遼州戦記 保安隊日乗 3
そう言って立ち去る姿はどう見ても小学校低学年と言った感じだが、言葉の重みはそれなりに軍で地位を築いてきているランらしいものだった。
「西園寺さんそんなに心配していたんですか?」
そう言う誠にカウラはため息をついた。
「まあ、神前は付き合いが短いからわからないかもしれないが、要はああ見えて繊細なところがあるからな。誰かが調子を崩すとあいつもどこか変になるんだ」
「そうなんですか」
カウラの言葉に誠は視線を落としていた。要が心配していたと言うのに誠は何もできなかった。そしてアイシャの心はもっと揺れているだろうと考えると自分に腹を立てることしかできないでいた。部屋のドアが開いて入ってきたのは要と明石だった。
「なんじゃ!しけた面しよってからに。ワレ等たるんどるのう?」
そう言って豪快に笑ってみせる明石。要はその脇をいつもと変わらない表情で通り過ぎると自分の椅子に座った。
「西園寺さん……」
言葉をかけようとする誠を不思議そうに見つめる要。だが、次の瞬間その視線は吉田に向けられた。
「俺じゃねえよ!ランだラン!」
そう言って両手で否定する吉田から目をそらし、大きくため息をつく要。
「だから沈むなって言ったじゃろが!ワシ等の仕事はいつどんなときにどのような形で起きるかわからん事件に対応することなんじゃぞ!気合じゃ!いつも気合入れておけや!」
明石の言葉がなぜかむなしく響く。要は吉田から眼を離すと、今度は誠の顔を凝視した。
「あの、どうしたんですか?」
照れながら誠は要を見つめていた。
「別にどうでも良いことかもな」
それだけつぶやくと要は机の引き出しから始末書を取り出す。要が誠を前にしてこのようなものを取り出すのは珍しいことだった。常に誠の前では強気・完璧で通すのが西園寺流である。始末書女王の彼女だが、いつも理由をつけて一人残って始末書を書いていることは誰もが知っていることだった。
誠はそんな要をそっとしておこうと誠は同盟法務局へ提出する訓練課程の報告書を取り出した。
「あのねえ。誠君、暇かしら!」
そう言いながら顔を出したのはリアナだった。その後ろには無表情にリアナについてきているアイシャがいた。
「こいつなら仕事……」
要はそこまで言ったところで口をつぐんだ。無表情なアイシャを見るのには慣れていないというようにそのまま視線を落とす。
「ああ、鈴木中佐。こいつならいつでも暇しとりますよ!」
そんな明石の大声が響く。リアナはにっこりと笑うと誠に手招きした。
「あのー、明石中佐……」
「行って来い!たまには気分転換もなあ」
そう言ってカウラと要を眺める明石。
「気分転換て……いつもそれしかしていないような気がするんですけど」
思わず本音を漏らしたカウラを見て泣きそうな顔になる明石。
「じゃあ、二人で気晴らしにデートでもしていらっしゃい!車なら私の貸してあげるから」
そう言ってリアナは入り口までやってきた誠の肩を叩いた。
「良いんですか?こう言う事は隊長の……」
「おう、アイシャ!留守はワシが仕切っとるんじゃ!行って来い!」
一応副長の威厳を示そうと胸を張る明石。それを見てようやくアイシャの顔にいつもの不敵な笑みが戻った。
「じゃあ行くわよ!誠ちゃん」
そう言うとアイシャは誠の右手を握り締めて歩き始めた。アイシャに左手を引っ張られて廊下を進む誠。管理部の部屋の中ではガラス越しにいつものように菰田がシンの説教を受けていた。それを無視してアイシャは誠の手を強く握り締めて歩いていく。
「おう!早引きか?」
誠の05式のコックピットを明華と一緒に覗き込んでいたランが叫ぶ。
「クバルカ中佐!ちょっとデートに行ってきます!」
いつもの笑顔でアイシャが手を振る。
「おう!どこでも好きなところ行って来い!」
ランの叫びに励まされるようにして小走りにハンガーの階段を下りるアイシャに思わず躓いた誠がもたれかかった。思わず二人の顔が息がかかるところまで近づいた。
誠はアイシャの紺色の瞳を見つめる。時が止まったような、音が消えるような感じ。階段の途中で二人が寄り添う。
「ああ、神前。そう言うのは私達が見ていないところでやってちょうだい」
明華のその言葉に整備班員達の失笑が聞こえる。
「これで島田君がいたら誠ちゃんはそのままバイクで轢かれるわね!」
そう言いながら誠を突き放したアイシャは小走りをするようにぐんぐんと誠の手を引っ張って進む。グラウンドをそして正面玄関を小走りに進む。たどり着いたのは駐車場。アイシャは手にしていたリアナの高級セダンのキーを誠に手渡した。
季節がめぐる中で 24
「あのー、僕が運転するんですか?」
そう言う誠に車のトップに頬杖をついたアイシャがいつもの意地悪そうな笑顔を向ける。
「一応、誠君は男の子でしょ?それに私は上官。行くわよ!この格好じゃあデートって訳にも行かないでしょ?」
お互いの保安隊の東和軍に似た制服を見比べながらすばやく助手席に乗り込むアイシャ。誠は仕方ないと言うように運転席に乗り込む。ガソリン系と電気系の自動車がほぼ拮抗する東和だがリアナの車は電気系だった。乗り込んだ誠は素早くエンジンキーを差し込む。すぐさま静かにバックしてそのまま駐車場を出た。リアナからのはからいだろうか、警備の遮断機は開かれていた。誠はそのまま菱川重工豊川工場のだだっ広い道に車を走らせる。
「やっぱり乗用車はいいわね。カウラの車はサスペンションがガチガチに締まってるからどうにも乗り心地が悪くて……」
アイシャはそれだけ言うと、少し済ましたように長い紺色の髪をなびかせる。
「でも良いんですか?」
恐る恐るたずねる誠。その表情が滑稽に見えたのか、含み笑いを浮かべるアイシャ。
「なにが悪いのよ。ちゃんとお姉さんの許可をもらってるし、タコ中だってOK出したじゃないの」
そう言ったアイシャがどこかしらか細く感じたのは誠にも意外に思えた。要とカウラは実はかなり神経質で打たれ弱いのはすでにわかっていた。要は自分の機械の体と言うコンプレックスから虚勢を張っているだけ。カウラは自分の先天的に植えつけられた感情以外が持てないと悩んでいて、ちょっとしたことがきっかけでその悩みを溜め込んでしまう性質だった。
一方、誠から見てアイシャは他の人造人間達と違って完全に一般社会に適応しているように見えた。漫画研究会を設立し、多くの裏方的なことをしてまわる彼女はすっかり便利屋のように思っている隊員も多いはずだった。それに時折冷たく見える面差しもあって物事に動じないと思われていた。
「信号変わったわよ」
アイシャを見つめていた誠はあわててアクセルを踏む。工場の正門からは巨大な金属の塊を乗せたトレーラが誠の車を避けるようにして工場内に入っていく。
「私も今度のドラフトの騒ぎはどうせ人気取りだってわかってるわよ」
そう明るく言うわりに、アイシャの言葉が震えているように感じた。
「一応、保安隊では少佐と『高雄』の副長と言う立場もあるし……それを捨てるのもね」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 3 作家名:橋本 直