遼州戦記 保安隊日乗 3
周りの車はほとんどが高級車。ため息をついた嵯峨はそのまま秋の風が吹き抜ける駐車場をただ一人歩いていた。着流し姿に下駄と言う格好が珍しいらしく、駐車場を出てターミナルの正面にたどり着いたときには周りから好奇の目で見られることが多くなった。こう言うことには慣れている嵯峨はそのままターミナルの自動ドアに引き込まれるようにして入った。
中国語、日本語、韓国語、アラビア語、ドイツ語、ロシア語、ウルドゥー語、そして英語。様々な言語でのアナウンスが続く。嵯峨はとりあえず帯に挟んでいた財布からチケットを取り出して運航掲示板と見比べた。
彼の搭乗予定の船の乗船受付には二時間以上の時間があった。嵯峨は頭を軽く掻くとそのまま近くのベンチに腰をかけた。周りを見回してみれば、背広を着込んだビジネスマンが客層の大半を占めているようだった。誰もがトランクを引き回しながら歩くさまと、自分の気軽な格好を見比べて自虐的な笑みを浮かべる。
あちらこちらにテロを警戒した警察官がサブマシンガンを下げて巡回している。だが、彼らが役に立たないことは嵯峨は知っていた。
「久しぶりですねえ」
嵯峨の隣に座った背広の男が声をかけてくる。その男の存在は愛車のサイドブレーキをかけたときから感じていた。法術師である嵯峨にとって見ればまるで見つけてくれと言うような波動を放ち続けるこの男の存在は気にならないわけがなかった。
「俺は会いたくなかったけどな」
嵯峨はそう答えるとベンチの背もたれに体を預けてターミナルの天井を見た。隣に座った優男。嵯峨が年より若く見えるせいで嵯峨の上司の中年のサラリーマンのようにも見える。しかし、その瞳の鈍い輝きがその男が普通のサラリーマンではないことは誰の目にも明らかだった。口元はへらへらとだらしなく開いているが、その死んだような目を見れば彼がどのような修羅場を潜り抜けてきたのかと人は問うかもしれない。
だが、そんな男に声をかけられてもまるで嵯峨は動揺するそぶりも見せなかった。
「確かに、俺もよくあんたに顔を見せられたものだと自分でも思っていますよ」
男はにやりと笑って目の前の筒状のものを握り締める。
「おいおい、桐野。そんな物騒なもの、見つかったらことだぜ」
嵯峨は静かにその男、桐野孫四郎の手にある筒状のものを見つめた。
先の大戦。嵯峨が守る北兼南部基地にやってきた胡州陸軍報国少年陸士隊の隊長を勤めていたのが孫四郎少年だった。拡大しきって補給もままならない彼らの部隊に遼北人民共和国の軍団は圧倒的な物量で押しつぶしにかかった。
手持ちのアサルト・モジュールは整備不良により故障し爆破放棄された。重火器には弾が無かった。食料すら現地調達という名目での略奪で手に入れるのがやっと。友軍の退路を確保する為、嵯峨は剣を振るうことしかできなかった。収容所に送られて帰国すらできなくなるだろう遼北戦線から捕虜の待遇を保障している南部のアメリカ軍支配地域へと脱出させるため剣を振るう嵯峨の隣に居た一人の少年。
『人斬り孫四郎』
嵯峨に寄り添うようにして振るわれるその手には嵯峨が与えた名刀、関の孫六が握られていた。何百と言う敵がその刀身に倒された。その狂気が桐野を蝕んでいく様を嵯峨は見守ることしかできなかった。
終戦後、アメリカ陸軍の実験施設を抜け出して帰国した嵯峨のところにやってきた憲兵隊が知らせたのは桐野が遼南戦線の作戦立案やその人員確保に動いた高級将校数十名を惨殺した容疑で追われているという事実と彼を見つけ次第捕縛してくれと言う依頼だった。
だが、今こうして平然と警察官も歩き回っている東和の重要施設で嵯峨の隣に座ってにやけた顔を嵯峨にさらしている。嵯峨は再び帯に挟んでいたタバコの箱を取り出してもてあそぶ。基本的に沈黙の嫌いな嵯峨が口を開いた。
「それよりなんだ。お前の飼い主は。どうやら飼い犬の躾もできないみたいだな。夏にはうちのホープが危うくミンチになるところだったぜ」
そう言った嵯峨に桐野は薄ら笑いで答える。
「ああ、あのアホですか。その節はご迷惑をおかけしましたね。一応、俺が絞っときましたから安心してくださいよ」
そう言って桐野は嵯峨の顔を見つめた。
「そうか。じゃあお前の飼い主によろしく言っといてくれ」
そう言って嵯峨はタバコを吸うべく立ち上がって人ごみの中に消えた。
嵯峨が去った後、桐野はしばらく放心したように何もない空間を見つめていた。そこに革ジャンを着た笑顔を浮かべた男が駆け寄ってくる。良く見ればその顔は別に笑っているわけではなく、顔のつくりが笑っているようなものなのだと気付くのにさほど時間を必要としない。
「ありゃあ化け物ですね。常に干渉空間を展開可能なだけ法力のためを作る。俺にはあんな芸当はできませんよ」
そう言いながら嵯峨の座っていた場所に腰を下ろした。
「北川、お前のことも言われたぜ」
北川と呼ばれた革ジャンの男は懐に手を入れて買ってきた缶コーヒーを桐野に渡す。
「ああ……、確かにあんな化け物の秘蔵っ子を襲ったのは我ながら無謀だなあとは思いましたよ」
北川はまるで反省したというような調子ではなく、あっさりとそう言って手にした缶コーヒーのプルタブを開けた。
「それにしてもいいんですかね。うちの大将はいつかはあの男の首を取るつもりなんでしょ?このままでは確実に保安隊の拡張で手が出しにくくなりますよ」
そう言ってコーヒーをすすりながら桐野の気色を窺う。
「それは俺らの判断するべきことじゃない」
北川の顔を見るつもりも無い、そんな風にも見える桐野に北川は声もかけない。
「俺はただコイツを振るえればそれでいいんだ」
桐野はそう言うと手にしている長い筒を軽く蹴った。重い音が響いて、驚いた北川が桐野の顔を覗き込む。
「そうですね。俺らはただ力を振るえればそれでいいわけですから。別に思想や理想があるわけでもない。ただ、力もないくせにのさばっている馬鹿を潰してまわる。それが俺らのやり方ですから」
手にした缶を傾けてコーヒーを口に流し込む北川。同じように手にした缶を右手と左手でもてあそぶ桐野。
「しかし、不謹慎だとは思うんですがね。あの化け物が……嵯峨と言う男が正体を現したら視界に立ってる人間がことごとく挽肉になると思うとわくわくしますねえ」
最後の一口のコーヒーを飲み終えた北川のその言葉に桐野は鋭い視線を寄越した。
「ああ、そんな怖い目で見ないでくださいよ。わかってますって。もしそれが望みなら孫六を抜いているって言うんでしょ?それに今回の接触はこちらが最大限の関心を保安隊に持っているということを知らせるだけなんですから、いらない仕事まで背負い込むつもりはないですよ」
北川がそこまで言ったところで桐野は立ち上がった。
「帰るぞ」
そう言うと肩に関の孫六を入れた筒を担いで立ち上がる桐野。革ジャンのポケットに手を突っ込んだままの北川はそれに続いてロビーを横断していく。その様子を喫煙所で眺めていた嵯峨。
「ずいぶんとまあ物騒な世の中になったもんだねえ」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 3 作家名:橋本 直