遼州戦記 保安隊日乗 2
そう言うと要は今度は手をダッシュボードの上に移す。
「そうおっしゃるけど、法術の存在が公になってしまった今ではどのような事態が起きたとしても……」
「それにしちゃあ、ずいぶん控えめな対策じゃねえか。確かに東和警察でも法術犯罪捜査部隊が一都三県で発足した。胡州の公安憲兵隊も法術対策室を立ち上げて人員の選定をすすめている」
「そうね、東和の反応は迅速だわ。どうせお父様が事前に幹部連に情報をリークしていたんでしょうけど」
茜はまったく動じない。ただ前を見てハンドルを切る。
「大麗、遼南、遼北、西モスレム、ゲルパルト。どこもそれなりに国家警察レベルではそれなりの対応をしている」
ここで要は言葉を飲み込んだ。茜のポーカーフェイスがいつまで続くか試している。誠はそんな印象を受けた。
「でもよう、その親玉であるはずの同盟司法局の専任捜査員の数が二桁行かないってのはどういうことだ?中途半端に過ぎるだろ。各国の国益優先の人材配置が行われているのは百も承知だ。現状を作り出したのが叔父貴の独断専行なのもわかってる。だけどそんな中途半端な専従捜査員、そしてテメエみたいな弁護士上がりが指揮を執る。そんな部隊を作ったところでなんになるよ」
要は抱えていた疑問を吐きつくしたとでも言うようにポケットからガムを取り出して噛み始めた。
「確かに人材の配置転換が始まって法術適正者の選抜が行われているけどどの同盟加盟国でも軍、警察、その他各省庁の実働部隊までしか適性検査を行えない段階よ。それだけの数の分母で適正者がそうたくさん出てくると考えるのがおかしいんではなくって?それにあくまで彼らはそれぞれの国や地方自治体の内部での犯罪捜査や事件対応が優先事項ですわよ。その枠を超えての捜査となれば必ず調整役が必要になる」
「まあ……国際的テロリストを相手にするときに法術師やその知識を十分に持っている調整機構が指揮監督するのは賢いやり方だとはわかってるよ。それにより多くの訓練や人材発掘のノウハウを獲得するには各国で行われている適性検査や訓練の情報を統括する組織があったほうがいいのは百も承知だ」
「なら問題は無いんじゃないですの?」
父親とよく似た舐めたような表情の茜。その態度に要の言葉はさらに強い調子になる。
「本家の遼南。あそこにオメエのコネはあるのか?親父以外に。あそこの青銅騎士団や山岳レンジャー辺りなら教官が務まる人材もいるんだろ?そいつの予定を抑える仕事をした方がこんな片田舎でつまらねえ事件を追うより生産的だろ?」
バイパス建設の看板が並び、中央分離帯には巨大な工作機械が並んでいる。車は止まる。渋滞につかまったようで、茜は留袖を整えると再びハンドルを握った。
「遼南首相ブルゴーニュ侯はお父様とは犬猿の仲なのはご存知でしょ?シャムさんの出向にしてもかなりお父様は無理をなさっておられるわ。遼南が人材の出し惜しみをしているのは事実なのよ。正直なところ内戦中の敵対関係を未だに清算できないでいるブルゴーニュ侯の意趣返しですわね」
前の砂利を積んだトラックが動き出す。茜は静かにアクセルを踏む。
「つまらねえことを政局に使いやがって!叔父貴も叔父貴だ、司法局が舐められてるのは発足以来のことだって納得しているのかね。まあそれはいいや」
要はタバコに手を伸ばそうとしたが、鋭い茜の視線にその右手は宙を舞った。
「それにしちゃカネミツが豊川に運ばれたって言う噂は解せねえな。あれは遼南のフラッグ・アサルト・モジュールだ。カネミツが動くと言うことは遼南が動くってことだろ?国防はあの国では政府の専権事項だろ?ブルゴーニュ候がなんでそっちの許可を出したんだ?」
『カネミツ』という言葉で誠は思わずシートにもたれていた背筋を伸ばした。アサルト・モジュールの起源とも言える古代遼州文明の兵器。その失われた技術を使っての最終決戦兵器として胡州が開発を進めた機体。
その再生のために胡州帝国陸軍は専門の実験機関を設立して挑んだ。そして特選三号試作戦機計画により製作された唯一の稼動機体である24号機は適合パイロットである嵯峨惟基の愛刀の名から『カネミツ』と呼称された。05式の50倍と言う強大な出力の対消滅エンジンを搭載し、それに対応可能なアクチュエーターを装備している。そして思考追従式オペレーションシステムを搭載し驚異的な機動性能を実現した最強のアサルト・モジュールとさえ言われている。
先月の法術兵器にかけられていた情報統制が解禁されてから流れた情報では、保安隊の運用艦『高雄』の重力波砲と比べても最低に見積もって500倍の出力を誇る広域空間変性砲を装備していることが公表された。
「その噂。裏は取れているのかしら?」
茜は表情も変えずに渋滞を抜けようと左折して裏道に入り込んだ。
「なに、ただの与太話だ。だが、アタシの情報網でも弾幕の雨の中でも正気を保てる程度の連中が目の色変えて裏を取ろうと必死になってるって話だ叔父貴の腹心の吉田でさえ一生懸命遼南からの大型輸送艦の荷物のデータを集めているくらいだ」
郊外の住宅街と言う豊川市の典型的な眺めが外に広がっている。要はそんな風景と変わらない茜の表情を見比べていた。
茜は無言だった。要は何度か茜の表情の変化を読み取ろうとしているように見えたが、しばらくしてそれもあきらめた。要は頭を掻きながら根負けしたように口を開いた。
「つまり、間違いなく言えることはしばらくは法術特捜に手を貸せってことだけか」
諦めた要。現状として司法局の方針が法術特捜には人員を割くつもりが無い以上、彼女もその指示に従わざるを得なかった。
「そうしていただけると助かりますわ。噂は噂。今は目の前にある現実を受け止めて頂かないと」
陸稲の畑の中を走る旧道が見えたところで、茜は車を右折させた。
「ったく人使いが荒いねえ。叔父貴は」
「それは今に始まったことではないでしょ」
そう言って茜は笑う。要は耐え切れずにタバコを取り出した。
「禁煙ですわよ」
「バーカ。くわえてるだけだよ!」
そう言うと要は静かに目をつぶった。
保安隊海へ行く 24
「ここは右折でよろしいですの?」
造成中の畑だったらしい土地を前にして道が途切れたT字路で茜が声をかける。
「ああ、そうすればすぐ見える」
要は相変わらずタバコをくわえたまま、砂埃を上げる作業用特機を眺めていた。茜がハンドルを切り、世界は回る。そんな視界の先に孤立した山城のようにも見えるマンションが見えた。周りの造成地が整備中か、雑草が茂る空き地か、そんなもので構成されている中にあって、そのマンションはきわめて異質なものに見える。
まるで戦場に立つ要塞のようだ。誠はマンションを見上げながらそう思った。茜は静かにその玄関に車を止める。
「ああ、ありがとな」
そう言いながらくわえていたタバコに火をつけて地面に降り立つ要。
「ありがとうございました」
「いいえ、これからお世話になるんですもの。当然のことをしたまでですわ」
茜の左の袖が振られる。その様を見ながら少し照れる誠。
「それじゃあ、明後日お会いしましょうね。ごきげんよう」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 2 作家名:橋本 直