遼州戦記 保安隊日乗 3
楓の後ろに白い幅のある髪留めでまとめられた黒く長い髪を撫でながら再び彼女の父親に視線を送る康子。ごまかすようにして廊下を小走りに走る人影に嵯峨は目を向けた。そこには西園寺家の被官である別所晋一がいつもの寡黙な表情のまま楓の座っているところまで来ると片膝をついて控えた。
「大公殿」
「大公殿は二人居るよ。どっちだい」
嵯峨の投げやりな言葉に別所は視線を嵯峨の方に向けた。
「では泉州公。明石から連絡で作戦開始時間になったそうです」
「そうか」
嵯峨はそれだけ言うと再び木刀を手にして立ち上がり素振りを始めた。
「父上、心配ではないのですか?」
別所の言葉を聞いて静かに問いかける楓。だが、嵯峨はまるで表情を変えずに素振りを続けるだけだった。
「大丈夫よ楓ちゃん。要ちゃんもついているんだから。それに新ちゃんの話では今度の作戦の鍵になる誠君ていう人は結構頼りになるみたいだし。ねえ、晋一君」
その勇名で知られる康子に見つめられ、ただ別所は頭を垂れるだけだった。
「ああ、別所。オメエが長男で無けりゃあこいつと……」
「僕は認めません!」
嵯峨の与太話を思い切りよく否定する楓。そしてただ頭を下げる別所に嵯峨は諦めたような笑いを浮かべるしかなかった。
「どうもねえ、こんなふうに現場に立てねえってのは……つらいもんだねえ」
そう言って木刀を納めて縁側に戻る嵯峨を康子はいつにない鋭い視線で見つめていた。
「大丈夫よ。要ちゃんがうまく動いてくれるわよ。なんといっても私の娘なんですから」
嵯峨は姉のその迷いの無い言葉に複雑な笑みを浮かべることしかできなかった。
季節がめぐる中で 39
『むー……』
『どうしたんだ?西園寺。くしゃみでも出るのか?』
誠の05式はすでにすべての射出準備を終え、モニターで先発を切るカウラと後詰の要の二人の顔がモニターに浮かんでいる状態だった。
『噂話でもしてるのかねえ。ったくどこの馬鹿だ』
サイボーグ用の特殊なその特徴的なタレ目を隠しているゴーグルのついたヘルメットの下で閉じた口と鼻を動かす要。笑みを浮かべながらそんな要をからかうカウラ。
『投下予定ポイントまで一分!』
菰田の叫び声と共に輸送機は大きく傾いた。
『このまま対空射撃でどかんは勘弁してくれよ』
ようやく落ち着いた要の口元にいつも戦線に立つ彼女特有の薄ら笑いが口元に浮かんでいるのが見える。誠は何度も操縦棹を握りなおした。手袋の中は汗で蒸れている。気が変わり右手で腰の拳銃に手をやる。
「落ち着けよ少しは」
そう言って笑う要に誠もただ苦笑する。
『レーダーに反応!9時の方向より飛行物体3!信号は東和陸軍です!』
パーラの鋭い声。誠のモニターに今度はパイロットのヘルメット姿のランが映った。
『待たせたな!どこの機体だろうがオメー等は落させねえよ!予定通り侵攻しろ!』
ランの言葉に合わせるようにして輸送機が再び大きく傾く。
『ハッチ開きます!』
それまで三体のアサルト・モジュールを眺めていた整備班員が次々に隣の加圧区画に消えていく。
『カウント!テン!ナイン!エイト!……』
パーラのカウントが始まるとカウラのヘルメットの中の顔が緊張して引き締まって見える。誠はその姿に目を奪われた。
『射出!』
『一号機!カウラ・ベルガー、出る!』
誠の機体が一号機のロックが外れた反動で大きく揺れる。そして一号機をロックしていた機器が移動して誠の機体が射出ブロックに押し込まれる。誠は自分の05式乙型が装備している長い非破壊広域制圧砲を眺めた。
『大丈夫だって。そいつを入れての飛行制御システムは完璧なんだ。自信を持てよ』
そんな要の言葉を背に受けた誠は黙って操縦棹を握りなおした。
『カウント!テン!……』
『私は信じているから』
パーラのカウントの声にかぶせるようにアイシャの一言が聞こえた。誠は呼吸が早くなるのを感じる。手のひらだけでなく背中にも汗が染みてきていた。
『ゼロ!』
「神前誠!出ます!」
パーラのカウントに合わせて誠が叫ぶ。
がくんと何かが外れるような音がした後、レールをすべるようにして05式乙型は輸送機から空中へと放り出された。シートに固定されていた体に浮遊感のような感覚が走った後、すぐさま重力がのしかかるがそれも一瞬。すぐに重力制御の利いたいつものコックピットの状態になりゆっくりと全身の血流が日常の値へと戻っていくのが体感できる。誠はそのまま機体の平行を保ちつつ、予定ルートへと反重力エンジンを吹かす。要の言ったとおり、長くて重い法術兵器を抱えていると言うのに誠の乙式はいつもと同じようなバランスで降下していくカウラ機のルートをなぞって誠の機体は高度を落して行くことができた。
誠の機体の高度は予定通りの軌道を描いて降下を続けていた。そこに突然未確認のアサルト・モジュールから通信が入る。
『進行中の東和陸軍機及び降下中のアサルト・モジュールパイロットに告げる!貴君等の行動は央都条約及び東和航空安全協定に違反した空域を飛行している。速やかに本機の誘導に……何をする!』
イントネーションの不自然な日本語での通信が入る。誠は目の前を掠めて飛ぶ機体に驚いて崩したバランスを立て直す。ヨーロッパの輸出用アサルト・モジュール『ジェローニモ』。空戦を得意とする軽アサルト・モジュール。西モスレムの国籍章を付けた隊長機らしい機体が輸送機に取り付こうとしてランの赤い機体に振り払われた。
『邪魔はさせねーよ!菰田、そのまま作戦継続だ!』
ランの叫び声にモニターの中のパーラが指揮を取るアイシャを見上げていた。
『作戦継続!要、アンタのタイミングでロックを外すわよ』
『任せとけって……3、2、1、行け!』
要の叫び声が響くが、誠にはそれどころではなかった。一機のジェロニーモが誠の進行方向に立ちはだかっていた。手にした法術兵器が作戦の鍵を握っている以上、誠は反撃ができない。それ以前に相手はバルキスタン紛争に関心と利権を深く持っている同盟加盟国の西モスレム正規軍機である。
『空は任せろよ!2番機、3番機は神前機の護衛に回れ!あれが墜ちれば終わりだ!』
誠はひたすらロックオンを狙うジェロニーモから逃げ惑う。手にしている馬鹿長い砲を投げ捨てて格闘戦を挑めば万が一にも負けることの無いほどのパワーの差があるのが分かっているだけに、誠はいらだちながら逃げ回る。
そこに敵にロックオンされたと言う警告音が響く。誠が目を閉じる。
ランの部下の89式が目の前のジェローニモに体当たりをしていた。バランスを崩して落下するジェローニモ。
「ありがとうございます!」
『仕事だ、気にするな。アタシのレーダーでは他にあと四機邀撃機があがりやがった。しかも東和陸軍のコードをつかってやがる……こっちは落とせるな。これからは輸送機の護衛任務に専念するからあとはカウラ、何とかしろ』
その通信が切れると誠の機体のレーダーには取り付いていた三機のジェローニモがランの部隊の威嚇で誠達から距離を置いたと言う映像が浮かんでいた。
『対空砲火、来るぞ』
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 3 作家名:橋本 直