラ。要は怒鳴りつけようと言う気持ちを抑えるために、そのまま何度か肩で呼吸をした。
「まあ、お前は西と西園寺が会話している状況を普通に見ているからな。これは隊長の意向で身分で人を差別するなと言う指示があったからだ。そうでなければ平民の西が殿上貴族の西園寺家の次期当主のコイツに声をかけることなど考えられない話だ」
カウラはそう言うと要を見上げた。タバコを吸いながら要は空を見上げている。
「でも遅せえな、アイシャの奴。さっさと置いて帰っちまうか?」
話を逸らすように要がつぶやく。
「とりあえずお前はその前にタバコをどうにかしろ」
そして、ずっと要の口元のタバコの火を眺めていたカウラが突っ込みを入れる。誠が生協の入り口を見ると、そこにはなぜか弁当以外の物まで買い込んで走ってくるアイシャの姿があった。
「ったく何買い込んでんだよ!」
「要ちゃん、もしかして心配してくれてるの?大丈夫よ。私は誠ちゃんじゃないから誘拐されることなんて無いし……」
要は仕方なくタバコをもみ消して一息つくと、そのまま携帯灰皿に吸殻を押し込んで後部座席に乗り込む。アイシャは誠がつっかえながら後部座席に乗り込むのに続いて当然のように助手席に座り買い物袋を漁り始めた。
「誠ちゃん。このなつかしの戦隊シリーズ出てたわよ」
アイシャがそう言うと戦隊モノのフィギュアを取り出して誠に見せた。
「なんつうもんを置いてあるんだあそこは?」
要が呆れて誠の顔を覗き込む。
「大人買いじゃないのか?」
車を発進させながら、カウラはアイシャに目をやった。
「ああ、そっちはもう近くのショップで押さえてあるから。これは布教のために買ったの」
そう言って要や誠にも見えるように買い物袋を拡げて見せる。そこには他にもアニメキャラのフィギュアなどが入っていた。
そのまま戦闘機のエンジンを製造している建物を抜けて、見慣れた保安隊の壁に沿って車は進む。だが、ゲートの前にでカウラは急にブレーキを踏んだ。誠や要はそのまま身を乗り出して前方の保安隊の通用門に目をやった。
そこには完全武装した警備部の面々が立っていた。サングラス越しに運転しているカウラを見つけた警備部の面々が歩み寄っているだが装備の割りにそれぞれの表情は明らかに楽しそうな感じに誠には見えた。
「どうしたんだ?」
「ベルガー大尉!実は……」
スキンヘッドの男が青い目をこすりながら車内を覗き込む。
「ニコノフ曹長。事件ですか?」
誠を見て少し安心したようにニコノフは大きく息をした。
「それがいなくなりまして……」
歯切れの悪い調子で話を切り出そうとするニコノフに切れた要がアイシャの座る助手席を蹴り上げる。
「わかったわよ!降りればいいんでしょ?」
そう言って扉を開き降り立つアイシャ。ニコノフの後ろから出てきたGIカットの軍曹が彼女に敬礼する。
「いなくなったって何がいなくなったのよ。ライフル持って警備部の面々が走り回るような事件なの?」
いらだたしげにそう言うアイシャに頭を掻くニコノフ。
「それが、ナンバルゲニア中尉の『お友達』らしいんで……」
その言葉を聞いて、車を降りようと誠を押していた要はそのまま誠の隣に座りなおした。
「アイシャも乗れよ。車に乗ってれば大丈夫だ」
要の言葉に引かれるようにしてアイシャも車に乗り込む。開いたゲートを抜けてカウラは徐行したまま敷地に車を乗り入れる。辺りを徘徊している警備部の面々は完全武装しており、その後ろにはバットやバールを持った技術部の隊員が続いて走り回っている。
「シャムさんのお友達?」
誠はそう言うと要の顔を見つめた。
「どうせ遼南の猛獣かなんか連れてきたんだろ?先週まで遼南に出張してたからな」
要の言葉に頷くアイシャ。
「猛獣?」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 3 作家名:橋本 直