遼州戦記 保安隊日乗 3
かつて胡州やゲルパルトの野党勢力の資金源として、麻薬やレアメタルの生産ルートの権益を一手に担ってきたカント将軍は近藤と言う販路を失い、その流通ルートの調査が進む現状で胡州やアメリカに今回の議会選挙の実施提案を呑まされていた。そして今回の反政府勢力と呼応しての大茶番が失敗した今では、混乱に乗じて特殊部隊の展開をほのめかす各国の司法当局の目が集まる首都の執務室さえ安全な場所とはいえなくなっていた。
ジャングルの中の秘密キャンプ。この存在を知るのは限られたカント将軍の腹心とされる人物だけと思われていたがそこに保安隊運行部のエダ・ラクール少尉と技術部小火器管理責任者キム・ジュンヒ少尉は武装して監視の任務に当たっていた。
「まあこれは駄賃らしいからな。失敗しても元々ってことだろ?」
地面すれすれに置かれた狙撃銃のスコープを覗き込み、キャンプを監視するキム。その視界には数名の政府軍兵士がいるだけで特に厳しい警備は行われていないように見えた。
「でもおかしくないかしら。一国の権力者がこんなに警備が薄いキャンプにいるなんて。確かにこのキャンプが今はアメリカの監視下に無いとしてもいったん動けばすぐに発見されるはずよね」
双眼鏡を下ろしてアサルトライフルを握り締めるエダ。キムはただスコープを覗くだけ。
「そんなことは俺達の給料のうちじゃないよ。ただここに将軍殿がいればその頭に308ウィンチェスター弾を叩き込む。それが俺の任務だ」
そう言って静かに安全装置を解除して再びスコープを覗き込む。
昼の日差しで汗は容赦なく目の中に入り込もうとする。キムはただなんどか手袋の布でそれをぬぐう。カモフラージュの為に顔に塗ったフェイスペイントも次第に汗に流されていく。
「車両が来るわね」
エダがそう告げる。一両の重機関銃を積んだ四輪駆動車がキャンプの警備兵に停車を命じられているのを見つけた。
「アサルト・モジュールで踏み潰せば簡単なんだろうがな」
皮肉めいた笑みを浮かべるキムだが、彼の視線は中央の建物から外れることは無い。空調の室外機のプロペラが止まることなく回転を続けていることだけが中に人がいることを知らしめていた。
入り口で止められていた車両の前のゲートが開き、車両はそのまま二両の装甲車の隣に停められた。
『アロー!アロー!』
突然エダの装備していた無線機に声が入る。彼女は緊張した面持ちで無線機を握った。
「感度良好」
エダが無線機に話しかける。そして彼女はそのまま停止したばかりの車両から降りる二人の政府軍の将校を見つめていた。
『ほう、少しは警戒してくると思ったがそうでもないみたいですね』
無線の向こうの男の笑みが想像できてキムは思わず噴出しそうになりながら銃のストックを頬に当てて笑いをこらえる。
「このチャンネルを使うことが許されているのは遼州では保安隊だけですもの。少なくとも何か私達に感心のあるお話がある人しか使わないから答えたまでよ」
そう言いながらエダは手にした小銃のグリップを握り締める。
『そう言えばそうですね。さすが陛下の部下の方は頭の回転が速い』
相手の言葉に『陛下』と言う言葉が混じったことでエダが相手の素性を察した。嵯峨を『陛下』と呼ぶ諜報作戦部隊は一つしかなかった。保安隊体調嵯峨は遼南帝国の皇帝の位の退位を宣言しながら議会によりそれが無効とされている。遼南帝国の特殊作戦部隊『青銅騎士団』だけがこの状況で活動可能な部隊であることはエダも理解していた。
「で、遼南の軍関係のお方が何の用かしら?」
そう言いながら身を伏せるエダ。キムは静かに呼吸を整えている。二人の位置がこの無線の相手に特定されている可能性は大きかった。キムのライフルのスコープの中の二人の士官。その一人はそのまま建物の中に入った。もう一人はタバコを取り出すと入り口でそれに火をつけた。
『アメリカと胡州の特殊作戦部隊がすでにこの地域への浸透を開始している。エダ・ラクール少尉。君から見て10時の方向にある小屋をよく見てみたまえ』
エダのフルネームを言った無線の主の言葉に従い、ぬるく流れる風にたなびく振りをしながら小屋に目を向けた。
素人ならば見逃すかもしれない。それどころかエダの遺伝子レベルでの改造により強化された視力が無ければ見逃す方が自然に思えるほどだった。小屋にかけられたすのこの破れた目から一本の鉄の筒が飛び出している。藪の中を移動している迷彩服。時折、藪の緑がゆれて見えている。
そこを小隊規模の部隊が移動していることは明らかだった。しかも、その動きは俊敏かつ的確であり、そこに敵対勢力が隠れているという先入観がなければその動きは把握できないほどに訓練された部隊であることは理解できた。
「分かったわ、信用しましょう。でもあの部隊の目的はカント将軍の略取よね。おそらくこのままカント将軍が姿を現さなければ彼らの実力で突入作戦を敢行。悪の根源カント将軍はそのままアメリカの法廷に引き出されることになるわね」
エダの言葉に無線の相手はため息をついた。
「あの人が遼南の諜報員だな」
突然キムがつぶやく。再び無線をひらいたままエダはキャンプに目をやった。相変わらず軍服の男がカント将軍がいるらしい建物の入り口でタバコをくゆらせている。
『そのとおりですね。そしてその移送の間にカント将軍の記憶を改竄して同盟解体の引き金になるような発言をさせるよう彼らが仕組んだところでそれを証明する手立ては何も無い』
タバコの士官はがその言葉が終わると明らかにエダの場所が分かっているとでも言うように向き直る。
「そりゃ心配しすぎでしょ。どうせ俺等が出張ってきたのは同盟の分裂の引き金にもなりかねない遼州の恥部を知り尽くした哀れな亡国将軍に死に場所を用意するくらいのことなんじゃないですか?」
そう言いながら黙って銃を構えるキム。
『正直だね君は。実はまもなくカント将軍は移動することになっている。胡州の現政府に批判的な勢力からの情報でこの基地がアメリカと胡州の特殊部隊の標的になっていることがわかったということでね。あと数分でカント将軍は私の立っているところを通過する予定だ。この建物のドアから装甲車までの距離が80メートル。さて、君達はどう任務を遂行するのかな』
「もったいつけなくても良いですよ。とりあえず半分まで来れば胡州・アメリカの特殊作戦部隊が動く。それまでに何とかしろということでしょ?」
キムはにやりと笑いそのまま頬を銃のストックに押し付け再び呼吸を整える。
『では、成功を祈っているよ』
男はそのままタバコを投げ捨ててキャンプの建物に向き直った。
その時、建物の扉が開かれ、重武装の護衛達が次々と建物から吐き出された。その中央に時々見える白い髪の老人。キムはスコープの中にその男を捉えた。
キムのスコープの中で大きく映し出される老人の姿。慌てる警備兵をなだめるようにその口は開かれる。その周りには防弾ベストを着込んだフル装備の警備兵が銃を構えながら取り囲んでいた。
エダに通信を送っていた士官はそのまま警備の兵士に近づいていく。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 3 作家名:橋本 直