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遼州戦記 保安隊日乗 3

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「ああ、なんでも楓の家督相続の披露のことで相談があるとか言ってたな。楓や赤松夫妻なんかとお出かけだそうだ。残念だったな」 
 そう言うと西園寺は煮えた肉を卵の溶かれた取り皿に移していく。
「めんどくさいねえ。俺の時はまったくなんにも無かったのに」 
「そりゃあ、お前さんの家督相続の時は戦時中だったからな。しかもうちは売国奴扱いされた家だ。派手な披露なんてできる状態じゃなかったろ?それに理由は……いや、このことは言わねえ方がいいか……」 
 そう言う西園寺の顔は笑っていなかった。当時のことを考え出せば二人とも同じ人物、嵯峨の妻エリーゼのことを思い出すことになる。
 父、西園寺重基は先の大戦では強行に開戦反対を唱え、地球討つべしの世間の流れに逆行することとなった。事実上、四大公爵家筆頭としての地位を取り上げられ、軍部の執拗な監視の下に押し込められた彼が帰国した次男嵯峨惟基の嫁エリーゼと二人の孫を迎えに行ったとき、暗殺者の爆弾が炸裂した。
 娘をかばうようにして伏せたエリーゼは病院に搬送される途中で息絶えた。世間では気さくで世話好きな兄貴肌と評される西園寺が目の前の弟に再婚を勧めることをしないのは、弟の妻を守れなかったという負い目を知っているからだと思われていた。
「まあ、ようやく思い出になるかもしれない……と思いたいですね」 
「おう、思い出か?そりゃあ良い事だ」 
 西園寺の顔が微笑みに満たされる。その娘、要とよく似たタレ目を見つめると、つい嵯峨は本気の笑いに飲み込まれていった。
「笑いすぎだぞ。それよりこっちの春菊。苦くなる前に取っとけ」 
 そう言って春菊を取る西園寺。嵯峨もそれに合わせるように春菊と白滝を取り皿に移し変える。弟のその手つきを身ながら西園寺はちゃぶ台に取り皿と箸を置くとゆっくりと話し始めた。
「俺の苦労もわかってくれよな」 
 西園寺の言葉に嵯峨は思わず目をそらしていた。
「四大公の籍を抜くってことの意味はわかってるだろ?議会やら野党やらがお前さんが胡州の帝位に着くんじゃないかって言う憶測が流れて……」 
「そのくらいのことはわかってますよ」 
 嵯峨は兄の言葉を聞きながら春菊を頬張った。
「烏丸の嬢ちゃんの取り巻きが騒ぎ立てて大変だったんだぜ……」 
 西園寺はそれだけ言うと静かに自分の猪口に酒を注ぐ。胡州帝国の帝位は遼南皇帝が就くと言う慣例が崩れてから二百年が経っていた。皇帝のいない帝国。そんな状況に西園寺の足元からも嵯峨の皇帝の即位を求める声があった。法整備と経済運営に手腕を発揮して遼南復興の道筋を開いた嵯峨の政策を見た人々は、彼による遼南帝家による胡州元首復帰を公然と求める動きすら二人の下には届いていた。
 そんな無責任な噂を抑えてきたのは家臣である公爵が玉座に着くことは矛盾があると言う西園寺基義の憲法解釈によるところが大きかった。嵯峨はそれに合わせるように、常に署名には嵯峨の所有する領邦から呼ばれる別号『胡家泉州公』と記して胡州の反西園寺派に配慮した態度をとり続けた。
 だが、今や嵯峨は公爵家の家督を楓に譲り、形の上では嵯峨宗家とは縁が切れる形となっていた。そして嵯峨惟基の遼南帝国皇帝退位宣言は、現遼南帝国宰相、アンリ・ブルゴーニュを首班とする内閣に無効を宣言されていた。このことで理屈の上は嵯峨惟基は胡州帝国の皇帝に即位する権利を有していることになった。
 元々自国に敵の多い嵯峨が皇帝として君臨することを恐れる勢力による西園寺への圧力を想像できないほど嵯峨は愚かでは無かった。だがそれをてこにどう動くか。政治的位置の違う兄弟のいざこざをこの十年余り繰り返している弟を見ながら西園寺基義は諦めたようなため息をついた。
「まあ、どうにかなるだろ」 
 西園寺はそう言うと再び取り皿を手に取った。嵯峨は自分の皿に取り置いていた安い肉をゆっくりと口に運ぶ。
「肉ばかり食べるなよ。焼き豆腐。もういいんじゃないのか?」 
 西園寺はそう言うと鍋の端に寄せてあった焼き豆腐とねぎを自分の取り皿に盛り上げた。そしてその箸がそのまま卵に絡めた肉に届いたときだった。
 突然、嵯峨の背にしている廊下で人の争うような声が聞こえてきた。
「なんだ?」 
 嵯峨はそう言いながら焼き豆腐を取り皿に運ぶ。
 西園寺家には先代の重基の代から多数の食客が暮らしていた。とりあえず面白そうだと思った芸人や画家、役者や漫才師が自由に出入りする文化的なサロン。それが西園寺家のもう一つの顔だった。今日は兄弟が殿上会の帰りに護衛のSPに大量の安い牛肉を買い漁らせ、彼ら居候達にもすき焼きと安酒が振舞われているところだった。
 はじめは西園寺はそんな食客達が喧嘩でもしているのではと思い嵯峨の顔を覗き見た。
 嵯峨はまるで待っていた人物が到着したとでも言うように、取り皿の中のしらたきをすすり終えると静かに取り皿をちゃぶ台に置いた。それと同時に血相を変えた醍醐文隆陸軍大臣が思い切りよく襖を開いた。
「大公!」 
 醍醐の視線は安酒をあおる嵯峨に向けられた。その目は赤く血走り、口元は怒りに震えていた。
「そんなに大きい声を出すこと無いじゃないですか」 
 そう言うと嵯峨は再び取り皿に手を伸ばす。そんな嵯峨に歩み寄った醍醐は嵯峨の前にどっかりと座り込んだ。それまで醍醐を止めようとしていた食客の太鼓持ちが、どうすればいいのかと聞くように西園寺の顔を見た。西園寺は手で彼らに下がるように命じた。
「バルキスタンのイスラム民兵組織がアサルト・モジュールを保有しているのはなぜなんですか?」 
 自分自身を落ち着けようと嵯峨の前に置かれた燗酒の徳利を一息で飲み干すと、醍醐はそう言って嵯峨に詰め寄った。
「近藤資金の規模から考えたら少ないくらいじゃないですか?M5が32機、M7が12機。そのほかもろもろで102機。まあこのくらいの兵力を確保していなければ、カント将軍の首を取っても同盟軍に押しつぶされるでしょうからね」 
 嵯峨はそう言うと取り皿に肉を置いていく。目の前のかつての主君から放たれた言葉に醍醐の顔はさらに赤く染まっていく。
「ほう、良くご存知ですね。ですが私の情報では彼らはアサルト・モジュールを所有していないはずだった……まるで誰かが用意してやったみたいじゃないですか!」 
「まあ情報機関が情報をつかめない。よくある話じゃないですか。まあ現実を見てくださいよ現実を」 
 そう言って嵯峨は怒りに紅潮している醍醐をなだめるように一瞥した。しかし、その口元に浮かんでいる皮肉めいた笑みはさらに醍醐を怒らせるだけだった。
「じゃあどうやって彼らはアサルト・モジュールを手に入れたと言うんですか!」 
 醍醐は思わずちゃぶ台を叩く。その姿に西園寺はただ愛想笑いを浮かべるだけだった。
「まあ裏ルートと言っても俺が抑えている線ではそんなに大掛かりな密輸組織は無いですし……。彼らのバックにいる西モスレムも、今回のバルキスタンの選挙にはカント将軍が仕切ると言うのはいかがなものかと言う前提つきで監視団を送っているくらいですからねえ……」 
 そう言いながら嵯峨は肉に溶き卵を丁寧にからめている。