遼州戦記 保安隊日乗 2
「これが商品になるのは今日までだな。まずはこれを頼む」
要が手に取った黄色い薔薇を女主人に手渡す。
「これなんてどうでしょうか?」
女主人はその隣にある豊川市の花でもある赤い百合を手渡した。少しばかり要の頬に皮肉めいた笑みが浮かんだ。女主人もそれを感じているのか、手が震えている。
「色の取り合わせとしては悪くねえが、二つも目玉を持たせるのはどうもねえ。こっちの白いのなら脇で締まって見えるようになるんじゃねえか?」
そう言うと要は冷蔵庫の隅にまとまって置かれていた白い小ぶりな百合を手に取った。誠は要と女主人のやり取りから目を離してシャムのほうを見た。
じっとひまわりの花とにらめっこをしているシャム。誠は再び視線を要達の方に向けた。
要と女主人は相変わらず話し込んでいる。ここ数日で要の保安隊では見れない一面を見ることが多かった。胡州帝国の名家のお嬢様と言う生まれ、そのことを皮肉るような殺伐とした部屋、そして花を選ぶ時の真剣な目つき。
「気に入ったのか?シャム」
ようやく花束が一つ出来上がったところで要がシャムのほうを見た。
「これ良いよね」
そう言いながら笑みをこぼすシャム。
「オメエも選んでみるか?」
その要の言葉にはじかれたように、シャムが店の中の花達を物色し始めた。
「よう、先生。お気に召すモノでも有ったのか?」
自動ドアが開いて現れた吉田の顔がほころんでいる。
「まあな。明華の姉御は手を抜くと見抜くからな。それなりのものが出来たと思うぜ」
そう言うとそのままシャムのほうに歩み寄る要。
「ひまわりを目立つようにしたいんだろ?だったら桔梗はこっちの落ち着いた色の方が映えるぞ」
「そうなんだ。じゃあこれをつけてと!」
シャムはうれしそうに花を選んでいる。女主人は包み終わった花束を吉田に渡す。吉田はカードで支払いを始めた。
「オメエの頭の中みたいだな」
要はシャムの手に握られたひまわりのインパクトが強い花束をひまわりが映えるように並べ替えて女主人に渡す。
「そっちの会計は自腹な」
会計を済ませた吉田の一言で、シャムの表情が泣きそうなものになった。
「そうだろ?それシャムが持って帰るんだから」
「ったく度量がないねえ。高給取りなんだから払ってやれよ」
目じりを下げて要が吉田を見つめる。仕方ないと言うようにまたカードを取り出す吉田。花屋の女主人は再び花束を作り始める。
「いつものことながら見事なもんだねえ」
手にしている要の選んだ花束を見つめる吉田。要はさもそれが当然と言うように自動ドアから街に出た。慌ててその後に続く誠。
「凄いですね、西園寺さん」
要が言葉の主の誠を見てみれば、感動したとでも言うような顔がそこにあった。
「ちょっとした教養って奴だ。こういうことも役に立つこともある」
それだけ言うと要はあまさき屋のある方向に向かってアーケードの下を歩き出した。
花屋の隣は締め切られたシャッターが二つ続いた。
「結構寂れてるんですね」
誠は辺りを見回す。およそ二軒に一軒は夕方のかき入れ時だというのにシャッターが閉められている。通るのは近くに住んでいるらしい老夫婦や、裏手の工業高校の男子生徒の自転車くらいだ。
「駅前の百貨店とかにかなり客を取られてるからな。ここらだと車を持っているのが普通だから、郊外の量販店なんかに行くんだろ」
吉田が淡々とそう答える。
「でも僕の実家の辺りなんか商店街結構繁盛してますよ」
「それはテメエの家の辺りは下町じゃねえか。それにお太子さんもあるくらいだから観光客もいるぞ」
あちこち見ながら歩いている誠をせかすように要がそうつぶやいた。
「でも隊長がなんか商店街の会長さんとなんかやるつもりだって言ってたよ」
シャムの声に思い出したように彼女を見つめる要。明らかに忘れられていたような態度を取られてシャムは頬を膨らます。
「そう言えばオメエはこの先の魚屋の二階に住んでるんだったな。叔父貴の奴、またくだらないことでも考えてるのか?」
頭をかく要。アーケードが途切れ、雲ひとつ無い夏の終わりの空が赤く染まろうとしていた。
「よう、また俺の話でもしてたの?」
突然の声に四人が左を向いた。作務衣を着て扇子を持った嵯峨がそこに立っている。その後ろには白いワンピースに白い帽子を被った茜が立っていた。
「別に……なあ!」
要が誠の顔を見つめる。
「そうですよ。それより良いんですか?その様子だと早引きしたみたいですけど」
「吉田の。お偉いさんの俺等の評価は知ってるだろ?どうせ仕事なんて回ってこねえよ」
軽くいなすようにそう言うと嵯峨は歩き始めた。
「どうした、先行くぞ」
立ち尽くす四人を振り返る嵯峨。四人はともかく歩き始めることにした。
「あれだな、東和軍の幕僚とやりあったのか?」
「当たり。何でも司法局の依頼で五人ほど法術特捜にまわしてくれって頼んだのを断られたんだと」
吉田の言葉に振り向く茜。目が合った誠は愛想笑いを浮かべた。
「オメエ等の出向もそれで決まったわけだな」
要の言葉に大きく頷く吉田。
「以前から話は来てたんだがね。要するに俺らで遼南軍の筋の良さそうなのに唾つけようって魂胆だ。隊長も抜け目が無いって言うかなんと言うか」
そう言いながら吉田はちらちら振り返ってくる嵯峨に照れたように頭を掻く。銭湯の煙突に隠されていた夏の終わりの太陽が六人の顔を照らし出した。あまさき屋の暖簾がはためいているのが目に入る。
保安隊海へ行く 26
「なんだ、来てたのか」
暖簾をくぐる嵯峨がそう言った。誠が店の中を覗くと、すでにさしつさされつ日本酒を飲み交わしている明華と明石の姿があった。
「すみません。ワシ等先やらしてもらってますわ」
もつ煮をつつく明石。少しばかり酔いに頬を染めて、照れ笑いを浮かべる明石を見つめる明華。
「あのなあ。お前等が先に来てたら吉田の気遣いが無駄になるじゃねえか」
そう言うと吉田の手にしている花束を奪って要に握らせた。
「許大佐。婚約、おめでとうございます」
後ろから見ても確かに黒いタンクトップにジーンズの要とはいえ令嬢の雰囲気を漂わせる彼女が花を握れば絵になった。誠も思わず顔をほころばせる。その様子を一瞥しながら少し照れるように花束を手にする明華。
「ありがとう。アンタが選んだでしょ?相変わらずみごとなものね」
明華が受け取った花束の香をかいでいる。
「お前等が一番に着いたのか?」
「ちゃいます、アイシャ達が一番に来て小夏を連れて、なにやら仕掛けとるみたいですわ」
「それで準備が出来るまで飲んでろって言われたわけか」
嵯峨はテーブルの上の三つ置かれた二合徳利を眺めた。
「じゃあ俺等はどうしましょうか?」
吉田が嵯峨に目配せをする。
「まあ、こいつ等と第四小隊以外は上がっても大丈夫なんじゃないの?」
そう言うと嵯峨はそのまま奥の階段を上り始める。
「ちょっと嵯峨さん」
厨房から出てきた春子が呼びかける。タバコに取り出しかけた手を置いた嵯峨が振り返る。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 2 作家名:橋本 直