遼州戦記 保安隊日乗 2
「こっちにあるビールのケース。運ぶの頼んでも良いかしら?」
そう言われると嵯峨は吉田に目配せをした。吉田はシャム、要、そして誠の頭を軽く叩く。
「ああ、吉田さんと誠君が来てくれれば大丈夫よ」
春子の指名で目を見合わせた吉田と誠は、カウンターをすり抜けて厨房に入る。
「そこに二ケースあるでしょ?それを上に運んでもらえるかしら?」
言われるままに吉田はビールのケースを持ち上げる。誠はそれに付き合うようにその下のケースを持った。
「今日はメインは何ですか?」
「牛のもつ焼きよ。何でもスミス大尉が大の好物なんですって」
春子はそう言うと宴会の仕込みに取り掛かった。
「アメリカ産の癖に妙なもん食うんだな」
そう言う吉田を先頭に、あまさき屋の狭い階段を上り始めた。
「おう、ご苦労さん!そこに置けや。それと一本ビールを持ってきてくれ」
部屋の奥に腰をすえた嵯峨がタバコをくゆらせ始める。誠が見回すと部屋には紙でできた飾りや、万国旗が飾られている。
「誠ちゃん!そこの紐持って向こうの梁に取り付けてくれない?」
アイシャがそう言うと、部屋の中央にある万国旗の紐を指差した。
「おい、アイシャ!せっかくビール持ってきてくれたんだ。少しは休ませてやれよ」
手が痺れた誠がぐるぐる手を振っているのを見て要が叫ぶ。
「言うわね要ちゃん。もしかしてあなたの部屋で何かあったわけ?」
目を細めるアイシャ。その言葉にシャムとサラが興味深げに要の顔を見る。
「馬鹿言ってんじゃねえ!そんなことあるわけねえだろ!先輩としての気遣いから言ってやってるだけだ!島田!オメエがやれ!」
「また俺ですか?人使いが荒いなあ」
愚痴りながら島田が万国旗の紐を持ち上げる。誠はビール瓶を持って嵯峨と吉田の隣に座った。
「まあ、一杯やろうや」
そう言うと後ろから栓抜きとコップを三つ取り出す嵯峨。
「お前もこれから大変だろうからな」
誠から瓶を受け取って、嵯峨の手の中のコップにビールを注ぐ吉田。
「なっちゃん!これ大丈夫なの?」
シャムがアイシャのバッグの中から取り出したクラッカーを取り出した。
「大丈夫ですよ。どこぞの馬鹿が拳銃ぶっ放すのとはわけが違いますから」
「小夏。それはアタシか?アタシのことか?」
そう言うと紙の飾りを取り付けようとしていた要がそれを投げ捨てて小夏に歩み寄る。
「要!急に離したら!」
パーラのその声の後、誠が吉田に注いでいたビールの中に紙の飾りが落ちた。
「おい、西園寺……」
「はあ?オメエ等、ビール運んできただけじゃねえか。それに糊の味が加わっておいしくなるかも知れねえぞ?」
さっきとは真逆なことをしゃあしゃあと言う要。
「はい、喧嘩はそこまで。とりあえずお疲れ」
そう言うと嵯峨は一息でビールを飲み干した。気を利かせてビールを飲み干した誠が立ち上がった。
「大丈夫よ誠ちゃん。もう終わるから」
アイシャは要が放り出した紙の飾りを画鋲で壁に貼り付けるとあたりを見渡した。
「こんなもので良いかしら?」
「良いんじゃねえの?」
そう言いながら残っていたビールを自分のグラスに注ぐ。嵯峨は泡の少ないコップを何度か眺めた後、ビールを飲み干した。そしてそのコップがテーブルに置かれた時に宴会場にカウラ達が姿を現した。
入ってきたのは複雑な表情を浮かべるカウラと菰田率いるヒンヌー教団。サラと島田が誠達が運んできたビールを各テーブルに配っている。
「そういえばキム達はまだなのか?」
二本目のビールを受け取った嵯峨が下座に陣取ったアイシャに声をかけた。
「もうそろそろ着くと思いますよ。それとマリアさんがお客さんを積んで本部を出たそうです」
アイシャの言葉に黙って頷く嵯峨。それを見てすぐさま誠の隣に陣取る要。そして向かいにはカウラが座った。
「なんか、ここ狭すぎるだろ。向こう行けよ、お前等が主役じゃないんだから」
嵯峨はそう言うとアイシャとパーラの座っている下座のテーブルを指差した。
「アタシ等の引越しは祝ってくれねえのか?」
「そんなの知らねえよ、明日勝手に引越しそばでも食ってろ」
そんな言葉を浴びると、渋々要が立ち上がる。誠とカウラも顔を見合わせてそのまま階段沿いの席に腰を落ち着けた。誠が階段を覗き込むと、明石が顔を覗かせている。
「タコ。まだ見るんじゃねえ!」
叫ぶ要。
「なんじゃ、ワシ等はまだ蚊帳の外か」
そう言うと明石の大きなスキンヘッドがゆっくりと階段を下りていった。すれ違いで上がってきたのはキムとエダだった。そのままアイシャの前に立ったキムは、手にした書類ケースを彼女に渡した。
「一応こんだけ集めましたけど」
ちらちらと誠からも見えるのでそれが不動産屋の広告であることがわかる。
「ああ、ありがと。後でお返ししてあげるわね」
「プラモやフィギュアは止めてくださいね」
キムはそう言うとサラと島田が占領しているテーブルについた。
「ちょっと隊長!いつまで待たせる気ですか!」
階段からの大声。そこには明石に肩を押さえられながら不満そうに叫ぶ明華がいた。
「早く来すぎたのはお前等だろ?それに急な話だったから新入りの歓迎も出来なかったし」
すまなそうな顔をしながら手を合わせる嵯峨。
「それなら連中が来たらもう一回乾杯すればいいじゃないの」
「その手があったね」
そう言うと嵯峨は吉田とシャムに目配せをした。
「じゃあそこに場所とってあるからさ。さっさと始めちまうか」
嵯峨が上座のもう一つのテーブルを指差す。明華はいつも通り、明石はどこか遠慮がちに席に着いた。
「えー、それでは皆さん」
ビールを注ぎなおしたグラスを掲げる嵯峨。一同もビールやウーロン茶を掲げる。
「このたび、ようやく明石の奴が覚悟を決めて人生の墓場に転落することになりました」
そこまで言って嵯峨は隣のテーブルを見た。明華がきつい視線を嵯峨に送っている。
「まあいいや、とにかくめでたいので乾杯!」
一同がグラスを合わせる。シャムはクラッカーを鳴らし、どこから持ってきたのか島田が太鼓を叩いている。
「ごめんね!遅くなっちゃったわね」
そう言いながら入ってきたのはリアナだった。
「本当におめでとう!明華!」
サラが慌てて注いだビールのグラスを明華に向かって掲げるリアナ。
「リアナ。あなた健一さんの実家にいたんじゃなかったの?」
「馬鹿ねえ!そんなこと気にしなくていいわよ。二人の仲じゃないの!」
不思議そうな視線を投げる明華に笑顔で答えるリアナ。
「さあ、めでたい席ですからね。たくさんお食べになってください」
そう言いながらもつとキャベツが乗った皿を運ぶ春子と小夏。その様子を見ると要はすばやくテーブル中央の鉄板に火を入れる。
「明華、飲んでね」
グラスにまだ半分以上ビールが残っていると言うのに、リアナは瓶を持ったまま待機している。
「鈴木さん。ワシ等もうかなりできあがっとるんで……」
「大丈夫よ!大きいんだから。明石さんが飲めばいいじゃない」
そう言うとリアナは空になっていた明石のグラスにビールを注ぎ始めた。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 2 作家名:橋本 直