遼州戦記 保安隊日乗 2
「西園寺さんあれはちょっと……」
誠は頭を掻きながら首を振って助けを求めている二人を指差す。
「なにか?誠。お前が代わるか?」
そう言うとにやりと笑ってサングラスを下ろす要。誠は照れ笑いを浮かべながら視線を波打ち際に転じる。自分でも地味とわかるトランクスの水着を要が一瞥して舌打ちをするのが非常にシュールだった。島田、サラ、パーラ、キム、エダ。波打ち際で海水を掛け合うといういかにもほほえましい光景が展開している。
「そういえば他の面子は……」
「カウラが先頭になって……ほら、沖のここからも見えるブイがあるだろ?」
要が沖合いを指差す。誠は目を凝らした。
「もしかしてあそこまで泳いでるんですか?」
確かに視線の先に赤いブイが浮いている。三百メートルは離れていることだろう。
「でもよくアイシャさんが付き合いましたね」
そんな誠の言葉に首を横に振る要。
「ああ、アイシャなら女将とお姉さん夫妻、それにあのレベッカとかいう奴と一緒に昼飯の準備してるよ」
「なるほど」
いかにもアイシャらしいと相打ちを打つ誠はぼんやり波打ち際で戯れる島田達を見ていた。
「誠ちゃん助けてー」
またシャムが叫ぶ。隣の小夏は顔色が変わり始めているが、意地でも要には助けを求めまいと頬を膨らませて黙り込んでいる。
「西園寺さん、いくらなんでも……」
確かに要を怒らせるとどうなるかと言う見本には違いなかったが、小夏の変わっていく顔を見ていると誠も二人を解放するようにと頼みたい気持ちになってきた。
「そうだな。ここでいつまでも見られてちゃたまらねえや。誠、そこにスコップあるから掘り出してやれ」
そこにはどう考えてもこのことをする予定で持ってきたとしか思えない大きなスコップが立てかけてある。誠はとりあえず小夏から掘り出しにかかる。
「兄貴、すまねえ」
小夏はそう言いながらもぞもぞと動いて砂から出ようとする。
「苦しくない?」
かなり徹底して踏み固められている砂の様子を見て誠が話しかけた。
「余裕っすよ」
砂で押しつぶされていた血管が生気を取り戻していく。そして膝まで掘り進んだところでふらふらと砂の中から立ち上がる小夏。
「ジャリ。強がっても何にもならねえぞ」
サングラスをかけて日向で横になっている要がつぶやく。
「早くこっちもお願い!」
隣のシャムが叫んでいる。仕方なく小夏が寄りかかっていたスコップを手に取る誠。
「じゃあ行きますよ」
誠はそう言うとシャムを掘り出し始めた。明らかに小夏よりは元気だが圧迫されて血流が悪いようで顔色が悪い。それでも頬を膨らませてシャムは要をにらみつけている。
「どうだ?気分は」
にやけた笑いを浮かべてその様子を眺める要。
「苦しい……苦しいよう」
シャムはわざとらしくそう言う。明らかに顔色が変わりかけてまた砂の上に座り込んでしまった小夏に比べればシャムはかなり元気に見えた。
「師匠!もう少しですよ」
そう言いながら座ったまま応援する小夏。ぎらぎらと夏の日差しが日差しが照りつけている。海に来て最初にしたことが穴掘りとは……そう思いながらも掘り続ける誠。
「大丈夫!あとは……」
膝の辺りまで掘り進んだところでシャムが砂から飛び出す。そして手にした砂の玉を要に投げつけた。
「何しやがる!」
そう言って飛び起きる要。それを見るとシャムと小夏は浮き輪をつかんで海のほうに駆け出した。
「あの馬鹿、いつかシメる」
そう言うと再び砂浜に横になる要。
「いい日和ですねえ」
誠は空を見上げた。どこまでも空は澄み切っている。
「日ごろの行いがいい証拠だろ?」
「お前が言える台詞ではないな」
誠が振り向くと緑の髪から海水を滴らせて立っているカウラがいた。
「お疲れ様です、カウラさん」
沖に浮かぶブイを眺めてもう一度カウラを見上げる。息を切らすわけでもなく平然と誠を見つめているカウラ。
「ああ、どいつも日ごろの鍛錬が甘いというところか」
そう言うと再び沖を振り返る。潮は引き潮。海水浴客の向こうに点々と人間の頭が浮かんでいる。その見覚えのある顔は整備班や警備部の面々のものだった。
「凄いですね、カウラさん」
正直な気持ちを誠は口にした。
「ただあいつ等がたるんでいるだけだ。それじゃあちょっとお姉さん達を手伝ってくる」
そう言うとカウラはそのままパラソルを出て行く。
「嘘付け!どうせつまみ食いにでも行くんだろ?」
要は口元をゆがめてカウラを追い出すように叫んだ。
「要さんは……」
『泳げるんですか?』と言いかけて止まる誠。
要は子供の頃の祖父を狙った爆弾テロで、脊髄と脳以外はほとんどが有機機械や有機デバイスで出来たサイボーグである。当然のことながら水に浮かぶはずも無い。
「なんだ?アタシは荷物を見てるから泳いできたらどうだ」
海を眺めながら要は寝そべったままだった。
誠はなんとなくその場を離れることが出来なくて、要の隣に座った。
「せっかく来たんだ。それにカウラの奴の提案だろ?アタシのことは気にするなよ」
その言葉に要の方を見つめた誠。満足げに海を眺めている要。
「なんか変なこと言ってるか?」
すこし頬を赤らめながら要はサングラスをかけ直す。誠はそのまま視線を要が見つめている海に移した。島田達はビーチボールでバレーボールの真似事をしている。シャムと小夏は浮き輪につかまって波の間をさまよっている。
ようやく菰田が砂浜にたどり着いた。精も根も尽き果てたと言うように波打ち際に倒れこむ。そしてそれに続いた連中も浜辺にたどり着くと同時に倒れこんでいた。
「平和だねえ」
要はそう言うとタバコを取り出した。
「ちょっとそれは……」
周りの目を気にする誠だが、要にそんなことが通じるわけも無い。
「ちゃんと携帯灰皿持ってるよ、叔父貴じゃあるまいし投げ捨てたりしねえ」
そう言ってタバコを吸い始める要。空をカモメが舞っている。
「なんだかいいですねえ」
そう言って要の顔を見た誠だが、サングラス越しにも少し目つきが鋭くなったような気がした。戦闘中の要の独特な気配がにじみ出ている。
「おい、誠。お姉さんとカウラとアイシャ呼んで来い、仕事の話だ」
真剣なその言葉に、誠は起き上がった。
「どうしたんです?」
要の表情で彼女の脳に直結した通信システムが起動していることがすぐにわかる。
「公安が動いた。そう言えば分かる」
要のその言葉に砂浜の切れかけたところにあるバーベキュー施設に向かい走る誠。保安隊で『公安』と言えば安城秀美(あんじょうひでみ)局長貴下の遼州同盟司法機関特務実働部隊のことだ。要はやり口の残忍さで公安配属になるところを保安隊勤務となったと言う話だが、ネットワークリンクしている有機コンピュータの脳のおかげで、公安や所轄からの情報を常にリアルタイムで知ることが出来る状況にある。
誠は人を避けながら走って水場で野菜の下ごしらえをしているリアナの姿が目に入った。
「すいません!」
「あら、神前君。どうしたの?」
半分ほど切り終わったたまねぎを前に、リアナが振り返る。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 2 作家名:橋本 直