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遼州戦記 保安隊日乗 3

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 そう言うアイシャはすでにジーンズからカードを取り出して席をたっていた。
「今度は僕に払わせてくださいよ」 
 誠の言葉に首を振るアイシャ。気になって振り向いた誠の前には鋭く突き刺さる要とカウラの視線があった。
「ちゃんとアタシ等が出るまで待ってろよな!」 
 そう言ってコーヒーのカップを傾けるラン。一足先に店を出た誠。
 彼は奇妙な感覚に囚われた。
 何者かに見つめられているような感覚。そして虚脱感のようなもので力をこめることができない体。それが第三者の干渉空間の展開によるものだと気づいたのは、ランが厳しい表情で店の扉をすばやく開けて飛び出してきたのと同時だった。
「神前。オメーは下がってろ」 
 そう言ってランは子供用のようなウェストポーチから彼女の愛銃マカロフPMMを取り出した。周りの買い物客はランの手に握られた拳銃に叫び声をあげる。 
「保安隊です!危険が予想されます!できるだけ頭を低くして離れてください!」 
 部隊証を取り出して周りの人々に見せながら、誠も干渉空間を展開した。店の中のアイシャ達は警戒しながら外の様子を見守っている。シャムとカウラは丸腰だが、アイシャと要は拳銃を携帯しており、吉田の左腕には2.6mm口径のニードルガンが内蔵されている。
「あのパチンコ屋のある雑居ビルの屋上です!」 
 誠はその明らかにこれまで接触をもったことの無い種類の干渉空間を発生させている人物の位置をアイシャに伝えた。
「おう、こういうところでは感覚通信は危険だって習ってるんだな。良い事だ」 
 ランはそう言うと店から銃を構えて出てきたアイシャにいったん止まるように指示を出す。
「とりあえずアイシャ。テメーはシャムとカウラを連れて一般人の避難誘導の準備をしておけ。それと西園寺と吉田は現状の把握ができるまでこの場で待機。指示があるまで発砲はするな!」 
 そう言うとランは彼女の拳銃に驚いてブレーキを踏んだ軽トラックの前を疾走して敵対的な行動を示している法術師の確保に向かった。誠はいつでも干渉空間を複数展開できることを確認すると、先日嵯峨から受け取った銃、モーゼル・パラベラムを構えながら雑居ビルの階段を登ろうとするランの背中についた。
「的確な判断じゃねーか。まあ、もう少し状況を把握してくれる探知系の干渉空間をはじめに展開してくれたら楽だったんだがな!」 
 そう言ってランは銃を構えたまま開く扉から出てくる男に銃口を向ける。
 雀荘から出てきた近くの大学の学生らしい若い男はその銃口を見て驚きの声を上げた。だが、すぐにランが銃口を下げて階段を下りるように手を動かすと、すごすごと降りていった。
「どうだ?相手は動いてるか?」 
 ランはそう言うと階段を今度は三階に向けて駆け上っていく。
「感覚的にはそう言う感じはしないですね。しかし、この空間制御力は……相当な使い手ですよ」 
 そう言いながらランの後ろにぴったりとついて誠も階段を上る。ランも超一流の法術師であることは初対面の時にわかっていた。しかし、ランは一切力を使うそぶりも見せない。
 法術師同士の戦いでは力を先に使った者が圧倒的に不利になる。初動の法術は往々にして制御能力ギリギリの臨界点で発動してしまうことが多いため、最初の展開で術者の能力は把握されてしまうのが大半のケースだとその専門家のヨハンから聞いた言葉が頭をよぎる。
 一応は遼南帝国の精鋭部隊『青銅騎士団』の団長であるシャムや保安隊に間借りしている法術特捜の主席捜査官、嵯峨茜警視正の法術訓練の成果がランの行動の意味を誠に教えていた。
「このまま一気に屋上のお客さんのところまで行くぞ!」 
 そう言うとランは銀色に輝く切削空間を作り出す。飛び込むランと誠。
 昼下がりの生暖かい日差しを目にすると誠はすぐに防御用の空間を展開した。
 しかし、目の前のランは銃を下ろしていた。誠もそれまで感じていた干渉空間とは違う感覚が誠を包んでいることを理解した。
「これは少し遅いのではなくて?」 
 そう言いながら手にした愛刀村正を鞘に収めていたのは、いつも誠に法術系戦闘術を伝授している嵯峨惟基の長女、茜だった。
「逃げたってことか?」 
 そう言いながら子供向けのポーチに拳銃をしまうラン。
「だとしたらいいですわね。こんな繁華街で破壊活動に出られたら私達は手も足も出ませんもの」 
 そう言いながら茜はぼんやりと手すりのない屋上から階下の道を眺めた。
『アイシャさん、解決しましたよ』 
『わかったわ。とりあえず所轄が来るまで現状の保全体勢に入るわね』 
『ったく、つまんねえなあ。この前みたいに暴れてくれたらよかったのによう』
 アイシャとの感覚交信に割り込んでくる要。
『あの海に行った時みたいなことはもうごめんですよ』 
 そう言って苦笑いを浮かべる誠を監視するように見つめる茜。
「あの海の法術師、北川公平容疑者程度ならよかったんですけれど……神前曹長。これを見ていただける?」 
 そう言って茜は彼女の立っている足元を指差した。防水加工をされたコンクリートの天井の灰色の塗料が黒く染まっている部分が目に入ってくる。
「焦げてるな。炎熱系か?だが確かにあの感覚は空間制御系の力だったぜ」 
 そう言いながら腕を組むラン。誠の知る限りでは炎熱系の使い手、保安隊管理部部長のアブドゥール・シャー・シン大尉を思い出したが、彼から炎熱系の法術は他の力との相性が悪いと言うことを聞かされていた。
「別系統の法術まで使いこなすとなるとかなり厄介ですわね。それに明らかに今回はまるで自分の存在を示すためだけにここに現れたみたいですし」 
 そう言いながら茜は首をひねっていた。
「デモンストレーションか。趣味のわりー奴だな」 
 そう言いながらランはポーチから端末を取り出し、現状の写真の撮影を開始した。
「でもこれでリアナお姉さまの気遣いが無駄になってしまいましたわね」 
 東和警察と同じ紺色の制服に黒い鞘の日本刀を差した姿の茜が襟元で切りそろえられた髪をなびかせながら下の騒ぎを眺めていた。誠はちらりとランの視線を浴びると頭を掻いた。すでにここを所轄する豊川署の警察官が到着して進入禁止のテープを引いていた。
「でも仕事が優先ですから」 
 誠の言葉に一瞬笑みを浮かべた茜は端末を取り出して所轄に現状の報告を始めた。
「おい、この状況。オメーはどう思うんだ?」 
 写真を撮り終えたランが誠を見上げる。その姿は何度見ても小学校に入るか入らないかと言う幼女のそれだった。
「狙いはやはり僕だったと思います。それも攻撃をする意図も無く、ただこちらに存在を知らしめることが目的のような気が……。そのために必要も無い炎熱系の法術を使用して自分の持つ力を誇示してみせた……」 
 そこまで誠が言ったところで呆れたような顔で首を振るラン。
「ちげーよ。オメーの言った事は士官候補生の答えじゃねーよ、それは。アタシが言いてーのはそこに立ってアタシ等に存在を誇示して見せた容疑者がどういう奴かってことだよ」 
 そう言うとランの視線が誠を射抜いた。誠はその目が別に誠を威圧しているわけではなく、ランの目つきがそう言うものなのだとようやくわかってきた。