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遼州戦記 保安隊日乗 3

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 検疫か、それとも分析班の職員と思われる白衣の女性達が彼女に熱い視線を送っている。いつもなら軽く笑顔を浮かべて黄色い歓声を浴びることを楽しみにしている彼女だが、今日はそれどころではなかった。彼女が立ち止まったのは『機動特務隊』と書かれた部屋の前だった。当然のようにノックもせずに楓は踏み込んだ。
 防弾ベストに実弾入りのマガジンをいくつも入れている臨戦態勢の部隊員が一斉に楓を見据えた。百戦錬磨の室内戦闘のプロに睨まれている状況は、普通の軍人でもかなり威圧感を感じるところだろうが、楓はただ彼等をすごむような調子で睨み返すとついたてで仕切られた部屋の隅の休憩所のようなところへと足を向けた。
「よう、遅かったじゃねえか」 
 天丼を食っているのは着流し姿の父嵯峨惟基だった。いつもと同じように、食事中だというのに隣におかれたガラス製の大きな灰皿には吸いかけのタバコが煙を上げている。
「父上……」 
 娘を一瞥した後そのまま天丼に箸を伸ばす父を見ながら、楓は疲れが出たように真向かいのパイプ椅子に腰を下ろした。
「やっぱり米は東和の方が旨いんだな……で、勤務中じゃないのか?」 
 そう言いながら嵯峨は口元に付いた米粒を指でつまんで口に放り込む。その動作がさらに楓の怒りを駆り立てた。
「その勤務中の僕に身元引受人を頼んだのは誰ですか!子供じゃないんですから来るたびに警察に迎えに来させる必要は無いと思いますよ!」 
 そう言って机を叩く楓。慣れたもので、ついたての外の隊員達はこの親子喧嘩にまるで口出しをするつもりは無いように沈黙している。
「前のお盆の墓参りの時はここには来てないのにな……」 
 もぞもぞとそう言う嵯峨だが、楓の一睨みでおずおずと下を向き、重箱の中に残った飯粒をかき集め始めた。
「例外の話はいいんです!今年になって四回ですよ!父上がここに世話になるのは。この前は爆発物を仕掛けたテロリストを峰打ちと言って袋叩きにするし、その前は……」 
「良いじゃねえか死人は出て無い……」 
 再び楓の射るような視線に黙り込む嵯峨。
「大体、今回もあそこにスナイパーがいるのはわかってたんじゃないですか?どうせもう上層部には今回の事件に関係する組織の名前を送付済みで今頃国家憲兵隊が協力者のアジトの摘発に動いてたりとか……」 
「そこまでお見通しか……」 
 明らかに呆れ果てたような楓の視線。黙らせられる嵯峨。
「特に今回は父上にはちゃんと殿上会での勤めを果たしていただかねばならないのですから!」 
 そう言うと楓は彼女を無視してきょろきょろと周りを見回す父親を見ていた。
「なんですか、父上」 
「ああ、お茶をお願いしたいと思って……」 
 そう言った父の前の机を楓は思い切り叩いた。
「そんなに怒鳴らなくてもいいじゃないかよう」 
 再び睨みつけられた嵯峨は仕方なく湯飲みを置くと席を立った娘の後ろに続いた。
「また来ますねー」 
 拳銃の手入れをしている楓と同じぐらいの年の女性隊員に手を振る嵯峨。当然のように飛んでくる楓の視線。
「本当に……姉上もご苦労されるはずだ」 
 部屋を出て颯爽と廊下を歩く楓の後ろで、間抜けな下駄の音が響く。ちゃらんぽらん、そう言う風に楓に聞こえてきたので思わず楓は振り向いてみせる。懐手でちゃんと楓の後ろに父親は立っていた。
「その足元何とかなりませんか?」 
「ああ、もう少し人に優しい素材を使うべきだな。床には」 
 そんな嵯峨の言葉に楓は頭を抱えながらエレベータへ向かった。
「そういえば事前に伯父上には会われるつもりは無いのですか?」 
「無いな。どうせ殿上会で会うんだ」 
 そう言う嵯峨の言葉に力が無いのを楓は聞き漏らさなかった。
「康子様が怖いんですか?」 
 楓が伯母、そして彼女が一途に慕う西園寺要の母親のことを思い出した。
 西園寺康子。胡州帝国のファーストレディーである彼女は嵯峨惟基の剣の師匠に当たる。ひ弱な亡命遼州王族、ムジャンタ・ラスコー少年が国を追われてこの胡州にたどり着いた。その時、彼が手に入れようと望んだのは力だった。その彼を徹底的にしごき、後に『人斬り』と呼ばれる基礎を作ったのは彼女の修行だった。
 そして法術が公になったこの時代。彼女が干渉空間に時間差を設定して光速に近い速度で動けると言う情報さえ流れている今では銀河で最強に近い存在として彼女の名は広まり続けていた。その空間乖離術と呼ばれる能力はこれまでの彼女のさまざまな人間離れした武勇伝が事実であることを人々に示し、その名はさらに上がっていた。自分の腕前に自信を持っている楓も彼女の薙刀の前に何度竹刀を叩き折られたことかわからなかった。
「おい、置いていくぞ」 
 いつの間にか開いていたエレベータのドアの中にはすでに嵯峨がいた。あきれ果て頭を抱えながら続く楓。
「車はいつも通り運転手つきだよな」 
 嵯峨の言葉に楓は静かに頷いた。
「いつもの場所に行きたいんだ。どうせいつもの渡辺だろ?まああいつなら大丈夫か」 
 そう言ってしんみりとしながら一階に到着して開いたドアの間を潜り抜ける二人。
「お姉さま!」 
 決して大声ではなく、それでいて通る声の女性仕官が手を振っていた。こちらは楓のようにスラックスではなくスカートである。すけるようなうなじで切りそろえられた青色の髪と、童顔な割りに均整のとれたスタイルが見る人に印象を残した。
 彼女、渡辺かなめは軽く手を上げて挨拶する着流し姿の嵯峨に敬礼をした。
「世話になるな、いつも」 
 そう言って駐車場に出た嵯峨、彼は胡州の赤い空を見上げた。胡州の首都、帝都のある遼州星系第四惑星はテラフォーミングが行われた星である。人工の大気と紫外線を防止する分子単位のナノマシンのせいで空はいつも赤みを帯びて輝いていた。
 駐車場にとめられた車、楓の私有の四輪駆動車がたたずんでいる。いつもその運転手は楓の部下であり、領邦領主としての嵯峨公爵家の執政でもある渡辺家当主のかなめが担当していた。
「何度言ったのかわからねえけどさあ、かなめって言うのは紛らわしいよな」 
 後部座席に乗り込む嵯峨。運転席でかなめが苦笑いをする。
「私は西園寺の姫様の代わりですから……いつまでたってもお姉さまの心は奪えません」 
 彼女は嵯峨の部下の鈴木中佐達と同じ人造人間、ゲルパルトの『ラストバタリオン』計画の産物だった。その中でもかなめは連合軍の製造プラント確保時には育成ポッドで製造途中の存在であり、ナンバーで呼ばれる世代だった。そんな彼女に目をかけた楓は、彼女の面差しに愛する従姉の要を思いそしてかなめと言う名前をつけた。
 ほかの有力領邦領主家と同じように嵯峨家の被官達にも先の大戦で断絶する家が多く、当時跡取りを求めていた渡辺家の養女としてかなめは人間の生き方を学んだ。
 いつも彼女を見守っているのは恩義のある楓である。かなめが楓に惹かれた当然かもしれない。苦笑いで時々助手席と運転席で視線を交わす彼等を見守る嵯峨。
「まあいいか。それより加茂川墓苑に頼む」 
 その言葉に楓は少し緊張した面持ちとなった。
「父上、やはり後添えを迎えるつもりは……そう言えば同盟司法局の……」