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遼州戦記 保安隊日乗 3

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 無視を決め込んでいたシャムの顔を掴むと、要はその右耳を引き出してその耳元に怒鳴りつけた。さすがにこれにはシャムも参ったとでも言うように、右耳を押さえてその場にうずくまった。
「そんなにしなくても聞こえるわよ……」 
 涙目で答えるシャム。だが、要もこの異様な格好をしている小学生もどきを一瞥すると何もいえなくなって目を逸らした。
「あ!私のこと馬鹿だと思ってるでしょ?」 
 叫んだシャムに要はまた目をやった後、すぐに誠に視線を移す。
「アホが伝染るとまずいから行くか」 
 そう言ってシャムを置いて立ち上がった誠を連れ出そうとする要に追いすがる為に、シャムは必死で着ぐるみを脱ぐ。ビリッと布が裂けるような音がした。
「ああっ!要ちゃんがせかすから!」 
 涙目のシャムを要はちらりと覗いた後、廊下に出た誠にあわせるようにして冷蔵庫にシャムを置き去りにした。
「いいんですか?あまさき屋でまたナンバルゲニア中尉に泣かれますよ」 
 誠はあまりにも露骨な嫌がり方をする要にそう言った。
「ああ、どうせシャムだぜ。目の前に食べ物置かれたら忘れるだろ?」 
 そう言うと二人は実働部隊控え室に入った。
 アメリカ海軍からの出向者である第四小隊を迎えて、それまで机が点々と置かれているだけだった控え室も少しは司法執行官の執務室にふさわしい数の机がそろっていた。
「遅かったな」 
 すでにカウラは席に座って携帯端末で先ほどの誠の戦いを繰り返し見ていた。
「飽きねえなあお前も。吉田は隊長室か?」 
 そう言うと要もカウラの正面の席に座った。
「ああ、クバルカ中佐とお姉さん、それに姐御が二人とも入ったまま出てこないな」 
 お姉さんと言えばリアナ、姐御と言えば大きい姐御が保安隊警備部部長マリア・シュバーキナ少佐、小さい姐御が技術部部長許明華大佐を指す保安隊の専門用語である。
「タコは帰らないのか?」 
 この部屋の主である明石清海中佐の机を見ながら要がつぶやく。
「ああ、何でも同盟司法局の研修で偉い先生に質問を始めたら先生が勝手に盛り上がって説明が長引いたんだそうだ。本局から直接あまさき屋に行くからということだったな」 
 ここまで言うとアイシャは扉の外に手を振った。誠が振り返るとそこにはパーラとエダが手を振っている。
「アタシ等もいくか?」 
 要はそう言うと椅子をきしませながら立ち上がる。
「そう言えばクバルカ中佐の足はあるのか?」 
 そう要に尋ねるカウラだが、要は無視してそのまま部屋を出ようとする。
「あの鬼チビも餓鬼じゃねえんだ。タクシー呼ぶくらいのことならできるだろ?」 
 そう言うと要は一人、静かに部屋を出て行った。
 廊下に出て周りを見回した誠。もう秋も深くなろうとしている。すでに夕日は盛りを過ぎて、紺色の闇に対抗するべく蛍光灯の明かりが降り注ぐ。
「あの、僕も着替えたほうが……」 
 勤務服姿の誠の問いに肩に手を当てる要。
「いいんだよ、こいつだって先月までは制服以外の服はろくに無かったんだからな」 
 そう言って要は後ろに立つカウラを親指手指した。
「お姉さんにそうしろと言われただけだ。その……」 
 そう言って顔を赤らめるカウラ。要は今度はカウラの肩に手を乗せる。
「なんだ?お姉さんに何を言われたんだ?」 
 そう言ってうつむくカウラに絡みつく挑戦的な表情の要。そしてねちっこくカウラの頬を突く。そのタレ目はゆっくりと方向を変えて誠を見つめた。うつむいたカウラのエメラルドグリーンの髪が蛍光灯の明かりに照らされて輝いて見える。
「何してるの?カウラちゃん、要ちゃん」 
 突然声をかけられて飛びのく要。そこにはお茶菓子の皿を持ったリアナが立っている。
「お姉さんじゃないですか、驚かさないでくださいよ」
 そう言うと良いことを思いついたとでも言うようにリアナに近づいていく要。
「そう言えばなんかコイツにふきこみましたか?」 
 要にそう言われると口に指を当てて天を見上げたリアナ。
「別に何も言ってないわよ。それより誠君、着替えたほうがいいわね。一応いつものあまさき屋とはいえ、腰に拳銃下げてぶらつくわけにも行かないでしょ?」 
 リアナは誠の腰にぶら下がっているホルスターを軽く叩いた。そして要とカウラに向き直った。
「丁度いいわ。二人とも上がりでしょ?これ洗っといてくれない?」 
 そう言うとリアナは手にしていた盆を要に渡す。喰いかけの羊羹や飲みかけの緑茶の残った湯飲みを見て嫌な顔をする要。
「なあに、上官命令よ」 
 そう言うとリアナはそのまま隊長室へと向かう。
「じゃあ着替えてきますね」 
 肩を落としている要にそう言うと誠は廊下を早足で歩いた。雑用を押し付けられた後の要のわがままぶりを知っている誠はとりあえず着替えを早く済ませるのが上策と言うことで、すれ違う時に軽く手を上げたヨハンを無視して更衣室に飛び込む。
「上がりですか。ご苦労様です!」 
 中にはつなぎを着込んだ西が立っていた。
「夜勤か?大変だね」 
 そんな誠の言葉に、西は軽く頷く。
「仕方ないですよ、島田先輩は出張中ですから仕事が結構たまっちゃうもので。それにレベッカさんも早く05式の整備に慣れたいって言ってくれるんで……それじゃあ!」 
 誠は冷やかすタイミングを計っていたが、西は計算したように華奢な体を翻して飛び出していった。
 誠は大きくため息をつくと自分のロッカーを開き、指紋認証の保管庫を開く。そのままガンベルトを外して中に納めて扉を閉める。自動で鍵がかかる音がする。作業着のボタンを外す誠の後ろでドアが開く音がした。
「よう、上がりか?良い身分だねえ」 
 そう言うのは菰田主計曹長だった。誠は正直この先輩が苦手である。
 彼の唱える『ヒンヌー教』は保安隊の一大勢力ともいえる非公然組織として保安隊や他の軍や警察にすら知られていた。教義は『ほのかな胸のふくらみが萌えるだろ?』と言う非常にマニアックで感覚的な言葉である。スレンダー美女を崇拝し、彼らの定義する『萌え』を備えた女性をあがめ奉る宗教である。
 その生きた神がカウラだった。
「そう言えば神前曹長は今日はあまさき屋に呼ばれているんだよねえ」 
 耳まで伸びた油ぎった髪を掻きあげる菰田の言葉に誠は仕方なく頷く。
「うらやましいねえ、俺もパイロットになれば良かったよ」 
 そう言って上目遣いに見つめてくる態度。確かに要でなくてもそのまま襟首を締め上げたくなる、そんなことを考えながらズボンをはきかえる。
「まあ、今日はあのクバルカ中佐が主賓だからね。せいぜい失礼を……?」 
 そこまで言ったところで菰田の手が止まる。菰田の視線はドアに向かっている。誠の目に映る菰田が、跳ね上がるように背筋を伸ばすとブリーフ姿で敬礼をした。慌てて誠もドアに視線を移す。
「いいんだぜ、気にしなくてもよー」 
 そこに立っていたのはランだった。
 シャムよりもさらに小柄な、小学校に入ったばかりと言うような体格のランが腕組みをして誠を見つめている。とりあえずズボンのベルトを締めると敬礼をしようとした。
「だから、いいって言ってんだろ?それよか神前……」