遼州戦記 保安隊日乗 3
シンは立ち止まって自分の思考にのめり込んで起した間違いに照れながら高梨のところに戻った。そのまま高梨はさわやかな笑顔を浮かべながら教導部隊部隊長の執務室のドアをノックする。
『ああ、オメー等か。来るんじゃねーかと思ってたよ』
教導官と言う部屋の主に似合わない幼女の言葉がインターホンから響いて、自動ドアが開いた。
中を覗くシン。そこでは大きな執務机の向こう側で小さな頭が動いている。
「高梨の旦那は久しぶりだな」
そう言って椅子から降りる8歳くらいに見える少女がそこにいた。身に纏っているのは東和陸軍の上級士官の執務服。胸の略称とパイロット章が無ければ彼女が何者か見抜くことができないだろう。しかしシンもこの少女が先の遼南内戦で共和軍のエースとして君臨し、東和亡命後は実戦経験のほとんど無い東和軍では唯一の実践的な戦術家であることを何度かの教導で身をもって知っていた。
「まあ、立ち話もなんだ。そこに座れよ」
少女はシンと高梨に接客用のソファーを勧める。
彼女、東和陸軍第一教導団教導部隊長クバルカ・ラン中佐は二人がソファーに腰掛けるのを確認すると自分もまたその正面に座った。
クバルカ・ラン中佐。
噂では年もとらず、首を落としでもしない限り死ぬことは無い『仙』と呼ばれる存在だとか噂するものもいたが、シンは特に詮索はしないことにしていた。
それは近藤事件以前は存在そのものを伏せられた存在だった。
この遼州と言う星は、学説にも寄るが数千万年から新しく見ても200万年前に栄えた宇宙文明の生体兵器の製造実験場だったと言う説もあることをシンも知っていた。自分の法術発動能力である干渉空間内部での発火能力。いわゆるパイロキネシス能力も遼州人の能力のひとつだった。そんな地球人に無い力の存在が公になる以前に母に力を絶対に使うなと言われたことが頭をよぎった。そして出来る限り表舞台から隠れてボイスチェンジャーで大人を装って教導を続けてきた苦労人のランをしみじみと眺めていた。
「なんだよシン。そんなに心配か?オメーのところの新人がよ」
何かを考えているようなシンの姿を見てランはそう言うとテーブルの上の灰皿をシンの前に置いた。
「いいんだぜ、我慢してたんだろ?」
気を使う小さな上官に頭を下げながら、シンはポケットからタバコを取り出した。
「高梨参事が一緒ってことは人事の話か?アタシもまー……おおよそでしか知らないんだけどな」
そう言うとランは胸の前に腕を組んだ。教導隊と言うものが人事に介入することはどこの軍隊でも珍しいことでは無い。しかもランは海千山千の嵯峨に東和軍幹部連との丁々発止のやり方を仕込まれた口である。見た目は幼くしゃべり方もぞんざいな小学生のようなランもその根回しや決断力で東和軍本部でも一目置かれる存在になっていた。
「要するに上は首輪をつけたいんだよ、あのおっさんに。それには一番効果的なのは金の流れを押さえることだ。となると兵隊上がりよりは官僚がその位置にいたほうが都合がいいんだろ……って茶でも飲みてーところだな」
そう言うとランは手持ちの携帯端末の画像を開く。
「すまんが日本茶を持ってきてくれ……湯飲みは三つで」
ランは画面の妙齢の秘書官にそう言うと二人の男に向き直る。その幼く見える面差しのまま眉をひそめてシンと高梨を見つめる。
「まあ予算規模としては胡州とゲルパルトが同盟軍事機構の予算を削ってでも保安隊に回せとうるさいですからね」
そう言いながら頭を掻く高梨。自動ドアが開いて長身の女性が茶を運んでくる。
「胡州帝国の西園寺首相は隊長にとっては戸籍上は義理の兄、血縁上は叔父に当たるわけですし、外惑星のゲルパルトのシュトルベルグ大統領は亡くなられた奥さんの実家というわけですしね。現場も背広組みはとりあえず媚を売りたいんでしょうね」
シンはそう言うと茶をすすった。
「実際、東和あたりじゃ僕みたいな遼南王家や西園寺一門なんかの身内を司法局という場所に固めているのはどうかって批判はかなり有るんですが……、まあ大国胡州が貴族制を廃止でもしない限りは人材の配置が身内ばかりになるのは仕方ないでしょうね」
静かに高梨は手にした茶碗をテーブルに置いた。湯飲みで茶を啜りながらシンは横に座る小柄な高梨を観察していた。それなりの大男の嵯峨とシンの胸辺りの慎重の高梨。体格はかなり違うがその独特の他人の干渉を許さない雰囲気は確かに二人が血縁にあることを示しているように思えた。そして嵯峨の母方の血縁である手に負えないじゃじゃ馬の姫君のことが頭をよぎる。
「西園寺と言えば……シン。お前のところの青二才どもは元気みてーだな」
ランはそう言うと再び携帯端末を開いて画面をシンと高梨から見えるように置いた。開いたウィンドウには宇宙空間を飛ぶ保安隊の主力アサルト・モジュール、05式が映し出されていた。誠のいる第三小隊のシミュレータでの戦闘訓練であるが、三機のアサルト・モジュールの動きは組織戦を重視していたシンが隊長をしていた頃に比べてちぐはぐなものだった。
襲い掛かる仮想敵のM10に勝手に突っ込んでいく二番機西園寺要大尉。それを怒鳴りつける小隊長のカウラ・ベルガー大尉。そして二人の女性士官に怒鳴り散らされながら右往左往する誠の痛い塗装の05式乙型。
「これじゃあアタシに話が来るわけだよ。まるででたらめな機動じゃねーか。明石や吉田は何も言わないのか?」
ランの幼く見える瞳がシンを見つめている。
正直、シンも上官である保安隊実働部隊長の明石清海(あかし きよみ)中佐や、システム運営担当で明石の右腕でもある吉田俊平少佐が全く第二小隊に助言をしないのを不思議に思っていた。第二小隊の小隊長のカウラは東和軍のアグレッサー部隊の出身とは言え、指揮官としての実戦経験は先の近藤事件が初めてだった。彼女が製造時に戦闘知識を脳に焼き付けられる『ラストバタリオン』と呼ばれる人造人間だとしても、瞬間湯沸かし器並の暴走娘、要を部下に抱えれば苦労することはシンも予想していた。
要の実家、西園寺家は胡州の四大公の筆頭の家柄、そして要はそのたった一人の姫である。確かに庶民派で知られる父西園寺基義の影響を受けて柄の悪いところはあるが、プライドの高さだけは胡州貴族らしいとシンも思っていた。それに胡州陸軍の暗部とも言える非正規戦部隊の出身と言うこともあり、軍でも日のあたるところを歩いてきたカウラとは全くそりが合うはずもなかった。
目の前のシミュレーションの画面では敵をどうにか撃退した後に起きる二人の喧嘩と、誠のうろたえる姿が映っている。
「まあ二人とも筋は良いみてーだがな」
ランは苦笑いを浮かべている。隣の高梨に視線を向けたシンが見たのはあきれ返っているキャリア官僚の姿だった。すぐにシンの視線に気が付いた高梨は目を逸らして空の湯飲みを口に運ぶ。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 3 作家名:橋本 直