遼州戦記 保安隊日乗 2
いかにもシャムが好きそうなきれいな貝を手にして誠はシャムを見下ろした。
「お姉さんのことは気にしないで。まあ仲良くやりたまえ」
年齢不詳なシャム。誠がつかんでいる確かな情報としては、今年三十路に入った技術部長、許明華大佐の二つ下という話がまことしやかに囁かれている。ホテルの駐車場に向かうシャムと小夏、そして春子を見守りながら誠はシャムに渡された巻貝を耳に当てた。
潮の音がする。確かにこれは潮の音だ。
「何やってんだ?」
背中から不思議そうな要の声。誠は我に返って荷物を抱えた。
「なんか落ちたぞ」
そう言って要が誠の手から滑り落ちた巻貝を拾い上げた。
「こりゃだめだな。割れちまってるよ」
少しばかりすまないというような声の調子の要。誠は思わず落胆した表情を浮かべる羽目になった。
「アタシに渡そうとしたのか?」
そう言うと、珍しく要がうつむいた。
「ありがとうな」
そう言うと要は自分のバッグにひびの入った巻貝を放り込む。何も言わずにそのまま防波堤に向かって歩いていく要。
「良いんですか?あれって……」
「お前の始めてのプレゼントだ。大事にするよ」
要はそう言うと誠を置いて歩き始める。誠は思い出したように彼女を追って走り出す。追いついて二人で防波堤の階段を登る。
ほんの数時間前にビールの箱を抱えて歩いた道の歩道には人影はほとんど無かった。車道は次々と帰路に着く車が通り抜ける。倦怠感に実を包まれるようにして二人は歩いていた。
「今日はいろいろありましたね」
そう誠が言えたのはバスの止めてあるホテルに入る小道に足を踏み入れたときだった。
「まあな、最後にとんでもねえ目にあったけどな」
「そしてワタクシの手に助けられたわけですわね」
駐車場の生垣として植えられた太いイチョウの木の陰から現れたのは茜だった。よく見れば東都警察の勤務服にぶら下げられた日本刀が違和感を感じさせる。
「オメエ帰れよ」
そう言ってそのままバスに向かう要。
「命の恩人にそれは無いんじゃなくて?それに要さんはいくつか私に聞きたいこともあるって顔してますわよ」
そう言って口先だけの笑みを浮かべるところが、父である保安隊隊長の嵯峨惟基を彷彿とさせた。
「まったく親子そろって食えねえ奴だよ」
要はそう言うと額に乗せていたサングラスをかけなおす。そんな要に笑みで答えてみせる茜。
「ふふっ、そうかもしれませんわね。まずワタクシが法術特捜に……」
「ああ、叔父貴から聞いた。稼動はまだ先になるんじゃなかったのか?」
つれない感じで答える要。茜は特に気にする様子でもなく話を続ける。
「実際、同盟司法部はすでにテロ組織は活動を準備していると言う見方をしていますわ。ワタクシに資料よこしたわけなんですけど、状況はそれほど悠長なことを言ってられないことは先ほどのアロハシャツのお客様をごらんになればわかるのではなくて?」
それまでの茶目っ気のある笑顔が茜の表情から消えていた。
「どこだ?動いてるのは」
気の無い調子でたずねる要。誠もまたその問いの答えを期待していた。
「わかりませんわ。でも資料ではっきりわかったことは、ここ最近、すべてのテロ組織が行った破壊活動に法術適正の所有者による法術爆破テロが急激に減少しているということだけ……まるで申し合わせでもしたみたいに」
「良い話じゃねえか。自爆は見ててやりきれないからな。それでもテロの件数自体は減っていないことぐらいアタシも知ってるよ」
さすがに茜の父親を思い出させる舐めた話しかたに業を煮やしたと言うように要が後ろで呟く茜に向き直った。
「そうなんですの。つまりテロ組織の直下で法術適正を持った組織員が自爆テロ以外の行動をとろうとしている、または他の第三勢力の元に彼らは集められて、来るべき活動のために訓練を受けている。今のところ推察できることはこれくらいですわね」
要は静かに天を仰ぎ、にんまりと笑った。そして再び茜を無視しているように歩き始める。
「既存のテロ組織には法術適正の人物に対し、訓練を行う設備など持ってるはずもねえ。いや、正確に言えば制御された法術によるテロを行うための訓練をすれば、逆に無能な上層部は力に目覚めた飼い犬に手を噛まれる羽目になるってわけだ。そんな危ない連中を手なずける程の力量のカリスマ。お目にかかりたいもんだねえ」
皮肉のつもりでそう言った要だが、茜はまるで気にしていないと言うように余裕のある笑顔を浮かべている。
「ワタクシもですわ。既存のテロ組織は、宗教、言語、民族、人種、イデオロギーを同じくするものの共同体みたいなものですもの。上層部は作戦立案と資金の確保を担当し、下部組織はその命令の下、テロの実行に移る。そこには必ず組織的ヒエラルヒーが存在し……」
不意に立ち止まり、茜の顔をまじまじと見つめる要。
「話が長えよ。要するにどこの誰ともわからねえ連中が、テロ組織の法術適正所有者を片っ端からヘッドハンティングした。そう言いたいわけだな」
要はタバコを取り出そうとしたが、目の前の茜のとがめるような視線を受けて止めた。
「そうですわね。一番それがしっくりいく回答といえますわ。でも、それだけのことを行うとなれば相当な資金と組織力が必要となりますわ。しかも、今日現れた刺客の言ったとおり、力を持つものが支配する世界の実現と言うことになれば、それに賛同するような酔狂な国は宇宙に一つとして存在しないでしょう」
誠も気になっていたその一点を指摘した茜。そのうれしそうにも見える顔つきは確かに彼女が嵯峨家の一員であると言うことを示しているようにも見える。
「逆に、だから支援をする国もあるんじゃないのか?」
皮肉めいたいつもの笑みを浮かべ、要がそう言った。
「同盟の不安定化は地球圏国家の思惑と一致するのは言うまでもないことですわね。でも制御できない力を自分を受け入れることが絶対に無い組織に与えることがいかに無謀かは想像がつかないほど無能な為政者はいらっしゃらないでしょう。それにベルルカン大陸の動乱をごらんになればわかるとおり、下手につつきまわせばそれこそ泥沼の戦争に陥って抜け出せなくなることも経験でわかっているはずですわ」
茜の腕が豊かな胸のふくらみの上に組まれているところを誠はじっくりと見ていた。
「この馬鹿!胸見んの禁止!」
すかさず要がこぶしで誠の頭を殴りつける。頭を押さえる誠を見ながら、茜は心の奥から楽しそうな笑みを浮かべた。
「ふふふ、誠さんと要さん。仲がよろしいんですね」
微笑む茜に誠は思わず要を見た。一気に要の頬が赤らむ。
「お……おうよ。こいつはアタシの部下でマブだからな」
そう言うと要は誠の首根っこをつかむとヘッドロックをした。
「苦しいですよ、西園寺さん!」
「いいじゃねえか、ほらアタシの胸が頬に当たってるぞ。あ?」
誠は幸せなのか不幸せなのかわからないと言うような笑みを浮かべる。
「本当にお似合いですわよ」
笑顔を振りまく茜。しかし、その視線が要達の後ろに立つ二つの人影をも見つめているものだと言うことは要も誠も知らなかった。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 2 作家名:橋本 直