遼州戦記 保安隊日乗 2
「確かにメンタルの弱さは克服すべき課題だな。あらゆる意味においてな」
要に対抗するように、机に置かれていた水を飲み干すカウラ。そんな二人を心配そうに見守るレベッカがいた。
「漫画研究会もあるって聞いたんですけど……」
「いよいよ私の出番かしら!」
紺色のシャツの袖をまくって現れるアイシャ。
「来たよ、ややこしい奴が」
要の吐き捨てた言葉を無視して悠々と喫煙所のソファーに腰掛ける。
「レベッカさん、歓迎しますよ。誠君は絵師でもあるんだから、後で私が原作の漫画を読ませてあげるわね」
満面の笑みのアイシャに少し公開したような愛想笑いを浮かべるレベッカ。
「止めといた方が良いぞ。コイツは脳みそ腐ってるから」
「そう言う要ちゃんだって、昨日、レベッカちゃんの胸揉んでたじゃないの」
「レベルの低い言い争いは止めろ。頭が痛くなる」
誠がどう声をかけようか迷っているところに中華なべをおたまで叩く音が食堂に響き渡った。
「はい!茹で上がりましたよ!」
パーラの一声でとりあえず悶着は起きずに済んでほっとする誠。一同は食堂に向かった。西とエダ、そしてこちらの喧騒にかかわらないように厨房に侵入していたキムが、手にそばの入った金属製のざるにそばを入れたものを運んできた。
「はい!めんつゆですよ!ねぎはたくさんありますから、好きなだけ入れてくださいね!」
サラはそう言いながらつゆを配っていく。
「サラ!アタシは濃いのにしてくれよ」
「そんなことばかり言ってるから気が短いんじゃないのか?」
再びにらみ合う要とカウラ。誠は呆れながら渡された箸を配って回った。
「じゃあ食うぞ!」
そう叫んだ要は大量のチューブ入りのわさびをつゆに落とす。
「大丈夫なんですか?」
「なんだよ、絡むじゃねえか。このくらいわさびを入れて、ねぎは当然多め。それをゆっくりとかき混ぜて……」
「薀蓄は良い。それにそんなに薬味を入れたらそばの香が消える」
そう言うとカウラは静かに一掴みのそばを取った。そのまま軽く薬味を入れていないつゆにつけてすすりこむ。
「そう言えばカウラそば通だもんね。休みの日はほとんど手打ちそばめぐりに使ってるって話だけど」
ざるの中のそばに手を伸ばすアイシャ。その言葉に誠はカウラの顔に視線を移した。
「好きなものは仕方が無いだろ。それに娯楽としては非常に効率が良い」
再びそばに手を伸ばす。そして今度も少しつゆをつけただけですばやく飲み込む。
「なるほど、良い食べっぷりですねえ」
岡部も同じような食べ方をしていた。
「そういやネイビーの旦那達。隣の公団住宅の駐車場に止まっている外ナンバーはアンタ等の連れか?」
いつもの挑戦的な視線をタレ目に漂わせながら要がロナルドを見据える。
「俺も見たがあれは陸軍の連中だな」
それだけ言うとロナルドは器用に少ない量のそばを取るとひたひたとつゆにくぐらせる。
「功名合戦か。迷惑な話だな」
「まあ、そんな所じゃないですか。あの連中は隊長には深い遺恨があるから」
ロナルドがそう言うとつゆのしみこんだそばを口に放り込んだ。法術、その研究においてアメリカ陸軍が多くの情報を開示した事は世界に大きな衝撃を呼び起こした。存在を否定し、情報を操作してまで隠し続けていたその研究は、適正者の数で圧倒している遼州星系各国のそれと比べてはるかに進んでいた。そして明言こそしなかったものの、アメリカ陸軍はその種の戦争状況に対応するマニュアルを持ち、そのマニュアルの元に行動する特殊部隊を保持していることがささやかれた。
そんなことを思い出している隊員達に見つめられながら静かにそばをすすっているロナルド。
「どうせ神前曹長の監視だろう。ご苦労なことだ」
同じざるからそばを取っているフェデロが、一度に大量のそばを持っていく。ロナルドは思わずそれを見て眼を飛ばしてけん制しながら箸を進める。
「どうも今日はそれだけではないらしいがな」
そうつぶやきながら要はそばをすすった
保安隊海へ行く 28
外国ナンバーのアメリカ製高級乗用車。薄汚れた住宅街の中でその車は一際目立っている。アメリカ大使館陸軍三等武官はあくびをしながら目の前のすすけた遼州同盟保安隊下士官寮を眺めていた。
「おじさん!」
不意に窓を叩く野球帽を被った少年を見つけて、彼のあくびも止まった。
「クリタ中尉じゃないですか、脅かさないでくださいよ」
運転席の窓を開けて、少年を見た。十歳にも満たないクリタと呼ばれた少年は手にしていたコンビニの袋からアイスクリームを取り出した。
「どうだい、様子は」
いたずらっ子の視線と言うものはこう言うものだ。武官はバニラアイスのふたを開けながら少年を見つめていた。
「いつもと変わりはありませんよ。さっき海軍の連中がねぎなどを抱えて入っていきましたから食事中なんじゃないですか?」
投げやりにそう答えた。少年は玄関を見つめる。虎縞の猫が門柱の影で退屈そうに周りを見回している。
「クリタ中尉。あなたが来るほどのことは無いと思いますが」
「そうでもないさ。一度はマコト・シンゼンに挨拶するのが礼儀と言うものだろ?」
手にしていたアイスキャンデーが落ちそうになるのを舐め取る少年。
「それなら明日の出勤時刻にでもここにいれば必ず見れますよ」
助手席に座っている情報担当事務官が、手にしたチョコレートバーを舐め続けている。
「まあ、急ぐ必要は無いさ。それに今のところ彼等は合衆国の目の届く範囲内にいる。もし動きがあるとすれば『ギルド』が動き出してからだろうね」
『ギルド』と言う言葉を聴いて、三等武官は眉をひそめた。
「言いたいことはわかるよ。彼等はおととい襲撃をかけたと言う話じゃないか。しかし、あれは挨拶位のものなんじゃないかな。これまでの『ギルド』の動きは君が予想しているよりもかなり広範囲にわたっている」
少年はそう言うと棒についたアイスをかじり始める。
「しかし、本当に存在するのですか?『ギルド』は」
「そうでなければ嵯峨と言う男は法術と言うジョーカーを切る必要は無かっただろうね」
子供だ。武官は思った。状況を楽しんでいる。まるでゲームじゃないか。そんな言葉が難解も頭をよぎる。
「何でそうまで言いきれるのですか?」
三等武官の言葉に野球帽の唾をあげて少年は答えた。
「それは僕が嵯峨惟基と同じ存在だからさ」
そう言うと、少年はそのまま三等武官の乗る車から離れた。
「とりあえず変化があったら連絡してくれ」
悠然と立ち去る少年に畏怖の念を抱きながら、三等武官はその視線を下士官寮へと移した。
保安隊海へ行く 29
「じゃあこれを図書館に運びましょう!」
昼食を終えたアイシャが一同に声をかけてつれてきたのは駐車場の中型トラックの荷台だった。
「図書館?」
誠は嫌な予感がしてそのまま振り返った。
「逃げちゃ駄目じゃないの、誠ちゃん!あの部屋、この寮の欲望の詰まった神聖な隠し部屋よ!」
「あそこですか……」
あきらめた誠が頭を掻く。西はそわそわしながらレベッカを見つめた。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 2 作家名:橋本 直