遼州戦記 保安隊日乗 2
要は不思議そうな顔で覗き込んでくる茜の視線から逃れるようにうなだれた。
「第二小隊ってことはカウラさんも入るんですか?」
今度は窓を拭きながら誠が尋ねる。
「当然ですわ。あの方には第二小隊をまとめていただかなくてはなりませんし」
そう言うと茜は再び良く絞った雑巾で丁寧に畳を撫でるように拭く。
「結局、あいつの面を年中拝むわけか」
「他には本人の要請でアイシャさんも状況分析担当で編入予定ですわ」
しばらく茜の言葉にただ一人たたずんでいた要。しばらくしてその目は楽しそうに自分を見つめている茜へと向けられる。
「なんだってー!」
要の叫び声が響き、ドアからうわさの人アイシャが顔を覗かせる。
「なにやって……」
言葉を続けることは出来なかった。アイシャの顔に自分の顔をこれでもかというくらい突きつけている要。ただアイシャはなんだかわからず立ち尽くしている。
「要ちゃんには楓さんがいるじゃないの」
そう言いながらも目を閉じてキスを待つような格好をするアイシャ。
「そう言う話をしてるんじゃねえ!本当か?こいつの言ったことは、本当か?」
「話が見えないわよ!茜さんが何言ったのよ!」
助けを求めるように誠に視線を投げるアイシャ。
「法術特捜の保安隊からの協力者のメンバーにアイシャさんが入っているかということですよ」
誠の言葉にアイシャは余裕の笑みを浮かべていた。
「そうなんだけど、何か問題があるの?」
その挑戦的な口調に、要は思わず引き下がった。
「こんちわー!何でも屋です……って、どういうこと」
部屋に工具を持って現れた島田。ぴりぴりした雰囲気。にらみ合うアイシャと要。助けを求めるように島田は誠に目を向けた。
「ごめんなさいね茜ちゃん、ガサツ娘のお手伝い頼むわ。島田君!こっちのクーラーは後回しにして次はカウラの部屋のにしましょう」
アイシャはいつものようにころりと態度を変える。
「じゃあ西園寺さん、終わったら呼んでください」
右手に持ったドライバーを器用に手の上でくるくると回すと、そのまま消えていく島田。
「お前も一緒に消えろ!」
二本目のタバコに火をつけて、茜が畳を拭くのを眺めている要。
「要ちゃんも少しは手伝ってあげれば良いのに。あなたの部屋なのよ」
アイシャはそう言うと、手にした雑巾をバケツの中で洗う。要はそんな様子を不承不承見守っている。茜もアイシャも要のそんな態度には慣れきっていると言うように、黙って畳を拭き始める。
「後は窓ガラスだけですね。ちょっと待っててください」
そう言うと誠は黒い汚れた水のバケツを持って廊下に出た。昼も近くなり、額の汗が部屋の埃を吸い込んで肌に張り付いているのがわかる。
「神前君。大丈夫?」
水道の前でクーラーのフィルターを洗っているサラに声をかけられた誠は、汗を拭いながら洗い場に汚れた水を流す。
「まあ、大丈夫ですよ。もう少しで終わりそうな感じです。後は窓だけですから」
「それじゃあこれがいるわね」
そう言うと新品の雑巾を二枚渡すパーラ。
「ありがとうございます。それにしてもすみませんねえ。二人とも休みを潰しちゃって」
誠はそう言うと空になったバケツに新しい水を注いだ。
「私達の方が言う言葉よ、それ。アイシャのことだから、絶対、誠君に迷惑かけるでしょうからね」
パーラのその言葉に、乾いた笑いを浮かべる誠。
「それじゃあ行ってきます」
あまり待たせれば間違いなく雷が落ちると予感した誠はそのまま二人を置いて要の部屋に戻った。
誠は窓を拭き始めた。ただビルの影の窓なのでそれほど汚れは無い。
「手伝いますわよ」
声をかけてくる茜に首を横に振ると誠は仕上げのからぶきを始めた。
「ようやく終わったわね。誠ちゃんももうすぐみたいじゃないの」
部屋の中央で立ち尽くすアイシャ。静かに部屋を出て行く茜。要は相変わらずタバコをくゆらせている。アイシャは澄んだ色のバケツに新品の雑巾を落として絞る。
「ああ、暑いなあ。誠!島田の修理屋がどうなってるか見てきてくれよ」
要はそう言うと畳の上に大の字で体を横たえた。
誠はアイシャの部屋を通り過ぎてカウラの部屋に入った。踏み台に乗った島田がクーラーの前の部分を外してドライバーで中の冷却剤の流れている管を叩いている。
「おっかしいなあ、漏れてるわけじゃないんだけど」
拡げられた新聞紙の上の部品を一つ一つ手にとって眺めているカウラ。
「どうしたんですか?島田先輩」
「神前か。実は冷却剤が漏れてるみたいなんだけど。さて、どうしたもんかね」
頭を掻く島田。
「冷却剤の缶ってこれですか?」
足元の缶を眺める誠。それがすぐになんであるかわかった。
「島田。これが原因なら間違いなく入らないだろうな」
カウラもそれを見て人工的な笑いを浮かべる。
「これエアソフトガン用のガスですよ」
「おいホントかよ!吉野か上島の馬鹿、あれほどエアコンのガスかっぱらうなって言ったのに」
島田はそのまま踏み台から降りた。
「これじゃあ買出し行かないと無理っすね。ベルガー大尉、すいませんが明日の朝には都合つけますから」
そう言ってクーラーの組み立てにかかる島田。
「神前。西園寺大尉には午後になるって言っといてくれよ」
全面のカバーを組み込んで、手にしたボルトを刺していく島田。
「手伝わなくても大丈夫ですか?」
「技術屋を舐めるなよ」
そう言うと島田はてきぱきと修理のために外していた基盤をクーラーに差し込んでいく。
「誠。まだ西園寺の部屋は終わらないのか?」
島田にねじを渡しながらカウラが誠に向き直る。
「今、アイシャさんと茜さんが手伝ってますからすぐ終わると思うんですけど……」
「あいつまたサボってタバコでも吸っているのか」
カウラはあきれたような顔をして、小さな基盤を島田に手渡す。
「じゃあ戻ります」
作業の邪魔にはなるまいと、誠はそのままカウラの部屋を出た。
「お昼だよ、神前君」
突然目の前に現れたサラ。そしてパーラが要にヘッドロックを食らっている。
「昼って、どこか食べに行くんですか?」
「ちげーよ!あまさき屋の女将が来てるんだ。海に連れてってくれたお礼だってよ。なんでも夏らしい昼飯を作ると言うことらしいぞ」
そう言うとギブアップしたパーラから手を離す要。
「結局要ちゃんは手伝わなかったわね」
「そこが要さんらしい、ところですわ」
雑巾とバケツを持ったアイシャと茜が恨めしそうな目で要を見ている。
保安隊海へ行く 23
「正人!カウラ!ご飯だよ!」
サラの声がフロアーに響く。掃除をしていた面々が一斉に立ち上がった。
「じゃあ行くぞ!」
そう言うと機嫌よく要は先頭に立って歩き出す。頭を押さえているパーラが食って掛かろうとするのをアイシャが両手でなだめている。そんな様を楽しそうにに茜が眺めていた。
食堂には菰田達がすでに座って番茶をすすっていた。
「オメエ等、何してたんだ?」
要の剣幕に首をすくめながら、いかにも下品そうな笑いを浮かべる三人。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 2 作家名:橋本 直