遼州戦記 保安隊日乗 3
「まあこれもあのおっさん一流の布石なのかも知れねーな。第二小隊が問題児の塊と言うことになれば、必然的にそれを押さえられる人物を同盟法務局に異動させる必要があると上は考えるだろう。そうなるとアタシくらいしか候補はいねーわけだ。結果、できあがるのは遼南内戦のエースのうち二人が在籍する緊急時即応部隊。さすがに予算をケチる理由が少なくなる……はず……」
茶を飲み終わったランの目の前にモニターが開く。そこにはヨハンの姿が映っていた。
「実験準備完了しました。観測室までお願いします」
ヨハンの一言にランは腰を上げた。シンはようやくこの小さな上官の関心が自分からこれから始められる実験に移った事に安堵したように立ち上がった。高梨もまた興味深げにそんな二人を見上げる。
「まー……いいや、そこらへんは今度あのおっさんに直接確かめることにするわ。じゃー行くぞ」
そう言うとランは教導官室を出ようとする。シンと高梨もその後に続いた。
「なんか話を蒸し返すみたいでなんなのですが、明石中佐が異動になるってことですか?」
シンの言葉にランは腕を胸の前に組んだままその鋭いまなざしで行く手を見つめている。
「同盟法務局が公安と保安隊、それに法術特捜に関する交渉ごとをする人材が欲しいって話だからな。それなりに交渉ごとのできる前線部隊出身者となるとそうはいないから」
そう言うランの言葉に頷く高梨。
「あの人は保安隊では珍しく上の受けは良いですからね……ああ、それとシン大尉も良いですよ」
壁にひびの目立つ廊下を歩きながら立ち止まって敬礼をしてくる部下達の前を通り過ぎながら、三人は管制室へ向かうエレベータに乗り込んだ。
沈黙が支配するエレベータを降りたシン達の前に広がる管制室の機器の壁。その中で一際大きな二百キロを越える巨大な体を椅子にようやく乗せながら、大きな手に似合わない小さなキーボードをいじっている男がいた。
「どうだ、シュペルター中尉」
声をかけたランに、巨体の持ち主ヨハンは何も言わずに振り返るとそのままキーボードで端末への入力を続けていた。
「とりあえず非破壊設定での指定範囲への砲撃を一回。それから干渉空間を設定しての同じく非破壊設定射撃。どちらも隊長が失敗した課題ですね」
モニターに目を向けたまま語るヨハンの言葉に高梨は眉をひそめた。
「兄さんが失敗ですか?」
高梨にとっては腹違いの兄、嵯峨惟基が失敗をするということが信じられないことだった。だが、その言葉を聞いて作業を中断したヨハンの顔はきわめて冷静だった。
「あの人の法術能力は確かに最高の部類に入るんですが、制御能力には著しい欠点がありましてね。まあ法術能力の封印をろくに解除の技術も無いアメリカ陸軍が興味本位で解いたものですから……どうしても制御にかかる負担が大きすぎるんですよ」
そう言ってまたヨハンはモニターに向き直る。シンは周りを見回す。目の前には巨大なモニターが三つ。一つは背後から誠の乗る05式の姿を大写ししている。その隣のモニターには演習場全域に配置された法術反応の観測の為のセンサーの位置が移っている。どれもまだ緑色で法術反応を受けていないことが表示されていた。そしてその隣の一番左のモニターはコックピットの中で静かに腕組みをしている誠の姿が映されていた。
「しかし、この指定範囲。ホントにここすべてを効果範囲にするのか?やりすぎじゃねーの?」
手元に並ぶ小さなモニターで巨大な演習場のすべてを映し出しているのをランは見つめた。シンは再び大画面に目をやる。演習場の各地点に置かれた法術反応を測定する機器のマーカー。そこに映る地図がこの演習場の全域を表示しているのは何度と無くフランス系のアサルト・モジュールばかりを乗り継いできた彼が現在保安隊に配備されている05式への機種転換訓練で嫌と言うほど見た地形なのはすぐに理解できた。そしてセンサーが置かれている範囲は誠が試作法術砲を構えている地点から奥は三十キロ、左右は二十キロというほぼ演習場の全地域であることもすぐに気が付いた。
「この範囲を活動中の意識を持った生物に法術ダメージでノックアウトする兵器か。確かにこれは脅威ですね」
この二月。時にCQB訓練やシミュレータを使っての訓練と言う名目で第二小隊の訓練に狩り出されたこともあるシンから見ても、誠の干渉空間制御能力の上昇は著しいものだった。シンのパイロキネシス能力は自らの干渉空間に敵を招き入れることで発動する能力である。だが、誠の作り出す干渉空間はシンのそれを侵食しながら展開する性質のものだった。
自らの作り出した空間の侵食に気付いた時には、すでに誠とツーマンセルで動いている要やバックアップのカウラが訓練用の銃をシンの背中に向けている。あの室内戦闘では嵯峨と並ぶ実力の持ち主である保安隊警備部のマリア・シュバーキナ少佐ですら、誠の展開する干渉空間への侵食は不可能だと言い切っていた。彼女に言わせれば誠にとってシンや自分の能力は見つけてくださいと自分で叫んでいるようなものだと言うことも聞いていた。
だが、どれも範囲としては広くて600メートル四方。今回の試射の範囲とは桁が違った。それだけの広域にわたって干渉空間を形成する。シンは目の前のむちゃくちゃな実験に半ば呆れていた。
「本当にこれだけの範囲を制圧可能な兵器なんて……」
「シンの旦那。誠の実力からしたら計算上は可能なんでね。そうでもなければこの演習場を午前中一杯借り切るなんて無駄なことはしませんよ」
ヨハンはようやくデータの設定が終わったと言うように伸びをしている。
「じゃあ見てやっか、あの餓鬼の力がどれほどなのかよ」
そう言うとランは空いている管制官用の椅子に腰を下ろした。
季節がめぐる中で 5
「神前曹長!安全装置解除の指示が出ました!」
誠の05式の足元の観測装置をいじっていた西の顔がモニターに広がる。
「了解!第一安全装置解除。続いてエネルギー接続段階一、開始」
次第に鼓動が高鳴るのを感じながら、誠はいつものシミュレータの時のように思った通りに動く自分の手を感心しながら見つめていた。
『これが昨日の投球でできたらなあ』
そんな雑念が頭をよぎる。考えてみれば試合途中で抜けてきたので、結果がどうなったのか知らない自分に気付いて思わず苦笑していた。
「法力チャージに入ります!」
西の声で再び誠の意識が引き戻された。体に一瞬脱力感のようなものが走った。モニターに表示されたエネルギーゲージは次第に上がっていく。それにつれて法力のゲージも急激に上がり始めた。
「範囲指定お願いします!」
甲高い西の声が頭に響く。誠は管制システムを起動し、自分の意識とそれをリンクさせる。これまでの実地で指定した範囲と比べて圧倒的に広い範囲である。だが、誠もこれまで何もせずにいたわけではない。ヨハンや吉田に言わせると『アサルト・モジュールパイロットとしては二流だが法術師としての能力は一流』な誠である。管制システムに模擬干渉空間を展開し、ほぼこの演習場一円をその範囲に指定する。
「それではその状態で待機してください!」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 3 作家名:橋本 直