遼州戦記 保安隊日乗 3
笑いながら要は隣のカーテンで仕切られたベッドを眺めた。時々うなり声がするので誰かがそこにいるのは間違いなかった。
「神前にも困ったもんだな。どうせ酔いつぶれればあの歌に耐えられるとでも思ったんでしょ?まあ世の中なかなかうまく行かないのはしょうがないけどね」
そう言って苦笑いを浮かべる明華。よく見れば明石や吉田の姿も見える。
「大丈夫ですよ。なんとかなりましたから」
「大丈夫だ?寝言は寝て言えよ」
軍医のドム・ヘン・タン大尉は呆れたというように誠の飲み干した液体のコップを受け取る。
「急性アルコール中毒。ひどかったんだぜかなり。瞳孔は開いてるし、時々痙攣まで起こすし……お前達どんな飲み方してたんだ?」
全員を見回すドムに明石が静かに頭を下げる。
「それと隣の。あいつはそれほど飲める体質じゃないって言ってなかったか?」
「いやあ、ビールでああなるとは思ってなかったから……」
要がうつむいてつぶやくが、すぐにドムに睨まれて黙り込む。
「隣ってもしかしてカウラさんですか?」
飲んだ液体のおかげで次第に意識がはっきりとしていく中で誠がそう切り出した。頭を掻きながらアイシャが頷く。
「あの娘も意地っ張りだからね。誠が飲むのに合わせてビールを飲み続けたら……」
「うるさい……静かにしろ……」
カーテンを開けて這い出してきたカウラ。自分が下着姿であることにまで気が回らないようで、しばらくぼんやりと青ざめた顔を外気にさらしている。
「おい、ベルガー。なんとかならんか」
明石の言葉に少し理性を取り戻したカウラがそのままカーテンの中に引っ込む。
「まあ飲むなとは言わないけどな。大人だろ?お前等も。少しは考えて飲むことを覚えてくれよ。それと今回のことで酒の持込を隊長に止めてもらうことが必要かもしれないな」
「おい!まじか?」
今度は要の顔が青ざめる。
「あの人の持ち込みは多すぎるんだよ。今回だって差し入れってことでウォッカ3ケースって……何考えているんだか……」
ドムの言葉に室内の空気はどんよりとよどんだ。
「ああ、そう言えば島田先輩達は?」
間の抜けた誠の質問に要達は目を見合わせる。
「回収済みだ。島田はもう歩いてるよ」
「ああ、仕事は無理だから部屋で休ませているけどな……ったくうちに馬鹿が多いのは誰のせいかしら?」
明石の顔を見つめる明華。その視線の中でつるつるの頭の巨漢は婚約者に見つめられながら頭をを撫でながら苦笑いを浮かべる。
「じゃあ帰還中ですか」
続いている頭痛に顔をしかめながら明石を見上げる。明石は声も無く頷いた。そして彼はスポーツ新聞を誠に渡した。場違いな新聞に不審に思いながら頭を上げて記事を見つめる誠。そこには蛍光ペンで縁取られた記事が踊っていた。
「法術適正者の封印技術の発表?」
誠はしばらくこれが何を意味するか分からずにいた。自然に視線が向いた先のアイシャが紺色の長い髪をかき上げている。
「なんで私の顔を見るの?」
「いえ……あ!そう言えば今度の職業野球のドラフトって明後日じゃないですか?」
ようやく誠は話が飲み込めた。法術適正により東都職業野球のドラフトから排除されるはずだったアマチュアのスター達が復活し、アイシャの指名順が下がるかリストから消えるだろうと言うことを。
「なんて言うか……」
「どちらにしろワレは問題になっとらんからのう」
明石の言葉に照れ笑いを浮かべる誠。自然と左肩に手が伸びるのはまだこだわりを捨てきれないのかも知れないと思いながら誠は静かに手を話した。
「アイシャ。やっぱりプロ行きたかったんじゃないのか?」
ニヤニヤしながら切り出す要。だが、笑顔を称えたままでアイシャは首を横に振る。
「今の仕事は気に入っているし、そんな勝負の世界のギリギリの精神状況なんてこっちから願い下げよ。それに誠ちゃんが……」
笑うアイシャ。緊張が走るのを悟って誠は再び記事に目を通した。
「へえ、アマチュア競技のすべてで登録選手の検査実施と法術適正者の封印処置について地球連合保険局と遼州同盟厚生局が責任を持つ……ですか。スポーツが平和貢献するとはなかなかいい話ですね」
そう言って誠は新聞を要に渡した。ドムが気を利かせてスポーツ飲料のペットボトルを誠に渡す。
「病人を刺激するのはそれくらいにしておいてくれ。あとはあれだ。脱水症状に注意しながら安静にしてれば何とかなる。まあベルガーはもう動いても大丈夫だぞ」
ドムの言葉にカーテンがひらかれる。上着をつっかけた姿のカウラがのろのろと起きだしてきた。明らかに顔色が悪いのは仕方が無いことだと誠は笑った。
「よう、飲みすぎ隊長殿。ご気分は?」
へらへらと笑いかける要を黙って睨みつけるカウラ。誠はドムからもらったペットボトルを飲み干すとそのままベッドに体を横たえた。
その姿を見て明石や明華は納得したように要達に目配せする。要は珍しくじっと誠を見つめた後、布団を誠にかけてやっていた。
「これでミッションは最終局面に入ったわけだ」
彼らを見つめながら吉田がそうつぶやくのが誠の耳に届いたが、次第に睡魔に襲われていく彼にその言葉を意識する能力はすでに無かった。
季節がめぐる中で 46
バルキスタン中部の政府軍の秘密キャンプは雨季には珍しい晴天に恵まれていた。天空から降り注ぐ光ははこの土地が赤道に近いことを知らせるように赤土の目立つ大地を焼き、茂る下草と潅木の上に容赦なく降り注いでいた。
「気温は摂氏38度、湿度は75%」
カモフラージュされたテントから這い出て草むらに身を隠す女性士官は手元の計器の値を読み上げた。彼女が双眼鏡を構えて見つめている先にはキャンプの中でもひときわ大きな建物の裏口があった。警備兵も居らず、静まり返っている。
「隊長の情報網だからな、間違いは無いと思うが。それにしても……」
女性士官の足元には寝そべるようにして狙撃銃を構える士官がいた。地面に寝そべり土嚢の上に構えられたライフルはブレイザーR93。骨董品のこの銃のマガジンを手元に三つ並べている彼だが、ようやく踏ん切りがついたと言うようにその中央のマガジンを手に取ると銃に装着しレバーを引いて装弾した。
手前の鉄条網の前を政府軍兵士が往復している。彼ら、エダ・ラクール少尉とキム・ジュンヒ少尉がこの場所で監視を始めてから次第に警備の兵士の巡回のペースが上がっているのが分かった。
反政府軍の攻勢が二人の後輩である神前誠曹長の法術兵器の一撃で失敗に終わったあと、政府軍の首魁、エミール・カント将軍は首都の執務室からこのキャンプへと身を隠していた。同盟はカント将軍の意向を無視して人道目的の支援の名目で両軍のにらみ合う地域に部隊を派遣、事実上の占領を開始していた。全面衝突を防ぐことに成功したと言う美名と医療支援と治安確保という名目を並べられてはカント将軍もそれを黙認せざるを得なくなっていた。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 3 作家名:橋本 直