遼州戦記 保安隊日乗 3
そう言う明華の顔色を見た西が仲間を集めて再びプレハブを持ち上げる。
「大変ですわねえ」
外から戻ってきた茜が汗を流して熊の家を運んでいる誠達を優雅に扇子をはためかせながら見つめている。
「茜もやるか?」
そんなランの言葉に扇子で口元を押さえる茜は首を横に振った。
「早く運べよ!」
ランはそう言うと隅を持っている誠の尻を蹴り上げる。
「そんなこと言っても……」
泣き言を言う誠を横目に見ながらグレゴリウス13世とシャムと吉田がじっと彼を見つめていた。
「さあ!私も応援よ!」
その後ろにはいつの間にかアイシャが来てグレゴリウス13世の頭を撫でていた。
そろそろとハンガーを出たプレハブ小屋はグラウンドをゆっくりと移動する。
「ほら!もっと急ぎなさいよ!」
はっぱをかける明華。誠の額に汗が浮いた。
「大変ねえ、誠ちゃん」
そう言いながらアイシャがハンカチで誠の額を拭う。冷たい視線を整備員から浴びて沈黙する誠。
「オメエなあ。もっと力入れて運べ!」
今度は誠の尻を蹴り上げるラン。小柄な彼女だが、その一撃に手が滑りそうになる誠。
「クバルカ中佐。そんなに苛めなくても……」
心配そうにアイシャが口を挟むがぎろりと言う音でもしそうな調子でランがアイシャを見上げた。
「クラウゼ。私はこいつ等の管理をタコから引き継ぐんだからな」
ランはそう言うとさらに手を滑らした整備員たちの尻を蹴り上げ続ける。
「そうよねえ。清海(きよみ)はちょっと甘かったかも知れないわね。少しは鍛え上げないと脱走で有名な遼南帝国軍が出来上がっちゃうものねえ」
そう言いながら次々と自分の部下を蹴り上げていくランを見守る明華。ようやくファールグラウンドから畑に向かう空き地に到着したところで吉田が手を上げた。
「手を挟むんじゃないわよ!私は怪我で休みますなんて認めないからね!」
そう声をかける明華。この騒ぎを見て駆けつけたレベッカが心配そうに整備員達を見つめている。プレハブの小屋は静かに雑草の上に置かれた。グレゴリウス13世を連れたシャムが早速中に入る。隊員達の安堵のため息。誠もまた悠然と我が家を見て回るグレゴリウスに笑みを浮かべながらプレハブの隣に腰を下ろそうとした。その時背中に気配を感じた。
「それじゃあお前の腕前見せてもらうぞ」
作業服の襟を掴まれて誠が振り向く。ランははるかに大きい誠を掴んでずるずると引きずり始める。
「大丈夫ですよ!逃げたりしませんから!」
そう叫ぶ誠を鋭い目つきでにらみながらランはようやく手を離した。
「そうだ、クラウゼ!」
シャムと一緒にグレゴリウス13世と遊んでいるアイシャを呼ぶランの一声。アイシャはそのまま跳ね上がるように立ち上がるとそのまま駆け足でランのところまでやってくる。
「お前も付き合えよ。カウラの機体のシミュレータなら使えるんだろ?」
そう言ってつかつかとグラウンドを横切ってハンガーに向かうラン。誠とアイシャはお互い顔を見合わせるとその後に続いた。
季節がめぐる中で 10
「それじゃあアタシはシャムの機体使うからな」
ハンガーに入って口を開いたランはそこまで言うとまた誠をにらみつけた。かわいらしい少女とも見えたが、その目つきの悪さは誠の背筋を冷やすのには十分だった。
「なんだ?その面は」
そう言うと近づいてくるラン。
「いえ!何でもないであります!」
「声が裏返ってるぞ。まあいいや、さっさと乗れよ。パイロットスーツなんかいらねえからな」
そう言うとランは敬礼している整備兵達を押しのけてシャムの第一小隊二号機へと歩いていった。
「大変ですねえ、神前さん」
耳打ちをする西。彼と一緒に誠はコックピットに上がるエレベータに乗った。
「島田班長は本当についてますねえ、今の時期にクバルカンに出張で」
「島田先輩がどうかしたのか?」
そう尋ねる誠に西は後悔をしたような表情を浮かべる。そしてゆっくりと語り始めた。
「班長は元々パイロット志願で、クバルカ中佐の教導受けていたんですよ。ですがクバルカ中佐はああ言う人でしょ?パイロットなんか辞めちまえ!って言われてそのままパイロットを辞めて技官になったんですよ。今でも時々酒を飲んだときとか愚痴られて……」
エレベータが止まる。シャムの機体を見るとこちらをにらみつけるランの姿が見える。西は誠の後ろに隠れてランの視線から隠れた。
「まあがんばってくださいね」
コックピットに乗り込む誠に冷ややかな視線を浴びせる西。誠はそのまま整備の完了している愛機のシミュレーションモードを起動させた。点灯した全周囲モニターの一角に移るランの顔。鋭い視線が誠をうがつ。
「神前。秘匿回線に変えろ!」
鋭いランの一言に誠はつい従ってアイシャの映っているモニターに映像が映らないように回線をいじった。
「西にいろいろ言われただろ?アタシが島田をどつきまわしてパイロットをあきらめさせたとかなんとか」
まるで会話を聞いていたように言われた誠は静かに頷くしかなかった。
「まあ、アタシの教導は確かに厳しいと思っておいて間違いねーよ。だがな、それはオメー等のためなんだ。戦場じゃあ敵は加減なんてしてくれねーし、味方がいつも一緒に居るとは限らねー。自分のケツも拭けねー奴に何ができるってんだ。だからアタシは加減はしねーし怒鳴るときは怒鳴るからな」
相変わらず乱暴な言葉遣いのランがそこまで言うと、不意にこれまで見たこともないようなやわらかい子供のような表情を浮かべた。
「でもまあ、アタシは期待している奴しかぶっ叩いたりしねーよ。アタシはオメーに期待してるんだ。まあ才能の片鱗とやらを見せてくれよ」
そう言うとランの顔に無邪気な笑顔が浮かんだ。見た感じ8歳くらいに見えるランの見た目の年齢の子供達が浮かべるような笑顔がそこにあった。
「まあそんなわけだ。回線を戻せ」
そう言ったランはまた不機嫌そうな表情に戻った。その転換の早さに誠は唖然とした。
シートの上で何度か体を動かして固定すると、誠はシミュレーションモードを起動した。瞬時に映っていた外の光景が漆黒の闇に塗り替えられる。
「宇宙?」
そうつぶやく誠の顔の前にアイシャのにやけた顔が浮かんだ。
「どうしたの?びっくりしちゃった?」
気楽に操縦系のチェックをしているようで手をあちらこちらに振りかざすアイシャ。誠も同じように機体チェックプログラムを起動、さらに動力系のコンディションを確認する。
「最初に言っておくけど手加減なんかしねーからな。全力で来い!」
そう言って笑うラン。ここでその顔を見たら要なら切れていたことだろう。
「わかりました。じゃあこれから作戦会議ぐらいさせてくださいよ」
そう言ったアイシャにランは少し考えた後頷いた。
「じゃあ、秘匿回線にしますね」
誠も通信を切り替えた。アイシャは運用艦『高雄』の副長という立場とは言え、パイロット上がりである。期待して誠は彼女が口を開くのを待った。
「じゃあとりあえず突撃」
そう言うと髪を手櫛でとかしているアイシャ。誠は少しばかり失望した。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 3 作家名:橋本 直