遼州戦記 保安隊日乗 2
苦笑いの中で明石は話題を要の話に変える。だがそれは西園寺一門の一人である嵯峨の身内の話として彼の表情を複雑な笑いへと変えてしまった。
「要にゃあちょっとねえ。俺もできれば西園寺の家には近づかないようにしてるから」
嵯峨はそう言うと灰皿にまだ長いタバコを押し付けてもみ消した。そして少しいらだっているかのように、次のタバコを取り出すと先ほどと同じように火をつける。
「明石。そう言えば来週お前さん休暇取ってたろ?何すんだ?」
嵯峨の口元に笑いが浮かぶ。明石は吉田の方を見つめた。剃りあげられた禿頭とサングラスで無骨を装う明石の顔が赤らむのを吉田はすべてわかっているかのような笑いで応える。
「一応、プライバシーって奴と言うことになりませんか?」
じっと二人に見られて冷や汗を流しながら明石が答える。
「そうか……じゃあそう言う事でいいや」
明らかに何かを理解したような嵯峨。
「そうですね。そうしといた方が面白いしな」
ニヤリと笑った吉田に殺気すら感じる形相で目を向けた明石。
「なんじゃ!吉田。そのなんか見通した顔は!ワシは大佐殿と……」
ハッとした表情を浮かべる明石。大佐、すなわち明華と何かをするという事実を明石の口から引き出したことだけで嵯峨と吉田に満足そうな笑みが浮かぶのは当然だった。
「俺がなんかした?なんでオメエとお出かけしなきゃならないんだ?」
嵯峨のわかりきっている質問。さらにうろたえる明石。
「隊長以外の大佐と言えば?」
「明華だよな。で、明華と……何処行くんだ?」
嵯峨は明らかに楽しんでいると言った表情で明石を見つめる。
逃げ道は無い。そう思ったときにはさすがにそれ以上突っ込むのは悪いと思ったのか、隊長の机の上に映るアニメショップの映像を眺めている嵯峨が居た。
「勘弁してえな……」
半分泣きながら明石はそう呟いた。
保安隊海へ行く 4
アニメショップの向かい、有名チェーンの喫茶店の扉を押し開けたアイシャ。彼女は大量の漫画を、シャムは食玩の箱を三ケース抱えてその後に続いた。
「ずいぶん買い込むねえ。それよりあんな地味な水着で良かったのか?」
要はアイスコーヒーを啜りながら腰掛ける二人を見ていた。誠は荷物を置いて椅子に腰掛けようとするアイシャを黙って見つめる。いつもならここで要を茶化しにかかるはずだった。
しかしそのような動きは無い。要がアイシャとカウラへのあてつけの為に明らかに際どい水着ばかり誠に見せてきたのは事実だったがそれで終わりだった。そう言うことに免疫の無い誠は要があまり気乗りじゃないように持ってきたそれほど露出の多くない赤いビキニを選んだ。
それより明らかに際どいアイシャが選んだ黒いビキニを見ながら、要がなぜかニコニコと笑っているのを見て、少し誠は不思議に思っていた。
「私もアイスコーヒー飲もうかしら。シャムちゃんはどうするの?」
「アタシはチョコパフェ!」
そう言うとシャムの携帯端末からシュールな着信メロディーが店内に響いた。店に居た客達が一斉に誠達を見つめた。その中に軍の制服と同じものを着ているカウラがいるのがわかると奥に居た女子高生のグループが顔を寄せてなにやらひそひそ話を始めるのが見える。
「ちょっと待ってね!」
慌てて立ち上がり通信を受けたシャムが店外に消える。ウェイターは真面目そうに水とお絞りを置いていく。
「私はアイスコーヒー、それにチョコパフェと……」
アイシャが促すように誠の顔を覗いた。誠はアニメショップには行かずに要の相手をしていたが、つい喉が渇いてアイスティーを飲み干していた。
「僕もアイスコーヒーで」
誠のその言葉に安心したようにウェイターが店の奥に消えた。
「ごめんね、ちょっと小夏ちゃんから電話で」
シャムはそう言いながら戻ってくる。
「小夏か。そう言えばあまさき屋、最近行ってないよな?」
要が呟いたその言葉。ニヤリと笑いその動静を見守るアイシャの顔が誠の目に入った。
「給料日前だもんね。私もちょっと今月は……」
いかにも弱ったように答えるアイシャ。でもそれが演技であることは誠にも見破ることが出来た。
「趣味に金を使いすぎだ。少しは節約と言う事をしろ」
隣のテーブルからカウラが突っ込みを入れる。サラとパーラが大きく頷く。それでもアイシャは何かを待っているようにじっと要を見つめていた。
「なんなら奢ろうか?」
ぼそっと呟かれた要の意外な一言が、一同を凍りつかせる。ただアイシャはガッツポーズをしかねないほどのいい笑顔を浮かべていた。
「俺のもですか?」
島田がそう言ったのを聞いて、要は我に返った。誠を見る、シャムを見る。明らかに自分の言葉が思い出されてきて、急に要は顔を赤らめた。もう後戻りは出来ないとその表情は覚悟を決めたものへと変わった。
「判ったよ!奢ればいいんだろ!奢れば!アイシャ!なんだその顔は!今月は免停でガス代浮いたからそれをだなあ……」
空回りする要に爆笑をこらえるように手を押さえるアイシャ。
「私は何も言ってないわよ」
そう言うと落ち着いてウェイターが持ってきたコーヒーを受け取る。明らかに勝ち誇った表情がアイシャの顔には浮かんでいた。
「……まあいいか」
一人自分に言い聞かす要が居た。そして誠達はなぜ先ほどまで彼女があれほど元気そうだったのかと言う理由を聞き出すきっかけを失ったことに気づいて少しがっかりした。
保安隊海へ行く 5
「師匠!」
あまさき屋に一同が入ると調理場から小夏が駆け足でシャムに向かってくる。
「ナッチー!この人数、大丈夫?」
シャムが走って行き何時ものようにがっちりと抱き合う。そしてそれを見て要がいつも通りの生ぬるい視線で二人を見ているのを見つけた誠。なんとなくそんな不愉快そうな感じを滲み出しているのが要らしくて安心できる。そんな自分に笑いがこみ上げそうになる誠だった。
「ヤッホー!みんなー!」
奥のテーブルで手を振る白い長い髪の女性。それがリアナだと誰にでもわかる。正面に座っているワイシャツのがっちりした体格の男性は何度か機体整備の時に誠も見たことのあるリアナの夫鈴木健一だった。そしてその隣には技術部小火器管理主任のキム・ジュンヒ少尉と運行部でアイシャの副長昇格で正操舵手となったエダ・ラクール少尉がたこ焼きをつついていた。
「言っとくが、奢るのはお前らだけだぞ」
言葉はきついが要の表情はどこかしら余裕があった。アイシャは少しばかり狙いが違ったという顔をしながら店に入る。
「アイシャちゃん!こっちよ!」
リアナがまた手を振った。そして照れ笑いを浮かべている鈴木。
「誠ちゃんにはちゃんとした紹介はまだだったわね。これが健一君よ」
いつもほんわかした調子のリアナがさらにほんわかした調子で紹介する。頭を掻きながら握手を求めてくる鈴木に答えるように誠は右手を差し出した。
「君が神前君か。何度か法術系の開発装置の試験では顔は見たことはあるんだけどね」
誠の手をしっかりと握り締める鈴木。大学の先輩でもあることは知っていたので、どこか恥ずかしい気持ちになるのを感じる誠だった。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 2 作家名:橋本 直