遼州戦記 保安隊日乗 3
「野暮なこと言うもんじゃねえぞ。それに順番から行けば相手を見つけるのは茜だろ?まったく。あいつも仕事が楽しいのは分かったけどねえ」
嵯峨はそう言うと禁煙パイプを口にくわえる。
「それと、法律上はお前等二人が結婚してもかまわないんだぜ。女同士なら家名存続のためにお互いの遺伝子を共有して跡取りを作ることが許されるって法律もあるんだからな」
ハンドルを握りながらもうつむくかなめ。楓はちらりと彼女の朱に染まった頬を見て微笑んだ。
「しかし、あれだなあ。遼南や東和に長くいると、どうもこの国にいると窮屈でたまらねえよ」
道の両脇に並ぶ屋敷はふんだんに遼州から取り寄せた木をふんだんに使った古風な塗り壁で囲まれている。立体交差では見渡す限りの低い町並み、嵯峨はそれをぼんやりと眺めていた。
「それでも僕はこの町並みが好きなんですが……守るべきふるさとですから」
そう言う楓はただ正面を見つめていた。そんな彼女に皮肉めいた笑みを浮かべる嵯峨。車の両脇の塗り壁が消え、いつの間にか木々に覆われていた。すれ違う車も少なくなり、かなめは車のスピードを上げる。
「しかし、電気駆動の自動車もたまにはいいもんだな」
そう言いながらタバコをふかしているように右手で禁煙パイプをもてあそぶ嵯峨。なにも言わずにそんな彼を一瞥すると楓は車の窓を開けた。かすかに線香の香りがする。車のスピードが落ち、高級車のならぶ墓所の車止めでブレーキがかかる。
静かに近づいてくる黒い背広の職員。加茂川墓所は胡州貴族でも公爵、侯爵、伯爵までの貴族のための墓地である。多くの貴族達は領邦の菩提寺や神社とこの帝都の加茂川墓所に墓を作るのが一般的だった。嵯峨家もまた例外ではなかった。
「公、お待ちしておりました」
職員の言葉に楓は父の手際のよさに感心した。
「例のやつは?」
その言葉に楓は父が墓参りの為以外の目的でここに来たことを察した。時に大胆に、それでいて用心深い。数多くの矛盾した特性を持つ父を理解することができるようになったのは、彼女も佐官に昇進してからのことだった。
車を降りて墓地の敷地に踏み入れたところで、嵯峨は待っていた管理職員から花と水の入った桶を受け取って歩き始めた。
秋の気候に近く設定された気温が心地よく感じられて、嵯峨は気分良く葬列をやり過ごすと先頭に立って歩いた。楓とかなめはそんな嵯峨の後ろを静かについて行く。嵯峨家の被官の名族、醍醐侯爵家と佐賀伯爵家の墓を抜け、ひときわ大きな嵯峨公爵家の墓標の前に嵯峨は立っていた。そしてその後ろにひっそりとたたずむ小さな十字架に頭をたれた。
そこに眠るのはエリーゼ・シュトルベルグ・嵯峨。嵯峨惟基の妻であり、嵯峨楓の母である。
「おい、久しぶりだな」
そう言うと嵯峨は中腰になりさびしげな笑顔を浮かべながら墓に花を供えた。そして桶からひしゃくで水を汲むとやさしく墓標に水をかけた。
「また命をとられかけたよ。それでも残念だけど今は君のところには行けそうに無くてね」
そういいながら墓標のすべてを水が覆い尽くすまでひしゃくを使う。楓は何度同じ光景を見ただろうかと思いをめぐらした。
第二次遼州大戦で開戦に消極的な西園寺家は軍部や民族主義者のテロの標的とされた。楓の祖父、西園寺重基(さいおんじ しげもと)は毒舌で知られた政治家であり、引退後のその地球との対話を説く言動は当時の反地球を叫ぶ世情の逆鱗に触れるものばかりだった。
そんな彼を狙ったテロに巻き込まれて、楓の母エリーゼは23歳で生涯を閉じた。
泣きじゃくる姉が胸に顔をうずめるのを見ながら母を見送ったこの墓の風景は、そのときとまるで変わらない。珍しく楓の眼に涙が浮かんだ。
「失礼ですが……」
木陰で休んでいたらしい背の低い男が嵯峨達に声をかけてきた。表情を変えずに合わせていた手を下ろして嵯峨は彼を見つめた。着ているのは詰め襟が特徴的な胡州陸軍の勤務服。その階級章はこの男が大佐であることを示していた。そしてその左腕に巻かれた腕章の『憲兵』の文字。父である嵯峨が憲兵隊にいたことを考えればこの目の前の小柄な男が嵯峨に意見を求めに来たことも楓には自然に感じられた。
「高倉さん。お久しぶりですねえ」
帯に手を伸ばして禁煙パイプを口にくわえる嵯峨。そんな行動にそれほど機嫌を害しない高倉は楓から見ても嵯峨の扱いに慣れていると見て取れた。そして楓は高倉の名を聞いて彼のことを記憶のかけらから思い出していた。
高倉貞文大佐。アフリカで勇猛な泉州軍団を指揮した醍醐文隆准将の懐刀と呼ばれた男。脱走で知られる同盟国遼南の兵卒に苛烈な制裁を加えて戦線を維持。そしてアフリカからの撤退戦でも的確な資材調達術などで影で醍醐を支えた功労者。現在は海軍と陸軍と治安局に分かれていた憲兵組織の特殊工作部隊『胡州国家憲兵隊』の隊長を務める男。
同業者、そして醍醐家の主君と被官ということからか、いつもの間の抜けた表情で嵯峨は話を切り出した。
「醍醐のとっつぁんは元気してますか?しばらく会ってないなあ、そう言えば」
そんな嵯峨の態度に表情一つ変えず高倉は嵯峨を見つめていた。
「ええ、閣下はアステロイドベルトの軍縮条約の実務官の選定のことで惟基卿のご意見を伺いたいと申しておられました」
「ご意見なんてできる立場じゃないですよ俺は。それに今度の殿上会で現公爵から前公爵になるわけですから。卿なんて言葉も聞かなくてすむ立場になるんでね」
そう言って笑う嵯峨を高倉は理解できなかった。胡州の貴族社会が固定化された血と縁故で腐っていくのを阻止する。主家である醍醐、嵯峨の両家が支持する西園寺基義のその政策に高倉も賛同していた。
だが多くの殿上貴族達の間では遼南では皇帝の地位を投げ捨て、今胡州公爵の位まで平気で投げ捨ててみせる目の前の男の本心がいまだ読めないと疑心暗鬼になる者が出ていることも事実だった。
「高倉さんは俺みたいなドロップアウト組と世間話する時間も惜しいでしょう」
嵯峨はそう言うと禁煙パイプを帯にしまって今度は帯からタバコを取り出した。安っぽいライターで火をつけると、今度は携帯灰皿を取り出す。
「バルキスタン共和国、アメリカ陸軍特殊作戦集団、胡州国家憲兵隊外地作戦局(こしゅうこっかけんぺいたいがいちさくせんきょく)。これだけ言えばわかるんじゃないですかねえ」
そう言うと嵯峨は空に向けて煙を吐いた。高倉は明らかにこれまでの好意的な目つきから射抜くようなそれになって嵯峨を見つめていた。嵯峨の指摘した三つの名前。どれも高倉が嵯峨から情報を得ようと思っていた組織の名称だった。
「それならうちの吉田に資料はそろえさせますから。それと近藤資金についても知りたいみたいですねえ。また胡州でもずいぶんとあっちこっちで近藤さんの遺産が話題になってるらしいじゃないですか。最終的には俺等が暴れた尻拭いを押し付けちゃって俺も本当に心苦しいんですよ」
明らかにこれは口だけの話、嵯峨の本心が別にあることは隣で二人のやり取りを呆然と見ているだけの楓とかなめにもすぐにわかった。
じっと嵯峨を見つめる高倉。その前で嵯峨は伸びをして墓石を一瞥した。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 3 作家名:橋本 直