遼州戦記 保安隊日乗 3
「俺はチェッカーの入った奴が好みなんだけど、オリジナルが良いって隊長が言うんでね。撃ってみて問題があるようなら交換するけど」
そう言うとキムは半焼きの肉を口に放り込む。
「拳銃談義はそれくらいにして、隊長の殿上会出席のための留守の勤務のシフトは……」
アイシャのその言葉に黙って手を上げる明華。
「それより私の知り合いに新しい職場を見たいという奇特な人が来るけどそちらの対応は……」
笑顔を要に向ける明華。明らかに気分を害したとでも言うように、要はパーラの焼いていた肉を奪い取って口に入れる。情けない顔をするパーラに、リアナが気を利かせて自分の焼いていた肉を渡した。
「どっちも了解しているよ。シフトはこれが終わったら全員の端末に流す。そして明華の件は俺のところにも連絡が着たから好きにしろって言っといた」
明華が怖くて嵯峨は渋々麦茶を飲んでいた。
「それにしても殿上会で家督相続の承認……降りるんですか?普通そう言うのはしっかりした理由が無いと難しい気がするんですけど……」
誠はこの雰囲気に耐えられずにそう言った。そんな誠を無視するように要は彼の焼いていた肉を自分の口に入れる。空気を読めと棘のある視線を送ってくる明華だが嵯峨は笑顔のまま口を開いた。
「まあ、上座の兄貴と大河内卿には根回しは済んでるよ。それにこの前の近藤事件で俺に貸を作った連中もこの件では俺と同調することになってる。あえて言えば烏丸卿の一派だが……」
「響子か。あいつはそれほど弱くはねえよ。確かに烏丸の被官の下級貴族の連中は親父を目の仇にしてなんでも反対で通すつもりだろうが、特権階級が胡州のお荷物で腐敗の元凶だってことぐらいわからねえほど馬鹿じゃねえよ。それに自称愛国者ってのも使いようがあるもんだ」
そう言って誠が載せた肉を再び奪い取って口に入れる要。
「烏丸女公爵とはお知り合いなんですか?」
誠のその言葉に、呆れたというように要は天を見上げた。
「誠ちゃん!」
突然そう叫ぶと、アイシャが体を押し込んで誠の手を握る。
「烏丸響子様と言えば要ちゃんの第二夫人よ。良く覚えて……」
そこまでアイシャが言ったところで要はアイシャの頭に拳骨を食らわせた。
「テメエどこまでアタシを百合なキャラにしたがるんだ?」
「だって……私も要のことが……」
そう言って下を向くアイシャ。その姿を見て急に要は彼女に背中を向ける。しばらくアイシャのカミングアウトに沈黙する部隊長室。
「本気にした?ねえ、本気にした?」
間を計ったように要の手を掴んで飛び跳ねるアイシャ。
「うるせえ!」
そう言って要はそのままパーラの焼いていた肉を取り上げて口に放り込む。パーラは泣きそうな表情で要を見つめる。
「要ちゃん!」
それまで黙々と肉を食べていたリアナが突然テーブルを叩いた。
「わかったよ……」
そう言うと口から肉を出そうとする要。パーラはさすがに首を振る。
「あんたら本当に子供ねえ」
そう言いながら一人専用の焼肉のタレを肉につけて食べる明華。その時、また隊長室の扉が開いた。
「いい匂いがするんだな」
そこに居たのは幼い容貌のランだった。先ほどの話とは違って突然のランの登場に要とアイシャはあんぐりと口をあけて彼女を見守っている。
「ご苦労さん。お前も食っていけよ」
渡された書類を執務机に投げた嵯峨が声をかける。
「飯は食ったからな。それにここの歓迎会は春子のとこでやるんだろ?一応予約はしておいたぜ」
そう言うとそのまま出て行こうとするラン。
「さてと、ランが来たってことは第二小隊の三号機も到着したってことね。それじゃあ私も仕事に行かなきゃね」
そう言って立ち上がる明華。彼女が差し出した皿を受け取るリアナ。
「もう終わり?」
「そうだよ。クラウゼ、片付け手伝ってくれるか?」
そう言いながら肉の乗ったトレーにラップをかぶせる嵯峨。アイシャはそのまま立ち上がると、パーラとエダ、それにキムに目で合図をする。
「それじゃあお姉さん。報告書がありますので失礼します!」
アイシャはそのまま引きとめようと手を上げるリアナを残して部屋を出て行った。
「それじゃあ要ちゃんとカウラちゃん。手伝ってね!」
逃げられないように二人の腕をがっちり掴んでリアナがそう言った。見詰め合う要とカウラだが、いつの間にかキムとエダ、そしてパーラの姿はなくなっていることに気付いてあきらめる。
「あのー、僕は?」
「ああ、誠君はたぶんランちゃんが用事があるって言ってくるわよ」
リアナはそう言うと火箸で網を集めているカウラの監督をはじめた。
「行ってこいよ」
そんな嵯峨の言葉に追い出されて廊下に出ると、ハンガーから響くランの叫び声が聞こえた。誠はとりあえずハンガーへと向かった。
「オメエ等!邪魔すんじゃねえよ!」
ランの叫び声が聞こえて、誠は管理部の前の手すりから身を乗り出した。三号機、誠の専用機はすでに定位置に固定されていた。
しかし、その正面には奇妙な箱が置かれている。
高さは5メートルくらい、良く見れば先月解体を担当した仮設住宅を組みなおした物だった。その隣では吉田とシャムがランとにらみ合っている。
「吉田少佐!」
階段を駆け下りた誠を珍しいものを見るような目つきで見つめる吉田。
「ああ、良い所にきたな」
そう言いながら吉田は腕組みをしているランをにらみつける。
「コイツを外まで運んでくれねえか?」
吉田が指差している建物の中から甘えたような動物の声が聞こえる。
「これって……」
「うん!グレゴリウス19世の家だよ!」
「13世だろうが!」
名前を間違えたシャムをはたく吉田。そんな二人を見ながら恐る恐る誠はランを見つめた。小さな体を一杯に伸ばして誠を見つめるラン。中佐という肩書きは伊達ではなく、どう見ても小学生にしか見えない彼女だがその見えない圧力と言うものを感じて誠は冷や汗を流した。
「こんなもの作ってんじゃねえよ。明華!」
ランはそう言うと控え室から出てきた明華に声をかける。
「作っちゃったんだからしょうがないじゃない。それにこれなら人力で何とかなるでしょ?丁度、説教も終わったところだし……」
そう言う明華の後ろから西達整備班員が出てくる。
「神前も手伝いなさい」
明華の言葉に押されて目の前の箱に群がる隊員。
「じゃあいっせいに力を入れるのよ!」
明華の合図に隊員達は力を込めて踏ん張った。突然バランスが崩れて黒い塊が入り口から飛び出てきた。巨大な熊。近くの隊員が恐怖で手を離してプレハブが床に落ちる。
「なんだ!シャム。入ったままだったのか!」
怒鳴りつけるランにシャムは頭を下げている。飛び出した熊、グレゴリウス13世は逃げ惑う整備班員を追い回していた。
「どうにかしろ!」
腹を抱えてこの有様を見つめている吉田の尻をランが蹴り上げた。
「なにすんですか!」
そう言い返すものの腕組みしてにらみつけるランに、吉田はあきらめてグレゴリウス13世のところに行ってその首輪を握って動きを止める。
「今のうちよ」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 3 作家名:橋本 直