遼州戦記 保安隊日乗 2
「そう言うことなのね」
黙って様子を見ていた茜が口にした言葉に、要は顔を上げてみるものの、何も言わずにまたうつむいた。そしてすぐに思い出したようにテーブルを拭いている島田に声をかけた。
「そう言やキムとエダの二人はどうしたんだ?」
「ごまかそうっていうの?あの二人なら私がトランクルーム借りる交渉に行ってくれてるのよ。もういくつか目星はつけてるんだけど、私のコレクションを収納するのにふさわしいところじゃなくっちゃね」
「苦労するねえ、キムの野郎も」
そう言うと要は立ち上がった。
「茜。車で来てるだろ?ちょっと乗せてくれよ、こいつと一緒に」
そう言って要は親指で誠を指差した。当惑したように留袖に汚れがついていないか確認した後、茜が顔を上げた。
「いいですけど、午後からお父様に呼び出されているので帰りは送っていけませんけど」
「良いって。誠、餓鬼じゃねえんだから一人で帰れるよな?」
特に深い意味の無いその言葉を口にする要。テーブルを拭いている島田とサラから哀れむような視線が誠に注がれた。
「まあ良いですよ。女将さん!手伝わなくて大丈夫ですか?」
「ありがとう、神前君。こっちはどうにかなりそうだから、……引越し組みは出かけていいわよ」
鍋を洗う春子の後ろで小夏がアカンベーをしているのが見える。
「じゃあ先に行くぜ、茜。車をまわしといてくれ」
そう言うと要は食堂を出る。茜と誠はその後に続いた。
「でもまあ、狭い部屋だねえ。まあ仕方ないか、なんたって八千円だもんな」
そう言いながら歩いていると菓子パンを抱えた西が歩いてきた。
「お前いたのか?」
「ちょっと島田准尉に頼まれてエアコンのガス買いに行ってたんで」
要と茜に見つめられて頬を染める西。
「ああ、食堂に近づかねえ方がいいぞ。アイシャ達が待ち構えているからな」
西は顔色を変えるとそのまま階段を駆け上がっていく。
「元気があるねえ、美しい十代って奴か?」
上機嫌に歩き出す要。そのままスリッパを脱ぐと下駄箱を漁り始める。
「その靴って、もしかしてバイクでいらしたの、要さん」
膝下まである皮製のバイク用ブーツを手にした要は玄関に座ってブーツに足を入れた。
「おお、それがどうした?オメエなんか下駄で車の運転か?危ねえぞ」
「ちゃんと車では運動靴に履き替えます。それよりバイクはどうなさるおつもり?」
誠もようやくそのことに気がついた。要のバイクは東和製の高級スポーツタイプ。雨ざらしにするにはもったいないような値段の代物だった。
「どうせ明後日はこっから出勤するんだ。別に置きっぱでも問題ねえだろ」
「そうじゃなくて明日はどうなさるのってことですわ。私は明日は出勤ですわよ」
確かにこのことは誠も知りたいところだった。平然と『迎えに来い』などと言いかねない要のことである、心配そうに誠は要の顔色を伺った。
「ああ、明日?あれだ、カウラとアタシはトラック借りてそれに荷物積んで来るから問題ねえよ。だから置いていく。それでいいか?」
そんな要の言葉に胸をなでおろす誠。要はブーツを履き終えるといつも通り誠達を待たずに寮を出て行く。そんな要を見ながら下駄を履いた茜がスニーカーの紐を結んでいる誠の耳元でささやく。
「そんなにあからさまに安心したような顔をしていらっしゃると付け入られますわよ。要さんに」
そのまま道に出ると要がバイクを押して隣の寮に付属している駐車場に向かっているところだった。いつ来ても、保安隊男子下士官寮の駐車場は酷い有様だと誠も認めざるを得ない。雑草は島田の指揮の下、草を見つけるたびに動員をかけるので問題は無い。入り口近くの車が、明らかな改造車なのは所管警察の暴走族撲滅活動に助っ人を頼まれることもある保安隊に籍を置いている以上、豊川市近辺ではありふれた光景である。朱に交われば赤くなると言うところだろう。誠はそう思っていた。
しかし、一番奥の二区画の屋根がある二輪車駐車場に置かれたおびただしいバイクの部品の山が入った誰もの目を引き付けることになる。島田准尉のバイク狂いは隊でも知らないものはいない。ガソリンエンジンの大型バイクとなると、エネルギーのガソリン依存率が高い遼州星系とは言え、そうはお目にかからない。
そのバイクのエンジンが二つも雨ざらしにされて置いてある。盗む人間が現れないのは、その周りに島田が仕掛けた銀行並みのセキュリティーシステムのおかげ以外の何者でもない。エタノールエンジンの大型バイクを愛用している要が、呆れたように肩をすくめる。
「鍵、開けましたわよ」
自分のバイクを島田のバイクの隣に置いたまま部品の山を見ていた要が茜の言葉に振り返ると、そのまま助手席のドアを開けて乗り込んだ。誠は茜の乗るセダンの高級車に少しばかり遠慮がち乗り込み、慣れない雰囲気に流されるようにして後部座席に座った。茜は運転席で何か足を動かしているように見えた。
「まじめだねえ、やっぱり履き替えるんだ」
「司法に身を置く人間としては当然のことではなくて?」
そう言うと茜はキーを入れる。高級車らしい落ち着いたエンジンの振動が始まる。緩やかに車はバックして、そのまま空きの多い下士官寮の駐車場から滑り出した。
「要さん。お話があるでしょ?」
目の前を見つめながらハンドルを操る茜の手を軽く見やった後、要は頭の後ろに両手を持ってきて天井を見上げた。
「まあな……」
強力に吹き上げるエアコン。室温は次第に快適な温度へと近づいていく。
「オメエが腰を上げたってことはだ、それなりにやばい連中が動き出したと考えていいんだな」
「ずいぶんと要さんにしては遠まわしな聞き方ね。それに昨日から同じような質問ばかり。少しはご自分で動いてみたらいかが?その義体の通信機能を使いこなせれば私よりも新鮮な情報が手に入りますわよ」
茜は大通りに出るべくウィンカーを右に点灯させた。宅配便のトラックが通りすぎたのを確認して、左右に人影が無いのを確認するとそのまま車を右折させた。
「何度だって確認したくなるさ、昨日みたいな法術適正者、それもかなりの手ダレがアタシ等の周りをうろちょろしてる状況なのはわかりきっているんだから」
「法術犯罪専門の同盟機構直属の捜査機関の設立理由としてはそれだけで十分ではなくって?」
口元に浮かぶ笑み。それを見て誠は彼女もまた胡州の上流貴族の長女であると言う事実を思い出した。
「そうとばかりは言えないぜ。確率論的に法術適正のある人間なんてそうはいない。それなりの組織としてもあれほどの法術使いをそう大量に抱えているとは思えない。そうなるとそうちょくちょく襲撃するのはリスクが大きすぎることくらい連中も知ってるはずだ。それにこちらもアタシ等が護衛につく。昨日のギャンブルじみた襲撃があったとしてもこちらは本部に連絡するくらいの対応は出来るんだ」
「そうなると?」
前の車の減速にあわせてブレーキを踏む茜は決して後ろを振り向こうとしない。それにいらだっているように語気を荒げながら要は言葉を続ける。
「叔父貴が動き出せば奴等にとってはやぶ蛇のはずだ。あの化け物の相手が勤まる奴はそうは居ねえ」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 2 作家名:橋本 直