遼州戦記 保安隊日乗 2
「あわててるわね。水でも飲む?」
アイシャはそう言うとコップに水を汲んで誠の差し出した。一息にそれを飲むと誠は汗を拭った。カウラは健一とコンロの火をおこしている。
「西園寺さんが呼んでます。公安が動いたそうです」
その言葉に緊張が走る。
「端末は荷物置き場にあったわね。アイシャちゃん、カウラちゃん。行くわよ」
リアナの声で木炭をダンボールで煽っていたカウラが向かってくる。アイシャも真剣な顔をして作業を見守っていたレベッカに仕事を押し付けて歩いてきた。
「因果な商売ね。こんな日でも仕事のことが頭を離れないなんて」
リアナはそう言うと早足で要の寝ている場所に向かった。
要の所に戻ると、すでに携帯端末を起動させて画面を眺めている要がいた。
「要ちゃん、説明を」
普段のぽわぽわした声でなく、緊張感のある声でリアナが促す。
「特別捜査ですよ。令状は同盟機構法務局長から出てます。相手は東方開発公社、現在、所轄と合同で捜査員を派遣。家宅捜索を行っています」
画面には官庁の合同庁舎のワンフロアー一杯にダンボールを抱えた捜査員が行き来している様が映されている。
「あそこは東和の国策アステロイドベルト開発会社だったわね。たしかに近藤資金との関係はない方が逆に不自然よ」
なぜかするめを口にくわえているアイシャが口を挟む。
「でも、いまさら何か見つかるんでしょうか?もう一ヶ月ですよあの事件から。公社の幹部だって無能じゃないでしょ。証拠を消すくらい……」
自分でも素人考えだと思いながら口を挟むが誰一人相手にしてはくれない。
「証拠をつかんでどうするんだ?」
誠の言葉に冷たく言い放つ要。
「それは、正式な手続きを経て裁判を……」
そこで要の目の色が鋭いリアリストの目へと変わる。
「それが事実上不可能な人物がリストに名を連ねてたらどうする?」
厳しく見えるがその目は笑っていた。要は明らかに状況を楽しんでいる。要の言うことは正しいだろう。近藤資金が非合法の利潤だけで維持されていると考えるには、胡州で今も続いている政治家、軍人の逮捕のニュースを聞いていても無理があった。その資金の多くが稼ぎ出された東和でも同じことが起きても不思議ではない。
帝政と非民主的といわれるほどの治安機関による情報統制と軍による統治機能を持っている胡州だからこそ出来る大粛清の嵐に比べ、東和には主要な有力者すべてを逮捕して政治的混乱を引き起こすことを許す土壌は無かった。
「まあ安城さんは捜索の付き添いみたいな感じだからうちが介入する問題ではなさそうと言うことかしら」
リアナは画面を見ながらそう言った。しかし要は画面から目を離そうとしない。
「要ちゃん。仕事熱心すぎるのも考え物よ」
軽くリアナが要の肩を叩く。そしてゆっくりと立ち上がり伸びをしながら白い髪をなびかせている。
「菰田君達も集まったことだし、お昼の準備みんなでしましょうね!」
砂浜でひっくり返ってる菰田達が、リアナのその言葉でゆっくりと起き上がる。
「じゃあ荷物番は神前君と要ちゃんで」
そう言うとリアナは後ろ髪を惹かれるようにまなざしを投げてくるアイシャをつれて、バーベキュー場に向かう。
「それにしても、今更」
「誠、お姉さんも言ってたろ?こりゃあうちの出番じゃねえよ。それにこれで終わりとは思えないしな。その時までお偉いさんには自分が逮捕されても混乱が生じないように後進の指導にでも集中してもらおうや」
そう言うと要は再びタバコに火をつけた。
保安隊海へ行く 15
「平和だねえ」
先ほどまでの同じ司法局の公安部隊の動きを察知して会議のようなものをしていたリアナ達はもうすでに食事の準備の仕上げのために立ち去っていた。要は半身を起こしタバコをくわえながら、海水浴客の群がる海辺を眺めていた。その向こう側では島田達がようやく疲れたのか波打ち際に座って談笑している。
「こう言うのんびりした時間もたまにはいいですね」
誠もその様子を見ながら砂浜に腰掛けて呆然と海を眺めていた。
「アタシはさあ。どうもこういう状況にはいい思い出は無いんだ」
ささやくように海風に髪をなびかせながら要はそう言った。
「嫌いなんですか?」
覗き込むようにサングラスをかけた要を見つめる誠。だがそこには穏やかな笑顔が浮かんでいるだけだった。
「嫌いなわけ無いだろ?だけど、アタシの家ってのは……昨日の夕食でも見てわかるだろ?他人と会うときは格式ばって仮面をかぶらなきゃ気がすまねえ。今日だってホテルの支配人の奴、アタシのためだけにプライベートビーチを全部貸しきるとかぬかしやがる」
口元をゆがめて携帯灰皿に吸殻を押し付ける要。
「そんな暮らしにあこがれる人がいるのも事実ですし」
「まあな。だけど、それが当たり前じゃないことはアタシの体が良く分かってるんだ」
そう言うと要は左腕を眺めた。人工皮膚の継ぎ目がはっきりと誠にも見える。テロで体の九割以上を生態部品に交換することを迫られた三歳の少女。その複雑な胸中を思うと誠の胸は締め付けられる。
彼女の過去の写真を思い出した。小学校三年生に相当する胡州帝都女子修学院三年の修学旅行の集合写真という話だった。歳相応の子供達の後ろに今の要と寸分たがわぬ女性が立っている写真だった。彼女には子供時代が存在しない。時々誠にそう愚痴るのが理解できる写真だった。それを思い出して誠は覚悟を決めたように要を見つめた。
「それは、要さんのせいじゃないんでしょ」
そう声をかける誠。要は誠の方を一瞥したあと、天を仰いだ。
「オメエ、アホだけどいい奴だな」
まるで感情がこもっていない。こういう時の要の典型的な抑揚の無い言葉。誠はいつものようにわざとむきになったように語気を荒げる。
「アホはいりません」
誠のその言葉を聴くと、要は微笑みながら誠の方を見てサングラスを下ろした。
「よく見ると、うぶな割には男前だな、オメエ」
「は?」
その反応はいつもとはまるで違った。誠は正直状況がつかめずにいた。前回の出動のときの言葉は要するに釣り橋効果だ、そんなことは分かっていた。要の励ましが力になったのは事実だし、それが励ましに過ぎないことも分かっていた。
しかし、今こうして要に見つめられるのは、どこと無く恥ずかしい。女性にこんな目で見られるのは高校三年の卒業式で、二年生のマネージャーに学ランの第二ボタンを渡したとき以来だ。ちなみにその少女からその後、連絡が来たことは無かったが。
「まあいいか、こうして平和な空を見上げてるとなんかどうでもよくなって来るねえ」
その言葉に、誠はそんな昔のマネージャーを思い出して苦笑した。
「おい!神前!」
さすがに同じメンバーでの遊びにも飽きたのか波打ち際から引き上げてきた島田が、置いてあったバッグからスポーツ飲料のボトルを取り出した。
「ああ、すいませんね気が利かなくて」
起き上がろうとした誠ににやけた笑みを浮かべながらそのまま座っていろと手で合図する島田。
「こちらこそ、二人の大切な時間を邪魔するようで悪いねえ」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 2 作家名:橋本 直