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遼州戦記 保安隊日乗 2

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「済まんだろうな」 
 島田とキムがこそこそと話し合っているのを眺めながら、誠は島田が持ってきた荷物を受け取ると、大理石の彫刻が並べられたエレベータルームに入る。
「胡州の四大公って凄いんですね」 
 正直これほど立派なホテルは誠には縁がなかった。都立の高校教師の息子である、それほど贅沢が出来る身分でない事は身にしみてわかっている。
「何でも一泊でお前さんの月給くらい取られるらしいぞ、普通に来たら」 
 島田がニヤつきながら誠を眺める。
「でしょうねえ」 
 そう言うと開いたドアに入っていく三人。
「晩飯も期待しとけよ、去年も凄かったからな」 
「創作料理系のフレンチだけど、まあ凄いのが並ぶんだなこれが」 
 誠は正直呆然としていた。体調はいつの間にかかなり回復している。自分でも現金なものだと感心していると三階のフロアー、エレベータの扉が開いた。
 落ち着いた色調の廊下。掛けられた絵も印象派の作品だろう。
「これ、本物ですかね」 
「さすがにそれはないだろうな。まあ行こうか」 
 誠の言葉をあしらうと、鍵を受け取って進む島田。
「308号室か。ここだな」 
 島田は電子キーで鍵を開けて先頭を切って部屋に入る。
「広い部屋ですねえ」 
 誠は中に入ってあっけに取られた。彼の下士官寮の三倍では効かないような部屋がある。置かれたベッドは二つ、奥には和室まである。
「俺らがこっち使うからお前は和室で寝ろ」 
 そう言うと島田とキムはベッドの上に荷物を置いた。
「それにしても凄い景色ですねえ」 
 誠はそのままベランダに出る。やや赤みを帯び始めた夕陽。高台から望む海の波は穏やかに線を作って広がっている。
「まあ西園寺様々だねえ」 
 島田のその言葉を聞きながら誠は水平線を眺めていた。
 海は好きな方だと誠は思っているが、それにしても部屋の窓から見る景色はすばらしい景色だった。松の並木が潮風にそよぐ。頬に当たる風は夏の熱気を少しばかりやわらげてくれていた。
「なんか珍しいものでもあるのか?」 
 荷物の整理をしながら島田がからかうような調子で呼びかける。たぶん去年に彼が体験した絶景と言う言葉のためにあるような景色を誠が見つけたことに気がついているのだろう。
「別にそんなわけじゃないですが、いい景色だなあって」 
「何なら写真でも撮るか?」 
 振り返るとキムがカメラを差し出していた。
 その時、突然キムの携帯端末が着信を知らせる。キムはすぐさま振り向いてドアのほうに向かって歩き出した。そしてこちらから聞こえないような小さな声で何事かをささやきあっていた。そんなキムを見て頭を掻きながら立ち上がる島田。
「抜け駆けかよ。まあいいや、神前。とりあえず俺、ちょっと出かけてくるから」 
 ベッドからバッグを下ろした島田はそれだけ言うとそそくさと部屋を出て行く。キムはしばらくドアのところで電話の相手と楽しげに歓談をしている。
 その時急にドアが開き、キムがそのドアにしたたか頭を打ち付けた。
「何してんの?」 
 頭を抱えて座り込むキムを見下ろしている紺色の髪の女性。入ってきたのはアイシャだった。しばらくして恨みがましい目で彼女を見上げるキム。
「あっ、ジュン君ごめんね。痛かったでしょう」 
 アイシャが謝るが、軽く手を上げたキムはそのまま廊下に消えていった。
「一人で退屈でしょ。うちの部屋来ない?」 
「はあ……」 
 誠はなぜ自分が独りになると言うことを知っているのか不思議に思いながら生返事をする。満足げにそれを見つめるアイシャ。
「誰の部屋だと思ってんだ?ちゃんと持ち主の許可をとれってんだよ!」 
 怒鳴り込んできたのは要だった。そしてそのまま窓辺に立っている誠の目の前まで来るとしばらく黙り込む。
「あの……西園寺さん?」 
 誠の言葉を聞いてようやく要は何かの決意をしたように誠を見上げてきた。
「その……なんだ。ボルドーの2302年ものがあるんだ。一人で飲むのはつまらねえからな。良いんだぜ、別に酒はもう勘弁って思ってるんだったらアタシが全部飲むから」 
 要をちらちら見ながら近づいてくるアイシャ。要の言葉に思わず噴出しそうになるのを無理して口を抑えて我慢している。
「いいワインは独り占めするわけ?ひどいじゃないの!」 
 アイシャが要に噛み付く。開かれたドアの外ではカウラが困ったような表情で二人を見つめている。
「わかりました、今行きますよ」 
 そう言って誠は窓に背を向ける。そして満足そうに頷いているアイシャに手を握られた。
「何やってんだ?オメエは」 
 タレ目なので威圧してもあまり迫力が無いが、機嫌を損ねると大変だと慌てて手を離す誠。カウラにも見つめられて廊下に出た誠は沈黙が怖くなり思わず口を開く。
「ワインですか。なんか……」 
「アタシの柄じゃねえのはわかってるよ」 
 頭を掻きながら要が見つめてくるので、笑みを作った誠はそのまま彼女について広い廊下の中央を進んだ。
 やわらかい乳白色の大理石で覆われた廊下を歩く。時折開いた大きな窓からは海に突き出した別館が見える。要は先頭に立って歩いている。
「本当にすごいですね」 
 窓の外に広がる眺望に誠は息を呑んだ。広がる海。波の白い線、突き出した岬の上の松の枝ぶり。
「アタシは嫌いだね、こんな風景。成金趣味が鼻につくぜ」 
 先頭を歩く要の言葉。こう言う取って置きの風景を見慣れすぎたこの人にはつまらなく見えるのだろうと誠は思った。
 胡州四大公筆頭西園寺家の時期当主。擦り寄ってくる人間の数は万を超えたものになるだろう。擦り寄ってくる相手にどう自分を演じて状況から逃れるのか。それはとても扱いに困るじゃじゃ馬を演じること。要はそう結論付けたのかもしれないと誠は考えていた。
 そんなことを考えている誠を気にするわけでもなく廊下を突き当たったところにある凝った彫刻で飾られた大きな扉に要が手をかざした。
 ゆっくりと開かれる扉。そしてその外側に広がる水平線に誠は目を奪われた。
「これ、部屋なんですか?」 
 誠は唖然とした。
 全面ガラス張りの部屋が広がっている。中央に置かれた巨大なベッド。まさに西に沈もうとする太陽に照らされた部屋は、誠達にあてがわれたそれのさらに五倍以上の広さが会った。
「まあ座れよ。ワイン取ってくる」 
 要はぶっきらぼうにそう言うと部屋の隅の大理石の張られた一面に触れる。壁が開かれ、何十本という数ではないワインが誠の座っている豪奢なソファーからも見える。
「じゃあ、グラスは四つで」 
「アイシャ。オメエに飲ませるとは一言も言ってねえぞ」 
 要はそう言うと年代ものと一目でわかるような赤ワインのビンを持ってくる。その表情にいつもにない自信のようなものを感じて誠は息を呑んだ。
「要ちゃんと私の仲じゃないの。少しくらい味見させてよ」 
 アイシャが手を合わせてワインを眺める要を見つめている。誠は二人から目を離し、辺りを見回した。どの調度品も一流の品なのだろう。穏やかな光を放ちながら次第に夕日の赤に染まり始めていた。
「ああ、この窓はすべてミラーグラスだからな。覗かれる心配はねえよ」